小山三兄弟の宴 前
下野 祇園城 小山長秀
「犬王丸についてどう思う?」
我ら兄弟揃って酒を交わすとき、兄上は決まって犬王丸の話題を口にする。
私が国府館に赴いて以来久しぶりに兄上たち三人で家族水入らずの場でも政長兄上は相変わらず犬王丸のことを話題にしたがる。こういっては犬王丸に怒られそうだけど犬王丸の話題は我ら兄弟にとって最高の酒の肴なのだ。
物心ついたときから持政公の再来と家中で評判だった犬王丸は成長してからも周囲の期待をいい意味で裏切り続けている。新たな農具や今や小山の財政に欠かせない石鹸の開発、農地の改善などその功績は計り知れず、まだ十にも満たない歳にもかかわらず長福城を任されるほどの評価を得ていた。
長福城に移ってからもそれまで城代を務めていた岩上といった家老格の武将からも一目置かれているらしい。
祇園城の北西に位置する国府館は皆川や公方様の御料地である卒島方面の睨みをきかせる重要拠点のひとつのため館から離れることは少なかったが、犬王丸の評判は他の小山の家臣や民から通して国府館まで耳に入っていた。
将来の小山を任せられる優秀な甥の存在に嫉妬がなかったとはいわないが、開発や交易に力を入れて小山の財を富ませることなど私では実現できないと悟ってからはそういった感情はほぼなくなっていた。
「皆の働きのおかげで昨年は馬宿城と藤岡城を降した。特に太日川の水運を握っていた藤岡城の藤岡佐渡守の存在は非常に大きいな。これで当家は太日川と思川下流の水運を完全に支配することができた」
私と政景兄上は政長兄上の言葉に首肯した。特に太日川流域付近を押さえることができたのは重畳だ。交易面の利点だけではなく、小山家の権威を回復させるという点においても新たな土地の獲得の意義は大きかった。
思川、太日川を支配し藤岡も降した小山家は両川流域の国人たちへの影響力を強め、それまで従っていなかった中小の国人たちは次々と小山家に臣従を申し込んだ。
小山、榎本、岩舟、藤岡の地を盤石なものにした小山家は唐沢山の佐野、北へ進出をした皆川、下総の結城と比べても遜色がないまで勢力を拡大することに成功した。おかげでそれまで兄上に懐疑的だった者も掌を返して賞賛したので家中の対立はほぼ解消することができた。
「侮られることは少なくなったが、最近になって儂に愛妾を進めてくる者が出てきたのは面倒だな」
「藤岡と岩舟を治めた今、小山との関係を強めたいということですか。それに兄上は義姉殿以外娶っていませんから狙われたのかもしれませんね」
政景兄上はそう苦笑したがすぐに表情を改める。
「しかし彼らの行動も尤もなもの。兄上だけではなくまだ未婚の長秀も狙ってくることも考えられますな。小山は一門衆はおりますが、山川の血を引く我らと血縁関係にあるところは少ない。あわよくば水野谷のように一門格に引き上がることを望む者もいるでしょう」
「長秀、三男とはいえ当主の弟で国府館を任されているお前を評価する者は少なくない。実際に昨年政景が正室を迎えたことで長秀の婚姻を探ってくる輩も出てきた」
政景兄上は昨年降伏させた藤岡城主藤岡佐渡守の娘を嫁に迎えていた。藤岡は降伏したとはいえ岩舟のように城や当主を失ったわけではない。居城の藤岡城は堅城で太日川の水運を握っていたことも含め傘下にしたとはいえ油断ができない存在だ。
政景兄上の婚姻はそれまでの小山と藤岡の関係は希薄で新参として取り込んだ今、繋がりを強めたい両者の目的が合致した結果だ。幸い夫婦仲は良好らしく子宝に恵まれるのも時間の問題かもしれない。
一方で私の状況はまったくの白紙だ。昔なら重臣との関係を強める目的の縁談を進める予定だったが、ここ数年で小山が大きくなりつつあることから方針を変更する必要が生じてそれ以来音沙汰がなかった。
「婚姻につきましては私は兄上いや御屋形様の指示に従います」
どうやら求めていた答えではなかったらしく政長兄上と政景兄上が同時に溜息をついた。
「お前ならそういうと思ってはいたが、長秀は好いとる女はいないのか?例えば……岩舟の未亡人とかな」
「ブッッ、ゴホゲホゴホッ!ななななんでいきなりあの人が出てくるんですか!?」
突然政長兄上の口から思わぬ人物の名前が飛び出てきたことに動揺してしまって思いっきりむせてしまった。酒が変なところに入ってしまい少し涙が出てくる。
「なに、ちえから長秀が祇園城に来るとき新人の侍女に熱い視線を送っていると聞いてな」
「それが例の岩舟の方と。別の下働きの娘の可能性も否定できませんが、たしかに新しい侍女といったら彼女しか当てはまらないですな」
「長秀よ、女性は男性のそういった視線には敏感らしいのだ。まあ、彼女は子持ちだが歳はまだ若い方だからな。そういった視線にも鋭かったかもしれぬな」
自分の行動が兄だけでなく向こう側にまで気づかれていたことに絶叫したくなる気持ちを抑えて頭を抱えてしまう。二人の生温かい視線が却ってつらい。
酒が回ってきたせいもあってか、もう耐えきれず自分から気持ちを吐露してしまう。
「ええ、そうです。私はあの人に恋焦がれています。一目惚れでした。子持ちの未亡人だろうが関係ありませんでした。ですが自分と彼女の立場を考えると迂闊な真似はできなかったので遠くから見守るだけにしようとしたのですが、まさかそれが筒抜けになっていたとは……」
「小山家の人間として恥ずかしい振る舞いは避けてほしいのだがな。若干気の毒だと思うが」
「そういうな政景。他人の嫁を強奪したり無理矢理手籠めにしたわけではないのだから大した問題ではなかろう。これもまた若さだ」
兄上たちの下手な慰めの言葉以上にあの人に気づかれてしまっていたことがつらかったりする。あの人には岩舟を再興するという使命があるというのに私が介入する余地があるとは思えない。縁がなかったと真面目に領地を経営すべきなのだろうか。
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