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馬宿ののちに

 下野国 長福城 小山弦九郎


 馬宿城の戦いを経験してから若様は変わられた。元々若さに似つかぬ優れたお人であったが、長福城に戻ってからあらゆる物事に対する姿勢に必死さが加わったように感じる。以前の態度に必死さがなかったというわけではなかったが、今の若様は以前より増して精力的になられた。


 武芸でも一撃一撃に気迫が込められている。若様の相手を務めておられる彦右衛門殿は若様の筋の良さに感嘆しており、鍛え甲斐があると物凄く張り切っていた。そのため武芸の稽古があるときはいつも若様は土塗れになっていた。彦右衛門殿の指摘は理に適っていて小山家中においても評判は高いが、その代わり彼の指導は非常に厳しく、少々腕に覚えがあっても彼の指導についていけないという者も珍しくない。十代の若武者すら音を上げる指導を若様は傷だらけになりながらも食らいついていた。


 彦右衛門殿が若様だからといって手を緩める真似をしないことを家中の者は分かっているので、彼の指導についていけている若様にも皆の尊敬が集まっている。


 彦右衛門殿との稽古を終えたあとも若様は休む間もなく内政に取り組む。自分の手で行水と着替えを手早く済ませると、日課としている田畑と村の視察のために数人の護衛を従えて城下の村々のもとを訪れる。


 最初は小山家の跡継ぎがわざわざ村に足を運んでくることを不安に思っていた村人たちも今では完全に打ち解けて若様の姿を見かけると向こうから声をかけてくるようになっていた。


 若様はそんな村人の態度を気にする様子はなく、彼らを咎めなかった。



「これはこれは若様」


「乙名か。突然押しかけてすまないな。いきなりであれだが菜種の様子はどうなっている?」


「今のところは順調といったところですな。管理は若い衆に任せてますが若様からいただいた助言は守らせておりますぞ」



 若様が気にしたのは今年になって長福城下で始めた菜種の栽培についてだった。今の石鹸では獣脂を使っているのだが、獣脂は採取量が不安定で臭いにも難があるため若様は早い段階から原料の油を獣脂以外のものに変えようと考えていた。そこで浮上したのが菜種だった。菜種は同じく油の原料となる荏胡麻よりは手に入りやすいが、油であるため貴重品であることには変わりなく最近まで京の座が独占的に商いにしてした代物で大抵は商人たちから買わざるを得ないという問題があった。このことは家中でも何人か課題に挙げていたのだが解決策を提示することができていなかった。


 そこで若様が考案したのが油を仕入れるのではなく、荏胡麻より少し安価な菜種を小山領内で栽培するということだった。しかし荏胡麻より安価とはいえ菜種も貴重品で高価なことに違いはない。


 若様の獣脂からの転換という発想自体は家臣たちに受け入れられたが、菜種の栽培については実現が困難という理由で反対を受けていた。しかし獣脂から植物の油に変えることでより高品質な石鹸を作れるという若様の言葉に賛同する者も少なくなかった。菜種を扱う小山の油商人との交渉は難儀したが若様直々に相手と話し合い、向こうの利権とこちらの石鹸の利権についてや小山領の油商人の保護などいくつか条件をそれぞれ加えたことで解決の目処が立った。たしかに向こうからしてみたら小山家は己の商売に手を出してきて利権を奪いにきたようなものだ。妥協は必要だろう。


 ところで私は知らなかったが、菜種は秋頃から種を撒くらしく水田の裏作として栽培するようだ。新たな栽培ということもあって菜種の栽培は村から少し離れた放棄された田畑でおこなわれた。村人たちは再開墾した田畑に種を撒こうとしていたが、若様は村人を一旦静止させて菜種の栽培に深く注意を促した。


 まず畑に大量の草木灰を撒くことを徹底させて、畑も排水や湿害の対策を怠らないよう呼びかけた。また菜種の病についてもどういった色や状態になるかその特徴を伝える。



「あとは虫だな。稲作とはまた違った虫が出るかもしれんから大変だと思うが頼んだぞ」


「若様は物知りでございますな」


「大陸の書物で知っただけさ。乙名たちの経験には到底及ばんよ」



 しかし若様は書物で知ったとおっしゃるが、はて小山にそのような書物があったのだろうか。しかし大陸の書物については近隣と比べれてかなりの数があり、若様が読んだという書もあるのかもしれない。


 お祖父様が言うには若様の読書量は京の文化に通じていた御屋形様のそれを優に上回っているらしい。御屋形様も教養に富み書物を嗜んでおられるが、それは主に連歌といった京の文化に関連するものだった気がする。一方で若様は様々な分野の書物を読む。その中でも特に好んでいるのは孫子や呉子といった兵法に関する書物と論語だ。またそれ以外の実用的なことが書かれたものも積極的に読み漁ったりすることもある。その代わり連歌や絵画など芸術に関してはそこまで熱意があるわけではないようで御屋形様は残念そうにしていらっしゃった。


 小山の人間は若様ほど書物に熱中する者は少なく、初めは侍としての適性を不安視されたこともあったが、若様が書物から得た知識を施策に還元させて小山を豊かにしたことによって小山の人間の意識も少しずつ変化していった。


 特に石鹸の生産はそれまでそこまで重要視されていなかった交易の認識を家中の者に改めさせるには十分だった。交易の利益に気づいた小山は必然的に商業といった内政に力を入れるようになった。


 そのきっかけを生んだのは若様だ。若様の考えは私たちとはまったくの別物で目新しいものばかりだ。斬新そうに見えるが、しかし話を聞けば理に沿っており合理的な施策がほとんどだった。


 時折私たちとは異なる世界の方かと思ってしまうときがあるが、若様は私たちを蔑ろにせずに話してくれる。次第に若様の話を理解できるようになりつつあり、今では若様の代理で内政を任されることも増えてきた。


 ただ。まだ中には若様に懐疑的な視線を送る輩もいるようで、数は少ないが不穏分子となるならばいずれはどうにかしなければなるまい。

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