不穏な噂
下総国 古河城 足利晴氏
父の命じた謹慎は大失敗に終わった。命令違反という名目で儂は謹慎を命じられていたが、その処分は理不尽だと関宿城主で重鎮の簗田高助や援軍勢として戦に参加していた小山や結城から嘆願する書状が相次いで届いたのだ。
彼ら曰く、晴氏様は公方様の命は守ろうとしていた。戦で自ら動いたのは戦況の悪化が原因でやむを得ない事だったと弁明しており、自身の言い分と同じ内容だった。
父は嘆願書を見たときは儂を庇っていると思い、相手にしようとしなかったが、相次いで届くとさすがに無視できなくなり、彼らの言い分は正しいのではないかと考え直すようになったという。そしてようやく嘆願に折れてすぐに儂の謹慎を解くよう指示をした。
しかし父の失策はまだあった。父は元服を果たした高実を儂の謹慎期間中に政務に関わらせていた。だがこの時期での高実の登用は以前から燻っていた晴氏廃嫡説に真実味を持たせてしまったのだ。
家臣らの中には父が儂を謹慎させている間にそれまで存在を無視していた高実をいきなり登用したのは、儂を廃嫡にして後釜に高実を据えようとしているからだと考える者も現れ始めてしまった。
父との不仲は古河足利家では最早公然の秘密だ。そこに庶子とはいえ高実が入ってきたら邪推する者が現れても不思議ではない。
儂の頭を冷やさせるための謹慎が却って余計な反発を招いてしまったことに父は今更ながら気がついたようだ。
儂を支持する勢力は父が思っているより大きく、戦果のあった者を謹慎にさせた父の行動も家臣らに不信を抱かせる一因になっていた。
このままでは廃嫡の噂が収拾できないくらい広がってしまい、最悪家を割ることになってしまう。父は側近らを集めて今後の方針を話すことにしたようだ。そこには一色直頼もいた。
「このままでは晴氏が暴発しかねん。そこでだ、儂は伊勢、いや北条と手を結び、氏綱の娘を晴氏に嫁がせようと思う」
「北条とですか?しかし……」
「奴らは小弓とも結んでいたと言いたいのか?だが今は奴らは手切れしている。利害関係がぶつかった今、昔のような立場には戻れんはずだ」
北条は小弓とは房総半島を巡って対立しており、処によっては小競り合いが発生している。そこで小弓と対立しているうちに古河と北条で同盟を結ぼうと父は考えていたようだ。北条は扇谷上杉を圧迫して勢力を拡大させており、その力を利用したい古河と外様ゆえ権威が欲しい北条。利点は一致していた。
古河も今のままでは小弓の侵攻を抑えることができない。それを理解している側近たちも外からきた北条に良い印象はなかったものの、仕方ないと割り切り古河と北条との政略結婚に賛成せざるを得なかった。
またこの政略結婚は晴氏廃嫡の噂を払拭するための策でもあった。儂に嫁を与えるということは儂を廃嫡にしないという父の意向を示す形として認識されるからだ。
だが直頼が言うには父は大々的に廃嫡を否定しなかった。それは儂の廃嫡をまだ諦めていないということに等しかった。直頼から情報を聞いた儂は溜息をついたのだった。
「嘆願してくれた犬王と左衛門督、そして中務には感謝しかないな」
「皆も若様のご活躍を目の当たりにしていましたから憤ってくれたのでしょう。しかしまさか小山と結城まで嘆願してくれるとは思いませんでした。もし嘆願が簗田様だけだったならばここまで早く謹慎が解かれなかったでしょう」
「だが中務が動いてくれたおかげで他の者も動いてくれたのだ。一番の功労者は中務だろう」
謹慎から解放された儂は鈍っていた身体を動かすため木刀を振るっていたが、その最中に周囲から不穏な話が耳に入る。それは例の廃嫡についての噂だった。父が噂を払拭しようとしていても、すでに家中に廃嫡の噂は広まっていた。それも本人の耳に入るまでに。
八郎は慌てて噂を口にした者を怒鳴りつける。
「八郎、この噂はいつ頃から広まりだした?」
「あ、あの、若様。そのような噂など信じてはなりませぬ!」
「いいから質問に答えよ。いつからだ?」
静かだが圧のある晴氏の態度に直朝は答えざるを得なかった。
「……若様が謹慎させられてからすぐでございます。若様の謹慎中に高実様が政務に参加し始めてから急速に広まりだしました」
「やはりか」
儂は癇癪を起こすこともなく、直朝に高実のことを探るよう命令したあと再び木刀を振るいだしたのだった。
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