高基と高実
下総国 古河城
「兄上が公方にふさわしいかどうかですか……?それは、そうですね」
そこまで言うと高実は言いよどんでしまう。まさか父親から兄が公方にふさわしいかどうか聞かれるとは思わなかった。それに下手に発言すれば自身の立場が危うくなってしまうこともあって、緊迫した空気の中、高実は慎重に言葉を選びながらたどたどしく答える。
「私は、兄上が公方にふさわしくないとは思ってはおりませぬ」
「ほう」
高実の回答に高基は低い声でそう一言発しただけだった。明らかに機嫌を悪くした高基の様子に高実は機嫌を損ねたことに気づき、慌てて言い加える。
「しっ、しかし、兄上の振る舞いは公方としていかがなものかと存じます。兄上は足利家の人間としては少々粗暴だと思っております」
高実は高基の意向に沿わんとばかりにあらん限りの言葉を用いて晴氏を非難する。
高基はしばらく黙って高実の話を聞いていたが、高実が言い終えたと同時に、
「用は済んだ」
とのみ言い残して、高実に目もくれずさっさと部屋から去るよう促した。
高実は声を上げることなく高基に言われたとおりに部屋を後にしたが、内心どう振る舞えばよかったのか途方に暮れていた。
庶子である高実は母親の身分が低く、母方の実家も後ろ盾にならない状態で家中では晴氏の予備以外に存在価値がなかった。当然高基からの見向きされておらず、今回のようにじっくり話したのは初めてのことだった。
高実は今回のことを好機に父からの心象を良くしたいと考えていたが、振られた話題が兄晴氏の是非だったことに動揺してしまい、そんな余裕は吹き飛んでしまった。しかも最初の回答が父の機嫌を損ねてしまい、慌てて弁明したが結果は芳しくなさそうだった。
おそらく高基が望んでいたのは晴氏の否定だったのであろうが、庶子で地位が不安定な高実に正統な後継者である晴氏を完全に否定することは難しかった。話し合いの後半では高基の意向に沿ってそのような発言はしたが半分は本心ではなかった。
では高基の意向に気づかず自分の思ったことを口にしたらどうなっていただろう。最初の発言の時点で機嫌が悪化していた高基に晴氏は公方にふさわしいと言っていたら最後のようにすぐ見切りをつけられていた可能性が高かった。しかし後ろ盾のない高実にとって父親に見切りをつけられるのは避けたいことであった。
そのため慌てて言い加えたことはひょっとしたら正解だったかもしれない。ただ最後に用が済んだと一蹴されたので見切りをつけられなかったとはいえないが、一応最後まで話を聞いてもらえたことを良い方に解釈するしかなかった。
しかし不本意ながら晴氏を否定するような発言をしてしまったことは高実にとって最悪な事態だった。もし高実が晴氏を非難したことが誰かの耳に入れば、高実は反晴氏派の旗頭として利用されるか粛清されるかの未来が目に見えていた。だが力のないに高実にそれに抗う術はない。高実はそんな恐怖におびえながら自分の部屋へ急ぎ足で戻るのであった。
高実が部屋から出て行った後、高基は自室でひとり考えを巡らせていた。事は自身の後継者のことであった。一応高基の後継は晴氏が継ぐことになってはいるが、高基にとって晴氏の振る舞いは許せるものではなかった。
晴氏は初代成氏を尊敬し、公方自ら戦場に立つことで諸大名からの支持を集めることを理想としているが、それは長年戦を大名に任せて公方は後方でどっしり座るものとしてきた高基を否定していた。実際晴氏は高基の公方としての姿勢を非難しており、両者が不仲になることは自明の理だった。
そして次第に高基は晴氏は嫡男だが公方としてふさわしくないと考えるようになった。その代役として考えたのが庶子だが次男の高実だった。そのため一度高実を呼び出し晴氏について聞き出してみたが、玉虫色の回答に高基は失望を隠しきれなかった。後半は高基の意図に気づいたのか晴氏を否定する発言も出たが、高基の高実への評価は低いまま終わった。
高実は父親の高基から見ても武将としての器量は晴氏に大きく劣り、性格も少し内向的で良いところが少なかった。強いて挙げるとするならば高基に従順的なところくらいだろう。実家の力も弱く、仮に当主となっても頼りない印象は拭えず、家中の統制もできるか怪しいところだ。
一方で初陣を果たした晴氏は以前から備えていた器量に加えて戦果を挙げたことで諸将からの支持を急速に集めていた。公方らしくないと思いつつもその戦果は本物であり武将としては高基も晴氏を認めざるを得なかった。
そんな晴氏をもし廃嫡にしたならば諸将からの反発を招くことは高基にも理解できた。しかし高基の心情からすると自分に反抗的な晴氏より従順的な高実を後継にして家督を譲った後も影響力を残し続けたいという思惑もあった。
「くそっ、なぜ事が儂の思うように進まない。誰か、酒だ。酒を持ってくるのだ」
理想と現実の狭間で苦悩する高基は酒を飲むことで再び現実から逃避するのであった。
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