表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/346

岩上九郎三郎

 一五二六年 長福城 岩上九郎三郎


 犬王様が長福城にいらしてから早数か月、はじめは私を含めて新たな主の扱いに戸惑っていたが今では犬王様の指導力の前にそういった空気は霧散していた。噂では聞いていたが、実際に間近で接していると犬王様は我々の想像をはるかに超えた器量の持ち主だった。


 あの方は単なる神童とはわけが違う。歳が六つにも達していないはずなのにまるで経験豊富な大人のようだった。大人びているというわけでも聡いというわけでもない。そう、あの方は根本的に思考が我々と全くの別物なのだ。


 犬王様の施策は斬新そうに見えて、後々よく確認してみると非常に合理的なものばかりだった。はじめは不可解に思ったり、今までの慣習から切り替わることに抵抗心があったことは否定できない。父上から事前に犬王様の人となりを聞いていた私でさえもそうなのだから、他の者は余計に混乱したに違いない。実際に末席ながら重臣格だった五郎右衛門殿や源兵衛殿ですら適応に苦しんだのだ。


 幸いなのは犬王様は先進的な思考の持ち主だが適応に苦しんだ私たちへの配慮を忘れなかったことだ。これが周囲を省みない独善的な人物であったならたちまち人心が離れたのだろうが、犬王丸様は何度も私たちと話し合いの場を設けてくださった。自身の主張だけでなく私たちの考えも真摯に受けとめてくれて、その中で私たちが理解できるまで自身の考えを噛み砕いて説明し、私たちの価値観を蔑ろにせずそれを尊重してくれたことは結果的に犬王丸様の求心力上昇に貢献した。


 しかも犬王様は重臣や側近だけではなく家禄の低い地侍たちにも自ら赴いていたのだ。当主の息子であり長福城主となった犬王丸様がわざわざ家臣のもとに赴くことは異例であり、結果としてそれに感激した長福城の末端の者たちの支持を集めることに成功した。


 はじめは様々な身分の者が陰で犬王様のことを世間知らずの子供と揶揄していたことも少なくなかった。しかしひと月したら彼らは犬王様は聡明で素晴らしい当主になるだろうと掌を翻す。年上の同僚である五郎右衛門殿と源兵衛殿も当初は犬王丸様に懐疑的で犬王丸様より傅役の大膳大夫殿の方に注意が向いていた。良くいえば無警戒、悪くいえば眼中になかったとも捉えられる。おそらく幼い犬王丸様を名ばかりの城主だと思っていたのだろう。


 だがこの前評判を犬王様はあっという間に一蹴させたのだから快く思ってなかった者すらその手腕は見事なものだと認めざるを得なかった。


 しかし厄介なのは我が岳父である伊勢守殿が未だに犬王様の長福城主就任を快く思っていないことだ。岳父殿とは犬王丸様について定期的に報告しており、その手腕がどれほどのものか一生懸命説明したのだが、全くそれを受け入れようとはしなかった。そこまで犬王様を受け入れない理由を私には話してくれることはなかったが、以前に長福城主になる意思はあるかと聞かれたことに関係があるのだろう。


 細井家は古くからの譜代だが岩上や水野谷と比べると家格がやや劣っていた。塚田のように小山の末流でもなく、粟宮のような古代から続く神職でもない細井家は代々網戸や岩上と婚姻関係を結ぶことでこの地域の支配を確かなものにしてきた。歴代の細井家当主も持政公の代までは腹心として重宝されてたと聞く。


 しかし先代の成長様が前公方の政氏様と公方様の争いの際に御屋形様が公方様方についたのに対し、伊勢守殿は成長様と共に前公方様方を支持していたことが大きく影響することとなる。当時政氏様方だった佐竹・岩城が宇都宮に敗れ、前公方様も古河から祇園城へ逃れてくるなど戦況は公方様に大きく傾いていた。成長様は政氏様が小山を頼りにしていることに感激し、政氏様を祇園城に招いて徹底抗戦を主張した。だが小山と共に主力を担った佐竹と岩城が敗北したことで政氏様方の勢力が遮断され、小山も宇都宮勢との戦で少なくない犠牲が出ていた。それでも成長様は政氏様の支持をやめずに徹底抗戦に拘り続けて公方様の後ろ盾である宇都宮を敵視していた。だが政氏様と心中しかねない成長様の姿勢が家臣間の反発を招き、家臣たちの支持を受けた当時元服したばかりの政長様によって成長様は強制的に隠居に追い込まれてしまった。そして政長様は公方様を支持する証として政氏様を祇園城から追放した。政氏様方の主力であった小山家の離反は政氏様方の勢力に大きな影響を与えて、小山を皮切りにほとんどの勢力が公方様側についたことでこの後継者争いに終止符がつかれることになった。


 だがこの争いによって小山家は宇都宮・結城に大きく遅れをとることとなり、かつての威光は完全に失われてしまった。古河公方様からの信頼も宇都宮に奪われ、領地も周囲の勢力に狙われるようになってしまったことで小山家当主の求心力が低下してしまった。


 伊勢守殿は政氏様が追放されるまで成長様側にいたにもかかわらず、戦後も政長様からお咎めを受けなかった。しかし伊勢守殿は政長様が成長様を強制的に隠居させ政氏様も追放したことを今でも快く思っておらず、政長様もまた伊勢守殿を信用しきれずにいたことで細井家は次第に小山家で重用される機会が減っていった。


 そんな伊勢守殿が私に長福城主にならないかと接触してきたのははっきりいって迷惑だった。元服した直後から長福城を任されていたが私自身にはそんなつもりは毛頭なく、己の務めを果たすことが最優先事項だった。だから伊勢守殿が犬王様の長福城赴任に反対した際に私の存在を匂わせたと聞いたときは面倒なことに巻き込まれたと苛立ちを隠せなかった。


 犬王様と敵対するつもりがないというのに伊勢守殿のせいで大膳大夫殿たちから警戒されてしまい、しばらく居心地が悪い思いをしたのだが当の犬王様はそんな私を信用して遠ざけずに用いてくれたのだ。実際にお会いした犬王様は噂に違わず聡明で陰で言われてるような世間知らずではなかった。身分を問わずに意見を求め、自らの足で民のもとへ赴き直接話を聞こうと心掛けていらっしゃった。家臣たちからは心優しきお方だという声が聞こえるが、近くで犬王様を見ていた私は決してそれだけではないことに気がついた。犬王様は身分を気にしないというよりも優れたものなら積極的に用いようとする合理的な思考の持ち主であったからだ。


 誰の意見かではなく内容を重視するやり方は極めて合理的である反面、古参や譜代といった身分の者からは自身の立場を追いやられかねないものとして危険視する者も少なからずいる。しかし単純に新参を重用するわけではなく中身が伴っていれば古参や譜代の者も等しく評価するあり方には多くの者が肯定的だ。反発するのは家格に胡坐をかき研鑽を怠った者くらいだ。こういった者に限って無駄に家格があることが多く、私もその対応に頭を悩ませられてきた。


 身分に拘らず有能な者を取り立てる犬王様の姿勢はいい意味で私たちに危機感を抱かせた。現に与力として犬王様についている谷田貝民部は元々下級の家臣であったが犬王丸様に見いだされて側近に近い地位に取り立てられたひとりだ。当初は反発もあったと聞くが、いざ民部と話す機会が訪れるとその見識の広さと人脈のつながりに感心せざるを得なかった。特に商人と職人との人脈は石鹸を開発した小山家にとって欠かせないもので、これだけでも彼を取り立てたことに納得をしてしまった。


 犬王様のそばにいると小山家が新たな道を歩んでいることを実感する。これまでの人生に不満があったわけではなかったが、犬王丸様に出会わなかったならばここまで心躍ることは多くなかったはずだ。


 最近では以前より勉学や武芸に励む時間がかなり増えた。理由はわからない。自分には野心が足りないと思っていたがどうやらそうでもなかったらしい。もしかしたら犬王丸様に影響を受けたからかもしれない。


 犬王様は僅かな期間で私を筆頭に多くの臣からの信頼を集めた。幼くとも小山の後継として恥ずかしくない振る舞いをする犬王丸様は皆の蹇蹇匪躬(けんけんひきゅう)の誠を捧げるに値するお方なのかもしれない。

「面白かった」「続きが気になる」「更新がんばれ」と思ったら感想ください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 他人視点は主人公の客観的な評価がわかっていいですよね。周りの状況もわかるし。多くなると話が進まないのが困りものだけど。 [一言] 楽しく読ませてもらってます。もう少し更新が早ければなお良し…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ