馬宿城攻略戦
下野国 長福城 小山犬王丸
結局出陣についての下知が覆ることはなかった。大膳大夫の進言もあり何度か父上に意図を尋ねるための使者を送ったが父上からは考えがあってのことの一点張りで明瞭な理由を聞くことはできなかった。俺としては父上からの命令ということなら出陣を拒むつもりはないが、大膳大夫や源兵衛といった諸将の反応は芳しくない。それは彼らの見解としては当主の父上や補佐の政景叔父上が健在にもかかわらず、今回の戦で元服前で十にも満たない俺が出陣する必要性があるとは思えなかったからだ。
馬宿城攻めは馬宿城以南の太日川流域付近の領土獲得という目的によるためで敵は強大ではないが、だからといって侮れば手痛いしっぺ返しが待っている。
城攻めなので元服後の初陣としてならば相応しかったかもしれないが、今の俺は元服前の六歳でまともに武芸も習っていない。敵に襲われたらひとたまりもなく、呆気なく討ち取られてしまうだろう。願わくば何事もなく城を落としたいものだ。
今年の収穫を終えて農閑期に入り、俺は馬宿城攻めのために長福城からおよそ二百の兵を率いて祇園城の父上のもとへ参陣する。
名目上は俺が長福衆を率いているが実際の指揮は五郎右衛門に任すことになっている。大膳大夫は本陣で参謀を、弦九郎は俺の護衛として控えている。長福城の留守役には彦右衛門と源兵衛を置いた。
足尾山地の最南端岩舟山周辺にある鷲巣村に岩舟監物の馬宿城がある。かつてこの地域は小野寺村の豪族小野寺家が支配していたが、小野寺家が没落したあとは鷲巣村を本拠とする岩舟監物の一族が台頭してきた。
領地が鷲巣村周辺くらいしかない監物は太日川流域の地侍たちと同盟を結び、その同盟の盟主的役割を担うことでそれぞれの独立を保っていた。
監物の支配する鷲巣村は太日川からは離れているが、佐野と小山をつなぐ街道沿いの要所に立地している。
同盟を結んでいる地侍たちは監物とはあまり力の差がないが、同盟の主導者でそれぞれの独立を守ってきた岩舟を盟主として認めている。しかし盟主といえど立場はほぼ対等に近いので岩舟は各勢力に強制的な命令を出すことはできず、要請止まりになっていた。
鷲巣村に到着した小山軍およそ一千が監物が籠る馬宿城を取り囲む。監物は野戦ではなく籠城を選択したようで城の門は固く閉ざれ、村人は山や城に逃げたらしく人気は全くなかった。
馬宿城は平地に築かれた館を堀や土塁などで拡張した回字の形をした城郭で規模は館より少し大きいくらいか。堀はそこまで幅があるわけでもなく、曲輪の配置も工夫があるようにはみえない。初陣の俺から見ても防衛に向いている城とはいえなかった。
取り囲んだ後、城方へ降伏するよう使者を送ったが、答えは否であった。この返答は想定内で使者が戻るとすぐに本陣にて軍議が開かれた。
軍議の場には父上に政景叔父上、長秀叔父上、大膳大夫、伊勢守、八郎、雅楽助らが揃っていた。俺も末席に座っているが、甲冑を身に着けてる他と違って幼児用の鎧などないので平服に陣羽織だけだ。一応木製の胸当てもしているが一本でも矢が当たれば死にかねない。
「斥候からの知らせでは敵方は同盟勢力の飛騨城や只木城の援軍を含めて三〇〇近くが籠城しているらしい。対して我らは一〇〇〇。それに敵の三〇〇のうち老人や女子供を除けば戦えるのは多く見積もっても二〇〇ほどだろうよ」
「城の門は大手と搦手のふたつのみで堀や土塁もさほど脅威とは言い難いですな。ここは定石通り搦手を空けて攻めるべきでしょう」
「左様、佐野や皆川の動きも気になりますので時間をかけてしまうのは避けるべきかと」
馬宿城は守りに優れているわけではないので積極策が満場一致した。
城攻めの基本として城を落とすには最低でも敵の五倍の兵が必要だ。敵が死兵と化すのを防ぐために搦手を空けておくので攻める場所は大手ひとつになる。敵も全兵力を大手に向けてくると考えられるので激しい戦いが予想される。
それに軍議でも出たように馬宿城を攻めたことで佐野や皆川が動く可能性もあった。皆川とは盟約を結んでいるが代替わりしたことと皆川領とは目と鼻の先である馬宿城が奪われることを考えると盟約を破棄する危険があった。先代の宗成殿とは長い付き合いがあるが、まだ若い成勝殿の人となりをよく把握できておらず楽観視できない。
小山と同じく古河公方に属する安蘇郡の佐野とは交流があまりないが、馬宿城以西は佐野の支配圏になっているので深入りは避けなければならない。
元々小山は兵糧攻めする余裕はなく、佐野や皆川が動く前に早く落としたいという気持ちもある。
父上は積極策で城を落とすことに決め、大手に六〇〇の兵を集中させる。
先陣を任されたのは右馬助だが大手につながる橋はすでに落とされている。空堀の幅はさほど広くはないが簡単に飛び越えられる距離ではない。堀の先には粗末ながら柵が築かれており、その後ろから弓矢が放たれている。数が少ないとはいえ堀を超えるところを狙われたらひとたまりもない。
そこで右馬助は無闇に攻めるのではなく、力自慢の家臣たちに柵に向かって投石をするよう命じた。右馬助は事前に投石用の石を用意していたようで家臣たちは拳大から頭大くらいの石を手拭いを用いてどんどん投げていく。柵に向かって投げられた石によって城の弓兵が死傷したり石から逃れるために攻撃を中断されたりした。
また後方からは投石に続いて大量の矢が放たれ城側の兵を襲う。明らかに城側の攻撃が弱まったのを機に右馬助は兵を大手へ突入させた。矢がこない堀を乗り越えるのは小山の兵にとって造作もないことであっという間にひとりの男が堀を乗り越え、敵が離れた柵を蹴破って城への侵入を果たした。
「横倉藤左衛門、一番乗りぃぃい!!」
藤左衛門なる者の声が本陣まで届いた。この声をきっかけに何人もの兵が堀を乗り越えて大手を突破すると、勝敗は決したのか城側の兵が搦手へ次々と逃げていく。完全にまともな反撃すらできなくなった岩舟は勢いに乗った小山を前に手の打ち用がなく当主の監物は本丸に突入される前に降伏した。
「これが戦……」
結果として二刻ほどで戦は終わったが、城から離れているはずの本陣からも血や泥や汗が入り混じった臭気や呆気なく訪れる死、一瞬の気の緩みも許されない緊張感で呼吸をするのを忘れてしまう。
戦場の光景を目の当りにした俺の隣に父上が寄ってきた。ふと、あの評議以来まともに話せていなかったことに気づく。
「そのとおりだ。たった一度だけでも敵味方問わず多くの命が落ちるのだ。同じ釜の飯を食べた友やさっきまで隣にいた者が一瞬で骸になるのはいつになっても慣れるものではない。皆からは早すぎるとはいわれたが、聡い犬王丸にはこれが戦というものだとできるだけ早く知ってもらいたかった」
若くして家督を継いだ父上の言葉は重かった。
「正直儂は戦が嫌いだ。武芸が得意じゃないこともあるが、それ以上に儂の命令ひとつで人の生き死にを左右される重圧はきついものがある。軟弱者となじられるだろうが、何度も投げ出したいと思ったこともあった」
「父上……」
「だがその度に脳裏によぎるのは妻や家臣、そして小山の民の姿だった。どれだけ戦が嫌いでも彼らを守るには戦う他ないのだ。もちろん戦が起きれば多くの民が傷つき死ぬだろう。だがそれを避けるために戦をしないならば今度は民が敵から略奪や拉致されることを忘れてはいかん。たとえ誰かの下に跪いたとしても安寧が保障されるわけではない。その誰かのために家臣や民が搾取されるだけだ。犬王丸、そなたが戦をどう思うかは自由だが当主となれば己の感情より民たちのことを考えろ。たとえ守るべき者から恨まれることになってもな」
父上はそう言い残すと、戦後処理のために再び本陣へ戻っていった。
俺はしばらくその場から動けなかった。
以前戦帰りで血だらけや四肢を欠損した兵を見てきたが、目の前で人が命を落とす瞬間はあまりにも現実離れしていた。吐いたり泣いたりすることはなかったが、戦が終わってからしばらくの間、動悸が鎮まることがなかった。
だがそれ以上に父上の言葉が俺の胸に響いた。当主の厳しさや孤独さを思い知らされたのだ。今まで考えていたことがどれほど甘く、楽観的だったのかを。
守るべき者から憎まれても家と民を守る重さは今の俺には想像ができない。しかし戦を嫌い、苦悩しながらもその責から逃れることなく全うする父上の姿はとても眩しかった。
「面白かった」「続きが気になる」「更新がんばれ」と思ったら感想ください!




