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予選4

 この機を逃す手はない。

 奴を振り払うようにして一気に立ち上がると、そうはさせないとばかりに奴も追いすがる。

 それを待ち受けるように両手をその胸ぐらへ。反射的に奴の手が私のそれを包み込む。

 振り払おうとしてか、或いはもう一度技をかけるためか。まあ、どちらでもよい。私の目的には好都合だ。


 僅かに足を進める。

 狙いを定めて顎を引き、眉山の頂上を相手の眉間に叩き込む。

 「ぐうっ!?」

 鈍く湿った音と僅かな硬さと何かが潰れるような感触。

 ヘッドバット。今回のルールでは有効だ。


 奴の頭が反射的にノックバックする。同時に手を放して腹に前蹴りを食らわせ距離を取る。

 「シャアアッ!」

 立ち直られるより前に上体を振って飛び込む。

 飛び込みつつのジャブ。今度は牽制ではなく布石。

 「シャッ!」

 軌道を反転するように右のストレート。その腕を引きながらもう一度ジャブ。

 打ってすぐに手を引き、直ちにもう一発。

 再びの右――と見せかけてもう一度のジャブ。右を警戒したのだろう奴の腕の横をすり抜けて頬を捉える。


 引きを速く。打ちよりも速く。

 リーチではこちらに分がある。そして素早く打ってすぐに引けば掴むことは出来ない。

 この二つの組み合わせ=もう掴まれることはない。


 「シィッ!!」

 左、右、左、左、右、左、右、左――試合場の端まで追い詰めていく。

 ジャブ、ストレート、ジャブ、ジャブ、ストレート――全て確実に捉えている。

 強力な一撃は我慢だ。それはこいつに反撃のチャンスをやる事になる。

 やるべきは徹底的なアウトレンジ。多少軽くなっても確実に当て、尚且つ掴ませない事。


 「こっ……」

 奴が後退を止める。出血で真っ赤になった顔でこちらを睨みつける。同時にこちらのパンチも一瞬だけ見合わせる。

 「シャッ!」

 「うっ!」

 僅かに出た右足。

 その出端を抑えるようにローキック。


 (よし。さっきより遅い!)

 ただの錯覚か?いや、間違いなく奴の動きは遅くなっている。ラッシュのダメージか、或いはローが効いてきたのか。

 ロー一発では止まらずに更に組みつこうとするが、最早脅威は感じない。


 冷静に切って、ガードが下がった頭にストレート。

 そちらに意識がいったのを見計らって再び腹に前蹴り。

 近づくな。離れろ。私のレンジから出るな。


 「この……っ」

 離れた奴にこちらから詰める――勿論奴からすればアウトレンジで、だが。

 これ以上奴は下がれない。見上げているギャラリーの顔が間近に見える。


 右、左、右――掴まなければ奴は反撃できない=掴ませなければ勝てる。


 「くっ、ぐっ!」

 何とか位置を替わろうとする――逃がすか。

 「シッ!!」

 もう一度のロー。恐らく袴の下は紫色になっている。

 だが止まらない。奴は一気に動く――私から離れる方向に。


 勝った。多分、恐らく、だがかなり高い確率で。

 奴は逃げを選んだ。今までのような誘い込むための動きではない。これ以上打たれないためにただひたすらに距離をとろうとしている。


 つまり、下がったのではない。逃げたのだ。

 その動きをした時点で、もう相手には勝てない。


 下がっても勝ち目はある。だが逃げは勝てない――前世の経験則。

 それを表すように、振り向いた先の奴はもうどうにかできる状態ではなかった。

 恐らく傍目に見ればまだ闘志を捨てていないように思えただろう。

 奴は構えていた。

 私に正対していた。

 ギャラリーからはそう見える姿をとっていた。


 だが、実際は違う。

 向かい合っている私の目に映ったのは、腰が退け、ダメージに動かなくなった足で必死に立ちながら何とか構えを取っているだけの弱々しい姿だった。


 格闘家は痛みを感じない訳ではない。

 痛みに慣れることはあるかもしれない。だが、痛みを感じなくなることは絶対にない。

 そして、肉体的な痛みは精神を弱める。

 どんな人間も拷問に永遠に耐える事が出来ないように、どんな格闘家も痛みがもたらす精神へのダメージから逃れられない。


 奴がまさしくその状態だ。


 「た、たあぁぁっ!」

 その状態で向かってきたのは、賞賛するべきなのかもしれない。

 だけど、悪いね。私も負けられない。


 「はっ」

 奴のそれは最早合気ではなかった。

 ただ腰にしがみつくようなタックル。足が動かず、体が痛みを覚えた状態で出来る精一杯の攻撃――何も怖くない。


 軽く捌いて突放し、同時に蹴りを放つように右足を浮かせる。

 ビクリと足を止め防御を下げる=咄嗟の奴の反応。

 腰の辺りに下がった奴の腕。それに沿うような軌道で肩すれすれを斜めに蹴り上げる。

 右ハイキック。側頭部を蹴り抜く。

 一瞬のスローモーション。奴がゆっくり、ゆっくりと崩れ落ちていく――クリーンヒットした時に特有の感覚。


 どよめきが会場を包み込む。

 その中に沈んでいくように、倒れた奴に飛び込む。

 ――まだだ。まだ動いている。


 「はぁっ!」

 マウントをとるや否やの右。

 それへの反応、そして殴られたという衝撃を奴の脳が理解する前に左。

 更に右。更に左。もう一度、もう一度。

 掴もうと空を切る手をすり抜けて。

 守ろうと顔を覆う手を避けて。

 最早死に体となった相手を殴り続ける。


 多分だが、合気道にこうした攻撃やそれに対する対処は無いだろう。こうなる前にどうにか対処するのだろうから。

 或いはあるのかもしれないが、今のこいつはそんな事出来る状態ではない。

 それに、慣れているのはこちらだ。正確には私ではなく俺だが。


 右、左、右、左――滅多打ち。

 タップするならしろ、だが私は待ってはやらない。

 ましてやそれを勧告することなど絶対にしない。

 悪いね。私は貴女程優しくない。


 左、右、左――そこで初めて、奴の手が私の手に触れた。


 「ぁ、ぅ……」

 痛みにしかめられた眉の下、殴られて腫れあがった瞼の下から、濡れた目が睨みつけている。

 驚異:この状況でまだ闘志は消えていない。


 だが、意味はない。

 だって、奴が掴んだのは私の左手だ。

 だって、左手は殴ってはいなかった。

 左手は奴の髪の毛を掴んでいた。その髪の毛で頭を持ち上げていた。


 だってこれは、ただの準備なのだから。


 「ふっ!!」

 思い切り右を振り下ろす。真っ赤になった顔面の中央めがけて。

 インパクトの瞬間に左手を放す。

 パンチの勢いと重力とが合わさり、奴の後頭部を勢いよく硬い床に叩きつけた。


 或いは左手を掴まなければ、防御は間に合ったかもしれない。

 また或いは私の考えがもっと早く分かれば。


 だが、そうしたIFに意味はない。更に追撃をしようとした私を審判が止めた時点で。

 「ブレイク!ブレイク!ブレイク!」

 指示に従って奴から離れると、審判の手が大の字に投げ出された奴の右手に伸びる。

 その手首を掴み、垂直に上げる審判。そこから不意に手を放すと、支えを失った奴の手はぱたりと床に落ちる。


 「ウィナー、ハンナ・コーデリア・ハインリッヒ・ラ・ラルジュイル!」

 ゴングが鳴り響く中、今度は私の手が上に掲げられた。

 続いて沸き立つ歓声。そして拍手。

 その祝福、苦虫を噛み潰したようなシャーロットを覆い隠すような祝福を浴びて、私は本戦出場を決めたのだった。




※   ※   ※




 「いかがでした?そちらの予選は」

 スパーリングの後、彼女に聞かれた。今日はそれぞれの棟の予選を見てからの練習だった。

 「やはりカルドゥッチさんが勝たれたのですか?」

 まあ、そう思うのも無理はない。

 私だって最初はそう思っていたのだから。


 「いいえ」

 「えっ!では、あの方は……」

 驚いた様子の彼女に、思わず笑いそうになる。

 ――この学校に来てから改めて思うのだが、同い年でも随分性格というのは違うものだ。もっとも、彼女が特別感情豊かな気もするのだが。


 「ええ。本戦にはあの方がいらっしゃいますよ」

 答えながらついさっき見てきた試合を思い出す。

 油断ならない相手――正直な所だ。

 打撃の実力は本物だろう。あのパンチといいキックといい、相当慣れている。

 恐らくはキックボクシングやムエタイ、或いはフルコン系空手辺りの出身だろうか。


 「中々油断できない相手ですよ」

 そう付け足しながら、改めてそう思う。

 打撃だけでなくあの座捕の対応。一瞬だったが、腕を掴まれたままで、それをどうにか対処するのではなく、反対に――恐らくは十字絞め――絞め技を仕掛けて相手に攻撃よりそちらへの対処を優先させるという判断。それを咄嗟に行う精神性。


 「……油断できない相手です」

 「フフッ、随分評価なさっているのですね」

 「ええ。ですが、約束は約束です」

 私がそう言うと、彼女はニッと笑った――多分、私と同じように。


 「「決勝で会いましょう」」

 当然、その時はスパーリングではない。

(つづく)


今日はここまで。

続きは明日に。

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[一言] ガチガチの肉弾戦好きです
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