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房総戦線

 一五二八年 下総国 関宿城 


 常陸川と江戸川の合分流する微高地に江戸川を遮る形の縄張をしており、利根川水系等といった水運の要で古河方にとっても最重要拠点でもある関宿城主簗田高助は古河を取り巻く事態の深刻化に頭を抱えていた。古河公方の宿老でもある高助は小弓公方足利道哲(義明)の侵攻が活発していること、そして古河方がそれに適切に対応できていないこの状況に高基の嫡男亀若丸の元服という吉報を素直に喜べないでいた。本来亀若丸の元服ももっと早くおこなうべきだったはずで、今までできなかった理由として古河公方の力が落ちていることや高基亀若丸間の不仲が挙げられるなど古河公方に仕える者としてはやっと元服できるという思いで一致していたのでとても喜ばしいというわけでもなかった。 


 改めて小弓の侵攻状況を振り返ってみると現在侵攻を受けて支配下にされているのは下総国北相馬郡あたりまで及んでいた。北相馬郡の拠点だった守谷城と関宿城はさほど離れておらず、次に小弓が攻めてくるのなら関東の水運を握っているといっても過言ではない関宿城であることは幼子でも容易に思い至る。

 今では道哲を祀り上げた真里谷や里見といった安房や上総の有力武将の他に臼井、相馬、そして関東八屋形の名族のひとつとして小弓方の椎津城を攻めたりと反小弓を貫いてきた千葉という下総の武将までも小弓の支配下に置かれてしまっていた。


 状況が悪化したのは前年の道哲と北条との和睦が原因だった。それまで互いに中立の立場をとっていたが里見の鎌倉攻めをきっかけに北条氏綱が道哲に対し政治的取引を持ち掛けた。道哲の西から脅威を払拭して古河攻めに専念したいという思惑が一致し、あわよくば北条の力も利用しようと考えて和睦に応じたのだ。しかしこの和睦に大きな打撃をうけたのは千葉だった。千葉は以前から一族の離反など対小弓で苦境に立たされており北条に助力を求めていた。だが当の北条が小弓と結んだことでこれ以上の抵抗は不可能と断じた当主昌胤は和睦を機に小弓の傘下へと組み込まれることを了承した。


 これにより下総のほぼ半国を奪われた形となり高基は千葉の不忠を家臣に怒鳴り散らした。しかし以前高基は小弓が下総に侵攻してきた際に一族が離反する中でも高基派として働いてきた千葉を褒めたたえ離反した支族を不忠の者と発言してきたので千葉を罵倒する高基を良く思う者は高助含めあまりいなかった。そもそも小弓の台頭と侵攻を食い止められなかったのは古河方の落ち度であり高基はその張本人にも関わらず祖父や父のように自ら軍勢を率いて小弓と戦うことをしなかった。政治面では自らが追放した父と同じ手法で山内上杉に実子を送り込むなど策は弄したがその送り込まれた憲寛が小弓と通じてしまう事態になってしまい、高基が思い描いていた山内上杉との共同戦線は破綻してしまった。


 それに加えて古河は房総半島以外にも多くの問題を抱えている。常陸ではまだ若い常陸守護佐竹義篤が叔父の助けを借りても家中をまとめきれておらず、実弟の義元らと対立を深めていた。しかし義篤は家中の統一より近隣の江戸への介入など外交策に積極的で地盤がしっかりしていない。


 小弓に出奔した基頼を支持していた南方三十三館を始めとした南常陸の国人の動向も不安定だ。鹿島神宮を支配する鹿島の当主は大掾からきた通幹だったが前当主義幹の遺児は健在で、外様の通幹に家臣たちを束ねることができず、また内部で主家の大掾と方針に齟齬が発生し島崎城の島崎の台頭を許すなど混乱が生じており、健在な芹沢などは勢力が小さく高基からは戦力として期待されていない。


 そして下野国はさらに深刻な状態で高基最大の後ろ盾だった宇都宮が内紛によって当主忠綱が戦死し若年の興綱が当主となったが、実権は家臣の芳賀高経に握られており傀儡に過ぎなかった。一方勢力を回復させつつあった小山は当主政長が病によって若くして隠居し嫡男の犬王丸が家督を継承していた。


 唯一頼れそうなのは結城と常陸の小田くらいだが小田は常陸唯一の上杉方で信太郡江戸崎城主の美濃守護土岐政房の三男で土岐原に婿養子入りしていた土岐原治頼と対立している。治頼は婿養子ながら実家の家格の高さと本人の資質もありよく土岐原をまとめている実力派で小田政治も度々苦戦している。


 はたしてこのような内患外憂の状態で小弓が関宿城を攻めてきた際に援軍は期待できるのかと不安に陥りそうになる高助のもとへひとつの報せが届く。



「一大事です殿!公方様が栗橋城主の野田右馬助様を数年に及ぶ緩怠増進を理由に親子共々改易に処したとのこと!」



 それは高助に並び古河公方の宿老を務めた野田右馬助政朝とその嫡男政保の突然の改易処分だった。たしかに野田右馬助は公方の譜代から重臣という家格に胡座をかき、下の身分の者や他の国人への尊大な振舞いで評判がよろしくなかった。


 だが野田氏ほどの家の当主を伝令が伝えた通りの理由で突然改易させた高基の行動に目眩を感じた。もし改易させるなら高助を始めとした他の重臣に一度相談すべきであって、今回の件で筆頭である高助には何も報せも相談も受けていなかった。



「これが真なら下手すれば野田が離反するぞ」


「公方様は後任に他の一族の者を立てるようにとも命じております」


「政保殿まで改易となると庶家に野田の名跡を継がせるつもりなのだろう。右馬助殿に人望がないのは事実であるが、この時期に宿老を改易させるとは……」



 南は小弓の侵攻、北は内紛、そして古河では公方親子間の不仲に加えて重臣の突然の改易。あまりにも多くの出来事を抱え込む羽目になった高助は叫びたくなる衝動に駆られそうになるが、一度水を飲むことでなんとか落ち着くことができた。


 しかし右馬助は評判は良くないが改易されるほどひどくはなかった気がする。緩怠増進は事実だとしても改易させるには理由が弱いように感じた。それに気づいた家臣の一人が高助にこう告げた。



「これはあくまで噂ではありますが、どうやら公方様が右馬助様の御嫡男様の許嫁に興味をお持ちになったようでその関係で右馬助様との関係が悪化したとも言われております」


「……あくまで噂であってほしいものだ。それが本当ならまさに暗君そのものではないか」



 もう高助はぐったりしていた。今日はもう休もうと決意したその瞬間、高助のもとへ新たな伝令が姿を現す。高助はすでに嫌な予感がしていた。



「申し上げます!物見の者から小弓方に動きの兆候が見られたとのことでございます!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] この時代の関東地方は非常にややこしい。 それを解りやすく作品に表現しようという努力が垣間見えます。 [気になる点] 色々な人物や、土地の名前が出てきていますが、少しイメージし難くなって…
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