開発
お久しぶりです。大変遅くなりました。
一五二三年 下野 祇園城 小山犬王丸
あの猿山合戦が起きてから数ヶ月が過ぎ、夏の風物詩である蝉の鳴声もすっかり聞こえなくなった。
城から見える周囲の景色も青々しい緑一色から、無事に実りだした稲の黄金色や来るべき冬の到来を告げるかのように黄土色や紅色に染まる木の葉が色鮮やかに光景を彩っている。その色鮮やかな景色と所々にぽつんと点在する木造の民家と組み合わさった光景はのどかで美しく、視界を高層ビルやアスファルトに占められて排気ガスによって空気を汚染されていた平成の都会という灰色の世界とはまるで違う世界だ。
だが、この美しい景色は収穫を迎える農民達にとっては厳しい時期の幕開けを告げる予兆なのかもしれない。収穫をし終えると農民に待っているのは年貢の取り立てと農閑期に起きる戦の徴兵だ。まだ兵農分離が進んでいないこの時代の戦は農兵が主体で、それ故に農民を戦に動員できる農閑期が戦が行われる時期ともいえた。
我が小山家も夏に宇都宮と結城が戦をしたということで城内は少々騒がしくなりつつある。重臣達の反旗によって宇都宮城を追放され、壬生氏の支援を受けて鹿沼城へ南下してきた忠綱だが、彼は宇都宮城への帰還を諦めていなかった。
しかし追放された忠綱に自前の兵力はないに等しく、今後動員できるのは基本的に壬生の兵のみと忠綱が当主だったときと比べて軍事行動がかなり限られてくる。
忠綱を支援している古河公方の援助を含めても今の忠綱に従う兵は大きく見積もっても三千を下回ることは確実。だが兵の数は減っても忠綱側には壬生綱房、中村玄角といった優れた将が控えているので未だ小山家にとって脅威であることに違いはなかった。
いつ忠綱が攻めてくるか父上達が頭を悩ませる中、俺は祇園城の片隅にいた。
「犬王様、職人達が集まりいたしました」
そう俺に告げたのは新しく俺の小姓になった小山弦九郎政則。大膳大夫の孫で歳は今年で十五。このあいだ元服したばかりらしい。
第一印象は生真面目そうな青年で、俺が若年だからといって侮るような様子もない。
「わかった、すぐに行こう。案内いたせ」
「真に彼らと会うつもりですか。彼らに何か作らせるのなら、代使いの者を代わりに寄越せば良いではありませんか。わざわざ犬王様が足を運ばれる必要はございません」
弦九郎は俺が職人達の前に出ることに反対のようだ。まだ子供である俺が表に出ることが危険だという弦九郎の気持ちも理解できるがこの件はすでに父上と弦九郎の祖父である大膳大夫から条件付きで許可はもらっている。その条件は護衛として屈強な家臣を供につけること。なので職人達と会う際は後見人の大膳大夫、小姓の弦九郎とあとひとりに加えて数名の護衛が側に控える形となる。
大膳大夫や弦九郎と共に職人達に姿を現すと彼らは一斉に平伏した。大膳大夫が頭を上げるよう指示すると、職人達は恐る恐る顔を上げた。だが彼らが見ていたのは大膳大夫で俺がいることに気づいていないようだ。
大膳大夫もそのことに気づいたらしく、
「今回お主達を呼んだのは他でもない。新しい道具を作ってもらうためだ。そしてその新しい道具を考案されたのがこの小山犬王様である! 」
大膳大夫の一言で職人達の視線が一気に俺に集中する。
だが彼らの目からは困惑と疑心そして落胆の色が濃い。目の前にいる幼児が新しい道具を考案したと言われれば無理もない。普通なら信じられないし、仮にそれが本当だとしても、子供の玩具を作らせるために呼ばれたのかと不満に思うだろう。
だからいきなり物を作らせるのではなく、まず彼らの疑念を払うことが先決だ。
「小山左京大夫(政長のこと)が長男犬王丸だ。お主達の困惑はよくわかる。儂が新しい道具を考案したと言われても素直に納得できないだろう。だからまずこれを見てもらいたい。民部、例のものを彼らに」
「はっ」
俺に呼ばれて、大膳大夫や弦九郎、護衛とは別に控えていた若い男が一枚の紙を持って職人達の前に差し出した。
彼の名は谷田貝民部。小山家の中級家臣で職人達と交流があるため、職人との繋ぎの役目としてこの場に呼ばれていた。そして彼にはそれ以外にもうひとつの役目があった。
民部が職人達の前に出した紙には農業チートの代名詞である千歯扱きの設計図が書かれている。
千歯扱きは史実では江戸時代に開発された脱穀農具で木製の台の上から鉄製の櫛状の歯が水平に突き出した形をしている。それまで脱穀は扱箸と呼ばれる大型の箸状の道具でひとつひとつ穂を挟んで籾をしごき取っていた。だがこの千歯扱きが完成すれば脱穀の能率が飛躍的に向上し、短時間でより多くの稲穂の脱穀ができるようになる。もちろん欠点も存在するがそれは別の機会にしておこう。
「これは一体…… 」
「それは新たな脱穀用の農具の設計図だ。これができれば農民の負担も少しは改善できるだろう」
ちなみにその設計図を書いたのは民部だ。残念ながら俺のこの小さい手では筆を握るのが精一杯で、設計図どころか文字すらまともに書けない。なので手先が器用で職人の知識もあるという民部に口頭と地面に簡単な絵を描くなどで千歯扱きを説明して設計図として書いてもらった。最初は疑問点だらけだったにもかかわらず、俺の拙い説明や絵だけでほぼ完璧に千歯扱きの性能と形態を理解した民部は本当に頭がいいってレベルじゃない。今後は本格的に民部を開発担当にしようかな。
民部が書いた設計図は職人達から見てもかなり分かりやすいらしく、彼らも千歯扱きの性能を理解できたようだ。
俺が考案した千歯扱きは史実のように櫛状の部分が鉄ではなく竹になっている。本当なら史実のように鉄製にしたかったのだが、国人に過ぎない小山家にとって鉄は貴重な存在であるため、農具に鉄を導入するのは諦めざるを得なかった。それでも一応設計図の隅に鉄の方が望ましいと注意書きしてある。いずれ小山家の経済状況が改善したら導入できるだろう。
それと千歯扱きと一緒に殻竿というものを作ってもらうように頼んだ。これで千歯扱きでは脱穀しきれなかったものを叩いて脱穀すれば扱箸よりは効率的だ。
今年の収穫期までに完成させるとはいわないけど、来年までには使えるようにはしたい。
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