表舞台から退く者
下野国 祇園城 小山政長
「そうか、犬王丸が自ら出陣するのか」
布団に横になっている儂に護衛を勤める栃木雅楽助から評議の内容を伝えられる。道哲様が下総まで勢力を伸ばしたと耳にしたときからいつか下総への援軍を請われることは薄々分かっていた。しかしそれは儂が当主のときだと考えていた。
実際は儂は病によって倒れ、まだ幼い犬王丸に家督を譲ることになってしまっていた。そしてその犬王丸が家督を継いで一年も満たないうちに関宿への援軍要請がきてしまった。
儂が現役なら自ら出陣してもさほど大きな問題ではなかったはずだった。しかし元服前で戦の経験が一度しかない犬王丸の出陣についてはかなり家中で揉めたらしい。最終的に犬王丸が皆を説得して出陣することを決めたようだが、本来なら犬王丸ではなく儂が出陣するべきだったと思うと己の肉体が非常に憎らしかった。
病がなければ此度の戦は儂の役目だったはずなのだ。病は仕方ないことだといっても、どうしても当主の役目を犬王丸に押しつけてしまったという自責の念が止むことがない。
「御隠居様、犬王様より言伝を預かっております」
儂の心中の葛藤を知ってか知らずか雅楽助がこう切り出した。
「犬王丸が儂にか?」
「はい。『此度の出陣は自分自身が望んだのであって、隠居の父上が気を病む必要は皆無である』と」
「そうか……」
一見突き放すような言い方だが、そこには当主となった犬王丸の覚悟と儂への想いが詰まっているように思える。儂が何かと犬王丸に対して杞憂すれば家中に混乱を招きかねない。無論犬王丸が暴走した場合は動くつもりではあるが、それ以外のことで余計な口は挟まないつもりだ。
だがこんな儂にもできることがあった。
「ならば雅楽助、以上のことを犬王丸に伝えよ。あくまで参考程度にな」
そう言って儂はいくつかの書状を雅楽助へ渡す。これは常陸の真壁や下総の千葉といった他国の武将との交流で得た情報を自ら纏めたものだ。
病を得てからは自分の部屋しか動けない身となってしまった代わりに趣味の連歌に長じるようになったがこれが功を奏した。連歌を通じて同じく連歌を好む各国の武将と繋がりを得ることができたのだ。
佐倉歌壇と称される彼と彼の家臣団からなる和歌集団を形成した千葉勝胤殿、自身も連歌に優れており名高き連歌師との親交の深い真壁宗幹殿、また連歌師を通じて新たに親交を得た武将も何人かいた。
初めは連歌や和歌のやりとり程度からだったが親しくなるにつれて世間話や近況報告なども手紙でやりとりするようになっていった。互いに遠距離であることから機密などには触れてないが周辺状況など興味深い話はいくつもあった。
その中で去年道哲様の配下となった勝胤殿は仕方ないこととはいえ自分の代で公方様への忠義を果たせず道哲様に屈服したことを悔やんでおり、すでに家督を息子の昌胤殿に譲っていたが完全に実権を渡して隠棲するらしい。そして自身の公方への忠義が変わらないことと道哲様と北条との仲がよろしくないことも伝えてくれた。
特に小弓内での不仲についての情報は古河にとっても朗報であり、犬王丸に伝えなければならない。誤報あるいはわざとそういう情報を流している可能性も考えられるが、北条と道哲様について探るきっかけになるはずだ。
◇◇◇◇
下総国 結城城 結城政朝
「今度は関宿の救援か。無論、断るつもりはないが公方様も切羽詰まってきたか」
少々多賀谷の動きがきな臭いが今回は公方様直々の要請とあって妙な動きはしないだろう。しかし敵の規模を考えると結城だけに要請を送るとは考えずらい。結城・水野谷・山川・多賀谷の連合だけでも安房勢・上総勢・下総の一部を相手するのは不可能だ。そう考えると実際に動けるかの可否は別として要請を送ったと思われるのは宇都宮に佐竹、小田そして小山……
三郎(政勝)から凡庸だと聞かされて脅威にならないと断じていた成長殿の倅が気づけば藤岡らを降ろして太日川流域の支配権を確保したのは正直驚きだった。てっきり対宇都宮を想定して北へ攻めると思っていたが政長殿は堅実に空白地帯だった西に進んだ。下手すれば皆川と佐野を刺激することになりかねなかったが西は馬宿城だけ落としつつも流域の支配権はきっちり確保したのだから侮れない。
だからこれからというときにその政長殿が病で家督を息子に譲ることになるのは少々気の毒だと思った。もし政長殿に息子がいなければ六郎あたりを養子に送り込むつもりだったが現実はそう上手くいかないものだ。家督を継いだ犬王丸は幼いこともあり、当初はまだ六郎を送り込む機会を探っていたが、噂を聞くにつれ小山に隙が全く生じないことがわかり、養子を送り込むのは得策ではないと判断して六郎にも言い聞かせることにした。
噂によると犬王丸は現地では神童と持て囃され、幼いにも関わらず自ら率先して先進的な政策を実施しており家臣からの信用も厚いらしい。性格にも問題はなさそうで、どうやら傀儡の器ではなさそうだった。彼の報告を聞いていると成綱殿を思い起させる。あの方も若く家を継いで急速に宇都宮を大きくさせた英雄だ。犬王丸が将来ただの凡人になり下がるのか成綱殿のような名君になるのかまだわからないが非常に興味深い人物に違いはなかった。
ふと思う。もしかしたら政長殿の躍進に犬王丸が関与していたのではないかと。所詮憶測に過ぎないが仮にそうだとしたら三郎が政長殿を見誤ったのではなく、犬王丸が政長殿を助けたのではないかと。どちらにせよこれは過ぎた話でしかないが警戒は必要となるかもしれんな。
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