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ラゲルト(Web Edit)

作者: 巫 夏希



 わたしの名前はキャシー。今三十才でメイドを十二年も続けています。メイドを続けると何かやり過ぎじゃあないかというところが生まれてしまうものかもしれないのですけれど、しかしながら、わたしはメイドとして一人の人間に尽くしてきたというのがわたしの自慢にも自信にも繋がることだったのです。十年という言葉に、随分と長く続けられている、とあなたは思うかもしれません。確かに。けれどそれは間違いではありません。あなたが思うことと、わたしが思うことは間違いではないし、正しいこととは言えないとも言えるでしょうから。ではそれは正しいのでしょうか。わたしは、思います。けれど長年続けてきたことですから、寧ろそれは正しいことだと思うしかないと思っています。思うしかないのです。思わざるを得ないと言っても、何ら過言ではないのです。過言と思うことが、それを過言と言わざるを得ないことだと言うのですから。でしたら、わたしは、はっきりと言ってあげましょう。それは間違いではなく、それは正しいことでもなく、それは真実でもなく、それは欺瞞でもなく、それは疑念でもなく、それは疑心でもないということです。

 では、わたしの昔話をさせていただきたく思っております。それは、十二年前。わたしがメイドとして今のヴィフィキュー家にお仕えになるある一日のことです。その日はとても眩しい太陽が照らす朝でした。わたしはメイド服を身に纏い、ドアの鐘を鳴らしました。ドアの鐘を鳴らして少しすると、鼻を鳴らして恰幅の良い女性が出てきました。壁が出てきたのかと思った程です。その『壁』を、わたしは何が起きているのかさっぱり分からなくて、その場でおどおどしてしまうくらいでした。


「何か用ですか」


 彼女は言いました。さらに続けます。「用事が無いならば、さっさと出て行きなさい。ディクシー通りは、左に曲がって百メートルも歩けば見えてくることでしょう。パンプキシン通りならば、右に曲がって同じく百メートル。何せ二百メートル平方の面積を持っているのが、このヴィフィキュー家ですから」


「違います。わたし、このヴィフィキュー家に勤めるためにやってきたのです」続けます。「わたしはこのヴィフィキュー家に勤めるために、仕事をするために、やってきたのです。それでもあなたは、わたしを否定するのですか」

「否定するつもりはありませんよ」


 続けます。


「否定したところで、ご主人様の意向が変わることはありませんし、有り得ません。ですから、わたしは、それを否定しません。どうぞ、お入りなさい。あなたがヴィフィキュー家のメイドになるというのなら、わたしは、あなたの代わりになるということなのだから」

「逆じゃあないですか、わたしがあなたの代わりになる。それを言いたいのでは」

「話をすり替えるのではありません。ご主人様に挨拶をなさいますか」

「ええ、当然です」




 ヴィフィキュー家は、とても広い屋敷でした。でした、と過去形で纏めてしまうのもどうかと思うのですが、それは追々話す事が出来るかと思います。いつ話す事が出来るやら。歩いている間にわたしはいろいろな話を聞きました。部屋は五十を超えるとか、メイドは一人だけれどそれ以外の人間が二十人近くいて、それを取り纏めるのがメイドの役割だとか。それならわたしがやる仕事は思ったよりも頭脳を使うことになりそうで、思ったよりも難しい話になりそうだなと思いました。難しい話になるならば、ヴィフィキュー家のメイドは務まらない。彼女はそんなことを言い出しながら、十分程の時間をかけて、当主様――つまりご主人様の部屋へ到着しました。

 ご主人様の部屋に入るとき、わたしの前に立っていた彼女は、三度ノックしました。


「ヴィフィキュー家のメイドになるのならば、覚えておきなさい。ご主人様の部屋に入るときは、必ず三度ノックをして、」

「どうぞ、入ってください」


 部屋の中から、壮齢の男性の声が聞こえる。


「ご主人様の声が聞こえたら、入るのです」

「わ、分かりました」


 思わずわたしは声をくぐもらせてしまいました。それはきっと、わたしの中で『ここはどこか可笑しい』と思う節があったのでしょう。あったとしても、それが正しいということを思い込むしかないということは、間違いの無い事実だったのでしょう。


「失礼致します」


 深くお辞儀をして、メイドは中に入ります。わたしも一瞬遅れてお辞儀をすると、そのまま中へ入っていきました。

 部屋は広く、たくさんの本棚に包まれていました。本棚が壁となっていたのです。或いは、壁が本棚となっていたのかもしれません。そして、窓側に大きなテーブルを置いて、そこにチェアが置かれていました。チェアには一人の男性が腰掛けており、本を読んでいたのか、その本にしおりを挟んで、本を机の上に置きました。机の上には本がたくさん並べられており、何か別の物を置く隙間がない程でした。


「新任のメイドをお連れ致しました」


 彼女は言うと、わたしに視線を送ります。わたしに何か言え、とでも言いたげでした。わたしは言いました。


「キャシーと申します。本日から、よろしくお願い致します」


 私はそう言いました。

 ご主人様は、わたしの言葉を聞くと。


「そうか、よろしくお願い致しますね」


 それを言って、また本を読み進める作業へと入っていきました。それはまるで、自分の世界へ入っていったかのような……。


「これ以上、長居は無用です。わたしは、あなたの部屋を案内せねばなりません。何せ、わたしはあなたの前任者となるのですから。ということは、引き継ぎが終わったらわたしは出て行かねばなりません。そうでしょう、そうではありませんか」

「この広大な屋敷を、わたし一人でやりくりせねばならないのですか」

「あなた一人ではありません」


 彼女は言いました。


「皆で乗り越えるのです」




 それから。わたしのメイドとしての修行が始まりました。メイドといっても、わたしの役割は既に殆どの人が行っていて、それではわたしは何をすれば良いのかと思っていたのですが。


「中間管理職?」

「そうです。庭師のグレイシー、坊ちゃまの家庭教師であるメアリー、調理師のレフィア、掃除担当のマーガレット、皆を管理するのがメイドであるわたしの仕事です。あなたには、それを引き継いで貰います」

「で、でもメイドと言えばご主人様の給仕などをするのでは」


 わたしはメイド学校で習った知識を彼女に伝えました。

 それに対して、彼女は笑ってこう言いました。


「そんなこと、有り得ません。普通の屋敷ならば、それが適用されることもあるでしょう。しかしながらこのヴィフィキュー家では、そんなルールが適用されないのです。ご主人様が決めたルールにわたし達が従っている、とでも言えば良いでしょうか」

「ルールに……従っている?」

「あなたは、ルールについてどうお考えですか」

「わたしは人が人として生きていくために、ルールは重要であると考えています」

「三十点」

「へ?」

「三十点の回答であると、おっしゃっているのですよ」


 彼女はさっきとは打って変わって、笑うことなく言いました。


「まったく。わたしの後任があなたなんて信じられません。わたしがもう少し影響力を持っていたら、全力で拒否をしていたのでしょうけれど。今は致し方ありませんことですね」

「……何かあったのですか?」


 わたしの問いに、彼女はまた無表情を貫き通しました。


「何でもありませんよ。強いて言えば、老害と呼ばれたくないだけの話です」

「しかしあなたは、今までここを管理し続けた。それは素晴らしいことではないのですか」

「素晴らしいこと、ですか。果たしてそれをご主人様がどう思うか。鬱陶しいと思っているかもしれません。或いは、それ以上の感情を持っているかも。いずれにせよ、ご主人様は表に感情を出さない人間ですから。それが良いということで取引相手も多いのでしょう」

「……ご主人様、ヴィフィキュー家は何を生業としているのですか?」


 それを聞いたわたしの質問があまりにも素っ頓狂だったのか、目を丸くしていました。


「あなた、それも知らないでこのヴィフィキュー家のメイドに志願したの?」

「正確には、志願させられた、とでも言えば良いでしょうか」


 メイドはフリーのメイドが全員、というわけではない。給仕管理所という場所があり、そこからメイドが短・長期間で派遣されるのだ。わたしもその例に漏れず、その給仕管理所から貰った仕事を受けに来た次第ではあるが――。


「正直に言うのね。嫌いじゃあないわ、その性格。サバサバしているところも、ね」


 そう言って、彼女は歩き出しました。わたしはそれを見て追いかけていきます。

 わたしの知るところでは、彼女はとても変わった性格でした。変わった性格、というよりも冷たい性格、といったほうが良いのでしょうか。いずれにせよ、わたしはそれについていくしかなかった訳ですが、ついていくところで何が生まれるかといわれると何も生まれない。メイド学校で学んだメイドの知識をここでは一切使わない訳ですから。既に『メイド』という役割を担っている人間は複数人居て、わたしはその管理をしていくだけに過ぎない。そう言われて、わたしはひどく落胆しました。その頃の日記にもきっと書いているはずです。



 ――このままでやっていくことが出来るのか、と。



 少しぐらい仕事を分けて欲しい、そう思ったぐらいです。しかしわたしが仕事をすると、仕事を奪うことになるからやってはならないと彼女に怒られてしまうわけです。それが、とても余所余所しく聞こえるのです。わたしは数ヶ月の間、それに耐え続けました。彼女が異動になるという、その日までです。

 いや、正確には彼女が異動する三日前まで、でしょうか。

 その日に事件が起きました。事件といっても、人によっては大きな事件ではないと言い出すかもしれませんが、いずれにせよ、わたしにとってはそれは大きな事件でした。大きな事件だったのです。




 夜遅く、わたしはマーガレットにたたき起こされました。


「マーガレット、どうかしたの?」


 わたしはマーガレットとは仲良い関係を築いていたつもりでした。つもり、というのはわたしは仲が良いと思っていてもマーガレットはそう思っていないかもしれない、ということから『かもしれない』と言っているだけにすぎないのです。ただ、それだけの話なのです。


「大変です、ラゲルトさんが!」


 ラゲルト。それはわたしの前任者になる管理者のメイドでした。そして、余所余所しく感じていた原因を、わたしはその後に知ることになるのでした。

 急いでメイド服に着替えて、わたしはラゲルトの寝室へ向かいました。ラゲルトは息も絶え絶えといった状態でした。既に白衣を着た医者が椅子に腰掛けており、聴診器で彼女の容態を確認していました。それだけで、今何が起きているのか、今急を要する出来事が起きているのだということを実感しました。


「彼女は、いったい」

「癌だよ。進行性の、ね」


 そう言ったのは、ご主人様でした。


「……ご主人様は、分かっていたのですか?」

「分かっていたよ。彼女は包み隠すこと無く、病状を明らかにしてくれた」

「わたしには、一度も話してくれやしなかったのに……?」

「それは、きっと、やせ我慢じゃあないかな」

「やせ我慢……?」

「そう。彼女は『優しくされる』のを拒んだ。だから僕にはきちんと話してくれたけれど、いつその病気が進行するか分からないから、後任を立てた上で元気なうちに辞めてもらうつもりだったんだ。けれど、意外と見つからなくてね……。結果、ここまで伸びただけだ」

「最後に、患者が話をしたいそうです。……どなたにですか?」


 ラゲルトは、わたしを指さして、目を瞑りました。


「分かりました。では、少しだけ席を外しましょう。いいですか、もし何かあったら外にいますから直ぐにわたしたちを呼ぶのですよ?」


 こくり。わたしは頷きました。そして、一人、また一人と部屋を出て行き、最後にはわたしとラゲルトだけになりました。

 ラゲルトは弱々しい声を出して、わたしに訊ねます。


「……本当は、あなたには何も言わないつもりで出て行くはずだったのですが。迷惑をかけますね」

「なぜ、言わなかったのですか」

「はい?」

「なぜ、わたしに言わなかったのですか!」


 わたしは震える腕で、彼女の手を握った。弱々しい、細い腕だった。恰幅の良い彼女はどこへ消えてしまったのだろう。誰が奪ったのだろう。誰が盗んだのだろう。取り返してやりたい気分だった。


「……あなたが、わたしの若い頃にそっくりだったからですよ」


 それだけを言って、彼女は、眠りに就いた。

 安らかな寝顔だった。

 そして、永遠に目覚めることは無かった。


「……ラゲルト……さん……!」


 彼女の冷たくなっていく手に、ぽたり、ぽたりと、わたしの涙が落ちていく。

 しかし彼女は反応しない。彼女の魂は、天国へと旅立ってしまったのだから。

 そして、わたしは泣いて泣いて、泣き尽くした。




 これにて、わたしの昔話はお終いです。わたしは、十二年勤めて漸く皆の仕事ぶりの管理を出来るようになった、と自覚出来るようになりました。ご主人様が言うには、ラゲルトがわたしの仕事を出来るようになるまで十四年かかったそうです。となれば、二年わたしのほうが優秀だったのでしょう。そうだったのでしょう。……そうでしょう、ラゲルト。わたしのことを、ずっと遠くから見つめているのでしょう。見つめていて欲しいのです。見つめていてください。

 わたしは、日課にしていることがあります。裏庭にある、ラゲルトの墓に花を置くことです。掃除をすることです。これだけはほかの人間に譲るわけにはいかなかった。ラゲルトのことをずっと見ていたわたしだけに許された、仕事だと思っていました。掃除を終えて、お茶をラゲルトの墓前において、わたしは呟きます。いつも、いつも、同じ言葉を。


「わたしは、あなたのようになれましたか?」


 その答えを、わたしはずっと待っている。





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