小山の課題
下野国 祇園城 小山犬王丸
「……これはお前が考えたのか?」
「はっ、大膳大夫と相談したうえでいくつか修正しましたが、根幹は私が考えました」
そう答えると、父上は手を額に当てて目線を下にした。
「我が息子ながら真に末恐ろしいことよ。たしかにこの案は合理的で小山家の権力を強めることはできるだろう。だがそれで家臣の反発を招けば小山は分裂し力を失うぞ」
父上の懸念は尤もである。特に東国の武士は独立心が強い者が多く、有力大名は洞と呼ばれる惣領制や一揆の伝統を受けた地域的に結びついて同じ家に属するという意識で結ばれた集団を有していた。東国の大名には伝統的豪族としての出自をもつ家が多く小山家も例外ではない。また大名当主と国人領主との関係は緩やかなものであり、彼らの独立をある程度認めることで勢力下に置いていた。
結城家を例に挙げると、結城家は譜代や一門を主体とした洞を有しているが水野谷、山川、多賀谷といった家臣筋ながら半ば独立した勢力と同盟兼従属関係を結んでいる。つまり結城の洞が水野谷や多賀谷の小規模な洞を包括してひとつの大きな洞を形成している。
一方で守護大名の段階において領国の一円支配を完成させていた甲斐の武田や駿河の今川、新興の外来勢力である北条や安房の里見には洞は見られていないらしい。
下野は小山と宇都宮が守護を務めてきたがどちらも下野一国を支配できたことがないため、この地域一帯は洞が主体となっている。
さて今回提案した内容は洞や洞中と呼ばれる国人領主の権限を一部制限するようなものも含まれていた。検地での隠田の摘発などはその一例だ。
旧来隠田は年貢の徴収を免れるために密かに耕作した水田で律令制の時代から脱税に値する違法行為であったが今では広い範囲で横行していた。そして隠田の存在を知った地侍たちは本来徴収する年貢とは別に密かに隠田からも年貢を納めさせていた。しかし隠田から徴収した分は仕える家に差し出すのではなく己の懐に仕舞うことがほとんどだ。彼らからしたら臨時収入なのだろうが、その土地を支配する大名からしたらその地侍たちは与えたり安堵した本来の知行地の他に土地を持っていることになる。これは支配する側からしたら実態に合わない知行地の安堵をしたことになり、表向きの知行地の貫高が同じでも隠田の数で収入や軍役の実質的な負担に差が生じてしまう。その不平等はやがて差を感じた者が新たに隠田を開発することや隠田を巡っての争いを生むことに繋がりかねない。また隠田が多く開発されてた場合、実際の知行を把握できず、適切な軍役を課せなくなる可能性があった。
「検地に知行地の再配分、軍役を果たさない者への処分……実情を考えると理に適ってるといえるが……」
「今すぐやるべきとまでは言いませんが、将来的に小山を大きくするには必ず実施すべきかと存じます」
「それは儂も理解しているつもりだ。たしかに隠田と軍役を果たさない者がいるのは事実でどうにかしなくてはいけない事案だ。だが大義名分を掲げても向こうからしたら己の力を削がれるようなもので反発する者も少なくないはずだ。もし実施するなら入念な根回しが必要になるだろう」
「もちろんです。ただ命令しただけなら父上の言う通り反発は免れないでしょう」
軍役に隠田と向こうの非が明らかだとしても上から圧力を受けたと感じた側はそうとは思わない。露骨な介入を嫌うのもあるが、一方で今後理不尽な要求をされかねないと警戒しているからだ。こちらも強行すれば家臣の反発によって追放された宇都宮忠綱の二の舞になることもあり得た。
「このことは前向きに受け止めよう。どちらにせよいずれは解決しないといけないからな。だが検地の方はたとえ実現しても、できるのは小山家の直轄地が限界だ。榎本といった公方様の御料地には手出しができん」
「ありがとうございます」
「さて話は変わるが、犬王丸は芹沢殿を存じておるな?」
「はい。石鹸の良き取引相手で医術に優れた家だと聞いています」
芹沢家は常陸平氏の名族大掾家に属しているが、その医術で古河や他国との繋がりを持っている。そのためいち早く石鹸の存在に注目したらしく、石鹸の取引が生まれてからは頻繁に使者を送るなど親交を深めている家のひとつだ。常陸南部に位置してるため小山とは距離が離れているが思川とその先に合流する利根川の水運を用いて石鹸の取引をおこなっていた。
「儂はその芹沢殿を通じて犬王丸の指南役を雇うつもりだ」
「それはまた突然のことですね」
たしかに大膳大夫や弦九郎から木刀の握り方くらいは教わっているが、まだ身体ができていないという理由で正式な武芸はやっていなかった。
「今の小山家には武辺者はいるがほとんどが我流で正式に剣を修めた者がおらん。昔は数人はいたのだが犬王丸が生まれる前の戦で皆いなくなってしまった。しばらくは小山家の事情が厳しかったこともあって新たに雇うことすらできない有様だった」
しかし石鹸の開発や収穫量の改善などによって小山家の懐具合も余裕が生まれたようで、俺の武芸の指南役という名目で新たに外部から武芸者を招くことになったらしい。
より話を進めると武芸者は芹沢家を通じて同じ大掾家の流れを汲む鹿島家から有望な者を招く予定とのことだった。
鹿島家は常陸国鹿島郡の鹿島城主で代々鹿島神宮の惣大行事職の家系でもある。鹿島家は鹿島郡の支配者だったが最近は鹿島義幹が暴政を布いたために同じ常陸の国人江戸や島崎と組んだ家臣たちに鹿島城から追い出されて、新たな当主に義幹の姪の婿である大掾家の人間が擁立されたはずだ。
「鹿島は剣術が盛んでな、鹿島神宮に伝わる鹿島の太刀と呼ばれる剣術の他に香取神道流という流派もあるのだ。鹿島の家臣は剣豪揃いで特に家老の松本備前守殿は無双の士と称され東国で知らぬ者はいなかったほどだ。残念ながら松本殿は二年前の戦で討ち死してしまったが、鹿島家はそれ以外にも多くの武芸者を抱えておる。家督を継げる者は良いがそうでない者も少なくない。少ない禄で鹿島家に仕え続ける者もいるが、他国や他家に仕える者も珍しくないのだ」
はじめは芹沢家に話がきたそうだが、芹沢家は武芸に秀でた家ではなかったので親交を深めている小山家に話が流れてきたらしい。父上も正式な剣術を学んだ武芸者を雇えるならと秀幹殿の紹介を受けて雇うことを決めたようだ。
「父上はその指南役と会っているのですか?」
「当然よ。実際にその実力を見極めねば雇えぬわ。なに、心配するでない。儂は武芸はからっきしだが、小山きっての武辺を誇る雅楽助も認めたのだ。その実力に嘘はなかろう」
どうやらすでにその指南役は父上たちに実力を示したようで満場一致で仕官が決定したらしい。今は祇園城下に居を構えているという。
「して、その指南役はどのような人なのですか?」
「ふむ、あまり粗暴な様子ではなかったな。見た目はそこまで強そうには見えなかったが、実に鮮やかな剣捌きだったわ」
──そうだ。名前を言っておらんかったな。奴の名は塚原彦右衛門。香取神道流の名手である鹿島家家老塚原土佐守殿の一族だそうだ。
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