決裂
下総国 古河城
古河城下の水田の稲穂が青く色づく初夏の季節を迎える頃、純朴な風景とは裏腹に古河を巡る事態は大きく動きはじめた。
古河城では晴氏と高実の対立が決定的になっており、家中は晴氏派と高実派で分裂しつつあった。しかし公方である高基は事態の収拾を図ろうとしなかった。
「最近の高実の横暴は目に余ります。まるで自分が後継者になったかのような振る舞いが目立ち、家臣たちにも無理な命令もしており、これ以上放置していては家中に悪影響を及ぼします」
ついに晴氏は高基に直談判し、高実の横暴をなんとかするよう強く要請するが、例の如く高基の返答は不明瞭なものだった。
「しかしなあ、害意があるものではあるまいし、気にするようなものでもなかろう。そなたも弟を敵視しているから気になるだけだろうよ」
「敵視しているのはあちらの方でしょう。誰が吹き込んだか知りませんが、明らかに今の高実は立場を逸脱しております。父上はそれすら理解できず、家中の分裂すら解決する気がないのですか!?」
晴氏の怒号にも高基は動じることなく、用がないなら下がれと言ってこれ以上の論争を避けようとした。高実の振る舞いは晴氏の言う通り度が過ぎてるかもしれないが、高基からしたら高実に立場を弁えるよう言うつもりはなかった。
なぜなら高基は自分を邪険する晴氏が古河公方になることに危機感を募らせていたからだ。もし晴氏が古河公方を継いだ場合、不仲である自分がどうなってしまうのか高基は恐れていた。高基には不仲であった父政氏を追放した前科がある。もしかしたら自分も同じことになってしまうのではないかと危惧していた。
それならば晴氏の対抗として高実に公方を継いでもらった方が自らの身の安全を保てるのではないかと思案していた。そのため高基は晴氏が家督を継ぐとは一度も明言してこなかった。
晴氏には北条との縁談の話があるが、高基は仮に高実が公方になれば晴氏は廃嫡にして北条との縁談は高実に移せばいいと考えてもいた。
だがらこそ晴氏の問答にはのらりくらりと答えてこなかったが、今回はいつものように晴氏が引き下がることはなかった。
「もう父上に期待することはできん。これ以上黙って従うつもりはないぞ」
高基・高実親子の横暴に我慢の限界を迎えた晴氏はついに自分を支持する簗田・小山・結城らに兵を集めるよう手紙を出したのだ。
この行動には岩付にいる政氏の影響が大きい。政氏は北武蔵の有力者で、山内上杉家の被官である忍城主成田親泰を通じて孫の晴氏とつながっていた。政氏は自身の経験を晴氏に伝えて晴氏の高基への反感を高めさせていた。また自身の寿命のことを匂わして晴氏に早めに動くよう発破をかけていた。
政氏の匂わせを受けた晴氏は後援者である政氏の身を案じると同時に次第に政氏が健在であるうちに動くべきではないのかと考えるようになった。そんな中、先ほどの高基の態度が晴氏の覚悟を決定づけた。
このままでは古河は周囲から見限られて終焉を迎える。高実の振る舞いすら注意できない公方に家臣たちはついてくるのだろうか。また素直に従っていたとしても本当に自分は家督を継げるだろうか。
不満と不安が混ざり合い、晴氏の高基への不信感は最大限にまで高まった。そしてついに自らの手で高基を排除して古河公方の座を奪うことを決意したのだ。
晴氏は他勢力が介入する前に集めた兵で内部と外部から古河城を攻めんとしたが、直朝ら側近たちは慌てて晴氏を止める。
「古河の城は堅固でそう簡単には落ちないでしょう。それに城を攻められたとなると多くの者が城を守るべく集まります。城を落とすのは態勢を整えてからの方がよろしいのではないでしょうか」
「だが態勢を整えるといっても具体的にどうするつもりだ」
「それは、先に若様が古河とは別の拠点に移ることです。今の公方様も昔は宇都宮を拠点に活動しておりました」
高基は永正の乱の際に宇都宮成綱のもとに匿われながら宇都宮城を拠点として古河城攻略をおこなっていた。直朝はそれに倣って晴氏に別の拠点に移るように懇願する。
「そなたらの言い分は理解した。では移るとしたらどこにしたら良い?下総の結城か?それともやはりお祖父様に倣って小山に移るべきだろうか」
「いいえ宇都宮にすべきでしょう」
「宇都宮か……しかしだな」
議論は結城か小山か宇都宮か、そもそも拠点を下野か下総かどちらにすべきなのか次第に白熱していく。簗田は立地的に下野勢の援護を受けにくいので早々却下となったが、結城・小山・宇都宮の三つのうちどこにするのかで意見は真っ向から割れていた。
晴氏は古河に近く、早々晴氏派で固まった小山を拠点にすると主張したが、直朝らは下野の実力者である宇都宮を拠点にするべきだと述べる。また結城を推す者も少数いたが小山や宇都宮ほど利点を挙げられず議論は小山と宇都宮のふたつに絞られた。
「たしかに宇都宮は頼りになるかもしれんが、今の情勢では迂闊に宇都宮を信用することができん。興綱が主導権を握っていないのは明らかで、芳賀らが主体で動くだろう。だが小山はどうだ。当主は若いが器量があり、小山の地も昔とは比較にならないくらい発展しておる。既に晴氏派で固めたという手紙が嘘でなければ家中も統一できていると言っても過言ではないだろう」
「しかし小山は政氏様を追放した過去がございます!」
家臣たちはかつて小山家が犯した過去を指摘する。つまり晴氏派で固めたといっても土壇場で裏切られるのではないかと懸念していた。
しかし晴氏はそれを否定する。なぜなら政氏から事の真意を伺っていたからだ。
「それは違うな。お祖父様は小山のことを裏切ったとは思っていなかった」
当時味方が敗れ、政氏方は敗北がほぼ決まっていた。政氏は小山家の忠誠に感謝しこれ以上の抵抗は無意味だと言った。しかし時の当主成長は最期まで戦うことを頑迷に主張し、降伏を進めた政氏の提案を拒絶していた。
そこで現れたのが政長だった。政長は一人で強硬論を主張し続けた成長を無理矢理隠居させて政氏に高基に降伏することを告げた。政長は政氏に最後に裏切る形になったことを詫びるとともに政氏を安全地帯だった扇谷上杉領の岩付に送り届けた。それが小山家の裏切りの真実だった。
そのため政氏は小山家が裏切ったとは思っておらず、寧ろ最後まで忠誠を誓ってくれた家であると感謝していた。政長は家を守るために裏切ったと思っていたらしいが、政氏からしたら渡に船だったようだ。
晴氏の口から真意を聞かされた直朝らはこれ以上の議論は不要だとし、晴氏の主張する小山家の祇園城を拠点することに決めた。
晴氏は拠点先が小山に決まるとすぐに書状を用意して晴氏の拠点を祇園城にすること、そのため晴氏を迎える準備をすること、高実の動向に注意することを書き記して小山家へ送る。
「さてこれからは勝てば公方、負ければ反逆者のどっちかじゃ。各々覚悟はできているだろうな」
「「「「おう!!!」」」
晴氏の近臣たちは覚悟の眼差しで晴氏の喝に応える。ここから先は彼らは公方に逆らう反乱者だ。生き残るには晴氏を勝たせる以外に道はない。乱世の嵐はすぐそこまで迫っていた。
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