一回戦1
親愛なるお父様。
爽秋の候、お父様におかれましてはますますご健勝のことと、お慶び申し上げます。
また、常より頂戴しております近況に関しても、私も栄えあるハインリッヒの家の者として漏らすことなく拝読しております。
その細やかなお心遣いに改めて感謝申し上げますとともに、ひしひしと伝わって参ります我が家の置かれております状況、並びに深慮遠謀と限りなき慈愛をもっておられるお父様が、そうした者の与るべき境遇より離され、天上の者達ですら憐れむ此度の不運と理不尽とに耐え忍んでおられるお姿には、私の如き無知蒙昧であれ心痛める次第にございます。
さて、こうしてお手紙など差し上げますのは、その事に関してでございます。
王立カシアス女学園において毎年開催されております武闘大会につきましては、既にお父様はお聞きの事と存じます。
そしてまたこれもご存知かと存じますが、国内でも屈指の栄誉ある大会であり、その決勝は国王陛下もご覧になられるものであるという事。また、その技を陛下にご照覧いただく栄誉に与りし者と、それを輩出したる家は建国以来の尚武の精神を今に伝える素晴らしきものであるとして、国王陛下より特別の御寵愛を賜るという事であります。
突然のお手紙でこのような事を申し上げますのは、偏に私がこの大会に出場できることが決定したからであります。
私としても、少しでもお父様のお役にたつことが出来ればと思い悩んでおりました折にこのような幸運に恵まれ、まさしく天の助けを受けたような気分にございます。
この千載一隅の好機を決して無駄にすることなく、今我が家が、そしてお父様が受けております不当な扱いがいかに誤ったものであるのか、我がハインリッヒの血筋と、お父上の方針がいかに正しいものであるのかをこの大会で証明し、不正によって汚されたハインリッヒの名を再び高めるべく必ずや国王陛下の御前にて勝利を収める所存であります。
それでは、はなはだ至らぬ拙文ではございますが、何分ペンの具合がよろしくございませんので、差し上げますお手紙を汚してしまう前にこの辺りで失礼させて頂きます。
全ての天上の者達の祝福がありますように。
ハンナ・コーデリア
「これでよし……っと」
予選を終えた夜。
慣れない手紙にすっかり疲れた手首をぶらぶらさせながら過剰装飾な文面を読み返す。
これがこの世界の貴族の手紙らしい。親子の間で随分と堅苦しい事だ。
要するに「大会出るから期待しとけ」の一言をここまでゴテゴテと飾り立てて書かなければならないのだから、手紙一通送るのにも一苦労だ。
なにより、手元の例文集によればこれでもまだ家庭内であるが故に多少砕けた文章だというから驚きだ。
「疲れますわね……」
試合よりも重労働だった気がする手紙を慎重に折りたたんで、ハインリッヒ家の紋章入りの封筒に入れ、蝋で密封する。
封筒の表側には父の名前を記入。この封筒に父の名前だけで届くのだからその点だけは便利だ。
「さて……」
机の一番上、鍵のかかる引き出しにレターセット一式を仕舞う。具合が悪いと書いた、特に異常のないペンも一緒に。あれが貴族の間での手紙を終える文法らしい。
「これ、処分してしまってよいのかしら……?」
引き出しに納められたアンドロポフ家の御曹司からのラブレターと、手のひらを返した婚約破棄通知。
電話もネットもないこの世界では主要な連絡手段である手紙だが、貴族のそれは色々と面倒なしきたりが一杯だ。迂闊に捨てていいものかも分からない。
何よりハンナ嬢、この手の手紙を貰ったのは後にも先にもこの時だけだったと記憶が語っている。
「……」
捨てようかと手に取ったそのラブレターをそっと戻す。
その最期のほとんど天罰であると言えるような糞アマだったとはいえ、思えば哀れな娘でもある。
貴族の子女とはつまるところ政略結婚が人生の目標である。
大貴族になればなるほど、その子、特に女子はより良い所に嫁がせる駒であり、相手に叩き込む弾でもある。
そこで両家を繋ぎ、社交界で広告塔を務め、お世継ぎを産んで、それが立派に成長すれば、そこで晴れて目標達成。立派にお役目を果たしたことになる。
ハンナ嬢もその世界にいた。
そこに何か疑いを持つでもない、自由恋愛やらなにやらを求めた訳でもない。
それどころか、政略結婚であると知っていながらも――恐らくお家のためのリップサービスであろう――歯が浮くようなラブレターに憎からぬ感情を抱いていたのだ。
馬鹿と言えばそれまでだろう。世間知らずと言えばその通りだろう。
彼女は高慢ちきな糞アマだった。それは事実だ。私の感覚からすれば絶対にお近づきになりたくないタイプだった。
だがそれでも、この世界での自分の立場を理解し、それを受け入れ、そこで自分を役立てようと、自分の務めを果たそうと張り切っていたのだ。
そしてその第一歩を踏み出そうとしたその矢先に、違う世界の良く知らない男に体と記憶だけを残して死んでしまったのだ。
何の因果かその体を引き継いだ私には、彼女の形見であるこれらを捨てるのは、どうしても出来なかった。
「まあ、これは……」
仕舞った手紙の束の代わりに取り出したのは綺麗な銀細工が施されたラシャ張りの宝石箱。
中に納められているのは蒼天石という、この世界では相当貴重な宝石をあしらった金のブローチ。
「……売ったらいくらぐらいかしら」
蒼天の名が示す通りの透き通るような青い宝石。一緒に保管されていた保証書に目を通す。それによれば、この空豆みたいな大きさの宝石一つで小さな村なら買えるぐらいらしい。
「村ねぇ……」
ぼそりと呟いてから、自分の心の中の声から耳を塞いで再び引き出しに戻す。
――危ない危ない。ハンナ嬢が特に拘っていた記憶のないものを無闇に手に取るのは危険だ。特に金目のものは。
一緒に自分の中の悪魔の囁きを閉じ込めるように引き出しを閉めて鍵をかけると、立ち上がって伸びを一つ。
窓の向こうには真っ暗な夜空が広がっている。
「消灯まではまだありますわね」
くるりと踵を返すと、丁度そこにいたマルタと目が合う。
「お手紙ですか?それでしたら、私にお預けくだされば――」
「大丈夫よ。ただ郵便室に行くだけですわ」
メイドさんはこうした小間使い的な事もやってくれるが、流石になんでもかんでもお願いするのは気が引ける。それに少し歩くだけでも体を動かしたい気分だった。それほどまでにあの手紙は疲れる。
マルタを置いて廊下へ。この学校の郵便物はメイドさんにお願いする以外には各寮の各階に設けられた郵便室という部屋で出す事が出来る。
郵便室という名前からすると学校内に郵便局があるようにも思えるかもしれないが、実際には部屋番号の書かれた郵便受けが並んでいるだけだ。
そこに手紙を入れておくと毎朝回収されてその日のうちに発送されるシステムになっている。発送用の私書箱みたいなものだろうか。
四つの棟のそれぞれ一番中央寄りの部屋に設けられている郵便室までは廊下で一直線。
光を放つ魔術を魔石と呼ばれる魔力を蓄える石に込めた照明器具が照らす廊下を歩いて行く。
つくづくこの世界の魔術とは便利なものだ。今日の試合も終了後失神KOした相手に魔法陣とコーナーポストから発せられた光がベールのように包み込み、それが晴れた時には試合前と同じ状態に戻っていたのだから。
「あの子、どうしたのかしらね」
試合後は彼女と顔を合わせる事は無かった。
風呂でも夕食でも、同じ寮の筈なのだが。
――少し心配ではあった。恐らく彼女は今回の試合には自分の意思では出場していなかった。それを強制させたであろうシャーロットは、彼女の事=自分の望みを果たせなかった取り巻きの事を許しておくのだろうか。
「……あら?」
郵便室に入る直前、すぐ横を通る螺旋階段に感じた気配に振り返ると、丁度脳内から飛び出して来たかのようなタイミングでその姿を認めた。
下の階から足を引きずるように上がってきた彼女は、私には気づかずそのまま上に登っていく。
「……」
妙な胸騒ぎがする。
ここは三階。寮の最上階で、その上は屋上だ。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。