要請
一五二八年 下野国 祇園城 小山犬王丸
父上から家督を継承してから早くも数ヶ月が経つ。まだまだこれからだが大膳大夫ら重臣たちの補佐を受けながら少しずつ改革を進めている。
そして警戒していた結城や山川らによるお家乗っ取りを意図した他家からの養子の申し合わせについては幸いなことに現段階では起きていない。若年とはいえ正統な後継者である俺と叔父の二人が健在ということが影響しているのだろうか。
史実では父上に男児がいなかったために他家から養子を迎えることになったが、この世界ではそういうことにはならなかったようだ。もちろん無事に元服するまで油断はできないが、家督継承を機に他家から攻め込まれることはなかったのでそこは一安心だ。
「では先代様の病気平癒と小山家安泰の祈願のご依頼、しかと承りました」
「毎度のことながら佐八殿からわざわざ出向いていただけて真に感謝する」
そして今、俺は伊勢神宮内宮の神官で御師である佐八左京殿との会談に臨んでいた。
佐八家は下野全体で小山や宇都宮など多くの檀那をもつ御師だ。
御師とは御祈禱師の略で、本来、寺社に参詣して祈願する参詣者の要望に沿って神と人との仲介者となって祈禱を行う祈禱師のことをさしたが、しだいに参詣者を特定の寺社に誘導し、祈禱のみならず宿泊などの世話をするようになった神職をさすようになったという。
その中でも伊勢の御師は自ら檀那のもとへ参じて師檀関係を結んだ檀那である施主や願主の諸願成就の祈禱に際し、年ごとに祈禱の験である祓麻や、熨斗鮑・伊勢暦・鰹節・扇・帯・茶・白粉など多彩な伊勢みやげを持って諸国を巡歴して檀那に提供し、対価として貨幣や米などを受け取っている。
また檀那の参宮の際には御師の自邸に宿泊させ、神楽殿において太々神楽を奏し、神宮参詣や志摩の遊覧などに便宜をはかるなど現代でいう旅行代理店のような働きもしていた。
佐八殿が城内にある須賀神社で祈祷を終えると、いつものように伊勢みやげを受け取り、こちらも見返りを渡す流れとなる。いつもなら米や貨幣を渡していたが今回は小山家の成長を示すために一味違ったものを用意した。
「さていつもの返礼であるが、此度は米などに加えて少々物珍しきものをご用意させていただいた。例の物を佐八殿へ持ってまいれ」
佐八殿の目の前に置かれたのは小山名産の石鹸。だがこれはこれまでのものとは違う。
「これはもしや噂の石鹸というものではありませんか。しかし我々の知る石鹸とは色も香りも一段と違ってみえますな」
「流石は佐八殿だ、お目が高い。これは最近新たに改良した石鹸なのだ。詳しくは話せないがそれこそ佐八殿の言う通り、見た目の色や匂いといったものが大きく異なるだろう。値は張るが今後市場にも出そうと考えている」
この石鹸は従来の獣脂を用いたものではなく、菜種油に柑橘類の皮を混ぜた新作だ。僅かに残っていた獣臭さもなくなり植物由来の良い香りと以前より固形になっている。
「なんと、そのような高価な物をいただくことはできませぬ」
驚いた佐八殿は慌てて固辞する。その清貧さに感心したが、だからといって渡さないわけにはいかない。これは下野に大きな繋がりのある佐八殿に小山家の力を示す代物でもあるのだ。
佐八殿への日頃の感謝の印で是非受け取ってほしいと念を押したことで佐八殿は仕方なく受け取る仕草を見せたが、目は完全に高級品の最新作である石鹸に食いついているのを俺は見逃さなかった。
祈祷を終えた佐八殿を見送った後、俺はもうひとつの事案についてすぐに重臣たちを集めた。重臣たちも大まかな事情は把握しており、評議はすんなりと開かれた。
古河公方から至急の書状が届いた。使者の梶原殿は書状の内容を存じていなかったが、その内容は下総国関宿城への救援要請。小弓公方に動きがあったらしく、城主の簗田殿だけでは防衛は不可能と判断して公方直々に各国の古河公方派の大名に援軍を求めているらしい。
古河からしても交通の重要拠点で古河からも近い関宿城は絶対に死守しなければならない最優先事項に値する。しかも今回小弓勢は安房・上総に加えて新たに降った下総勢も敵に回ることになるのでかなりの大軍が予想される。
もし関宿城が落ちたなら古河はほぼ滅亡寸前に追い込まれるといっても過言ではない。仮に血脈を保てたとしても関宿城を奪われた状態で防御に優れない古河城を守ることはできないだろう。つまり今回の関宿城防衛は古河にとって最大の危機に等しかった。
公方の要請による援軍や派兵は以前からあり珍しいことではない。近年も結城が公方の要請を受けてわざわざ武蔵まで兵を送っている。
そのため援軍の派遣についてはやぶさかでもなく、今回の評議はその詳細を詰めるものだ。
「さて書状にも書いてある通り、内容は関宿城への援軍だ。最近古河と距離が離れていた我らのもとにも届いたことから他の所にも同様の書状が届いているだろう。新たに領地を得ることはできないだろうが、関宿城が落ちれば物流面が混乱し経済的に小山へ大きな打撃となる。俺は援軍を受けるつもりだが皆の意見はどうだ?」
「某も援軍に応じるべきと存じます。断って公方様へ不忠を働くのはいかがなものかと」
「儂は反対ですな。小山家は当主が代わったばかりで今は内政に集中すべきです」
「其方の言い分もわかるが御屋形様のおっしゃる通り関宿が落ちるのは当方にとっても痛手となりますぞ」
「その通り。公方様への義理立てと関宿防衛の利点を考えれば援軍を出すべきです。それに当主が代わったという理由で断ったとして、小山だけがいないとなれば我らは腰抜けと侮られましょう」
一部反対意見が出たが最終的に多数が参戦を支持したので今度は援軍の詳細について詰めることにしたが、今度はそこで一悶着が発生した。
兵数に対しては農兵は最低限にして五〇騎ほどで方針が固まったが、俺が自ら大将として出向く意向を示唆するとそれを諌める声が多かったのだ。
書状には陣代でも構わないと記されていたこともあって、まだ元服してない俺が行く必要性はないと反対意見が出てきた。大半が俺の身を案じてのことだったが、俺はその反対意見を一蹴した。もちろん経験豊富な家臣に陣代を任せるのも一理あるが、今回自ら出陣することで他の武将や公方と顔を合わせるという利点が大きかった。
俺の行動に左右されるだろうが若年という理由で小山家が侮られたくなかった。もしある程度認めてもらえれば若年の当主という理由で安易に攻められることは減るはずだ。
それでも危惧する声は多少あったが、小山右馬助や水野谷八郎といった歴戦の武将を連れて行くことを告げると最終的に皆賛成してくれた。
そして皆に言っていなかったがもうひとつ参戦するのには理由があった。
それは書状に書かれていた足利亀若丸の出陣だった。今回の出陣で後の足利晴氏に直接会う可能性が高く、彼がどのような人物なのか己の目で確かめたかったからだ。そしてそれによっては小山家の行く末も大きく変わるだろうとも確信していた。
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