蒸留器
下野国 祇園城 小山犬王丸
「なんと蒸留器の試作品が完成したのか!」
開発担当の谷田貝民部から蒸留器の試作品が完成したという報告を受けた俺は思わず大声を上げてしまった。声を上げた俺もそうだが民部も喜色を隠しきれていなかった。それだけ今回の報告は吉報だった。
蒸留器は長年研究し続けていた物であり、俺自身も製造に力を入れてきたが、俺も蘭引という江戸時代に使われていた蒸留器の外見程度の知識しかなかったので開発はほぼはじめからだった。数年がかりで試行錯誤を繰り返し、ああでもないこうでもないと議論や研究を重ねた結果、ようやく試作品の完成まで持ち込めるところまでくることができた。
「それで実験はいつやるのだ?」
「準備が整い次第すぐに始めようかと考えています。場所は城の方がよいでしょう」
「そうか。実験当日は俺も参加させてもらうぞ」
「かしこまりました。職人たちにも伝えておきます」
「しかし長かったな。始めたのは俺がまだ家督を継ぐ前だったか?」
懐かしそうに当時のことを振り返る。あの頃はまだ俺が長福城にいたときだった。最初に職人たちの工房を自ら訪ねてこういった物を作ってほしいと言ったときの職人の顔は今でも忘れられない。困惑と不審そうな表情。しかし俺の曖昧な説明に首をかしげながらも真剣に話を聞いてくれた職人たちには感謝しかない。
そこから始まった蒸留器作りは苦難の連続だった。俺は蘭引の外見はわかっても内部の構造に詳しいわけでもなかったし、職人たちに蒸留のことを説明するのだって一苦労だった。職人たちは拙い説明だけで本当によくやってくれたと本当に思う。
俺は家督を継ぐことになっても工房に通って話し合うことを続けていたがここ最近は忙しさで通うことが難しかった。そんな中でも職人たちは試作品の完成にこぎつけた。
そして実験当日。実験に使うどぶろくを用意しながら制作に関わった職人たちが到着するのを待つ。蒸留器のことを知らなかった重臣たちも興味津々らしく同席を求める声も多かった。職人たちが到着すると彼らは俺以外に重臣たちも同席していることに驚いていたが、民部が経緯を説明するとホッと胸をなで下ろしていた。なんでも何か不興を買ってしまったのか不安になったらしい。当日になったら重臣の多くが同席しているなんて職人側からしたら驚くのは当然だった。
「さてこれが例の試作品か」
「へい、調整に調整を重ねてこの形となりやした」
職人のなかで中心格だった与作という男が答える。
「見た目はいい感じだ。肝心なのは性能になるが果たしてどうなるか」
蒸留器にどぶろくを注ぎ、蒸留された液体が出てくる部分に陶製の小皿を置く。そして蒸留器の底に火をかけた。正しくできていれば蒸留器から蒸留された液体がでてくるはずだ。しばらく誰もが固唾を呑んで見守っていると、蒸留器の蒸留された液体が出てくる筒状の部分から一滴の透明な液体が小皿に落ちた。
周囲からざわめきが生まれる。しばらくしてまた一滴また一滴と小皿に滴り落ちる速度が次第に早くなっていく。やがて液体が小皿を満たすとどこからか喝采の声が上がった。
「御屋形様、この液体は一体……」
実験を見ていた藤岡佐渡守が俺に液体の正体を尋ねてくる。
「それはこれからのお楽しみだ。佐渡守、試しに舐めてみるか?」
そう佐渡守に返すと佐渡守は一瞬躊躇した後、「では失礼して」と指先を小皿につけると指についた水滴を口に含んだ。
「ゴッ、ゴホッゴホ。こっ、これは酒でございますな。いやにしてもこんな強い酒は初めてでございます!」
一度むせながらも佐渡守は驚愕した。目を大きくしてまじまじと自身の指を見つめている。様子を見守っていた家臣たちも驚きの声を上げている。実験は成功だ。佐渡守の言うとおりならできあがったのは蒸留された酒なのだから。
「強い酒だったか佐渡守。ならば実験は成功だ。これで念願だった酒精の強い酒を造ることができた。皆の衆、本当によくやってくれた!」
俺の声に職人たちはやっと自分たちが満足できた物を作ることができたことを実感し、喜びを爆発させた。俺はその様子に満足し、こう続けた。
「今回の手柄はこの与作ら職人たちである。その褒美にこの小皿の蒸留酒を与えることにする」
すると今度は職人たちが驚いて動きを止めた。そして俺が自ら小皿を与作に渡そうとすると与作の手が笑いそうになるほど震えていた。
「おいおい、それでは溢してしまうぞ」
「ほ、本当によろしいので……」
「当たり前だ。なんならこの蒸留器に入っている酒ごと褒美で与えてやろうか」
「ひぃ、と、とんでもございませぬ!この小皿分で十分でごぜえます」
恐る恐る受け取った与作は職人たちと大切そうに回し飲みする。すると飲んだそれぞれが急に涙を流しはじめた。
「これ、本当におらたちが造ったんだべさ?こんなうまい酒は今まで飲んだことねえだ」
「こんな強い酒は初めてだ。こんなん飲めたらもう思い残すことねえべ」
どうやら与作たちはこの酒の味に感動してしまい泣いていたようだ。重臣たちは小皿が職人たちに渡って残念そうにしていたが今回は我慢してもらうことにしよう。
「泣いてるところ悪いが、与作たちにはまだ仕事が残っているぞ。この蒸留器の完成品を作るという仕事がな」
俺の言葉に与作らはハッとするとすぐに職人の顔に戻る。
「任せてくだせえ。遠くないうちにこの蒸留器とやらを完成させてみせますぜ」
「頼んだぞ。上手くいけばお前たちにもさっきの酒を流通できるようになるかもしれないからな」
「なんと。それは余計に気合が入りますぜ」
蒸留器の実験は成功に終わった。今回のことで蒸留器から強い酒精の酒すなわち焼酎を造ることができた。まだ少量だが次第に量を増やしていければいずれ大量生産が可能になるだろう。焼酎は強い酒精の酒ということで希少価値はかなりある。将来的には小山の名産品として取り扱いたい。だからこそ今回の実験が成功したのは大きかった。
そしてしばらくした後、完成品が祇園城に納品され、俺は職人たちに新たに褒美を与えた。これで焼酎の生産が可能になった。しばらくは城内での製造になりそうだが時期がきたら城下でも生産できるように整備していくつもりだ。
「面白かった」「続きが気になる」「更新がんばれ」と思ったら評価、感想をお願いします。




