異動
一五二五年 十一月 下野祇園城 小山犬王丸
「私が長福城に、ですか?」
ある日のこと、父上に呼び出された俺に告げられたのは翌年の長福城への異動だった。
「そうだ。犬王丸も長福城の重要性はわかっているだろう」
「それは存じております。しかしいきなり長福城へ異動せよとは話が急ではありませぬか」
長福城は祇園城から思川沿いを半里弱(約一・六キロメートル)南下した二条山に築かれた平山城で小山の支城の中で最も祇園城に近い位置にある城郭だ。さらに思川沿いを南下するとかつて小山家の居城だった鷲城がある。長福城は思川沿いに連なる祇園城と鷲城の中間に位置するつなぎの城としての役割をもっていた。
城下には中央を鎌倉街道が縦貫する神鳥谷の集落があり、かつて小山の館も構えていた小山家が古来から支配する土地だった。またこの神鳥谷は思川を行き来する船舶が積荷を下す船場と六斎市が併設されていて小山の経済の中心でもあった。そのため支城の中でも長福城は極めて重要な拠点のひとつとなっており、一門衆の重鎮など代々信用できる将が詰めてきた経緯がある。
「急なのも仕方ないのだ。大膳大夫と政景には事前に賛成してもらってるが水面下に進めていた話だからな」
「水面下?」
すると父上は控えていたひとりの男に視線を向けて声をかける。
「雅楽助、まわりに誰かおるか」
「……いえ、事前に人払いを済ませております。いるとしたら外にいる弦九郎殿だけでしょう」
先代の頃から当主の護衛を務めていた栃木家の当主である雅楽助は小山の重臣のひとりで、彼も父上の懐刀として傍に仕えている。この場にも唯一同席しており、外に控えている弦九郎を除いてこの部屋にいるのは俺、父上、雅楽助の三人だけだ。雅楽助は護衛として背景に溶け込んでいるので実質俺と父上の一対一となる。
「そうか。さて犬王丸、長福城の件より前に話すことがある」
そう父上が切り出してきたのは石鹸のことについてだった。
去年の評議において完成して石鹸を朝廷に献上する話が上がってから約一年、ようやく清原殿を通じて朝廷に献上することができた。献上の報告を受けた際に使者を務めた岩上伊予守から帝が石鹸に大変満足されており、お褒めの言葉もくださったことを聞くことができた。
帝の御墨付きという箔は瞬く間に関東に駆け巡り、それによって小山家の名声を高めることに成功した。この付加価値はこちらが思っていた以上の効果を発揮したようで、帝御墨付きの商品を扱える名誉に取り憑かれた関東の商人たちによって高値で取引されることとなり、小山の財政に潤いをもたらした。特に思川を下った先にある栗橋や関宿へは船舶を生かして多くの物資も一緒に取引された。そのおかげで小山の船舶や問屋にも利益が出て、城下はより活気に包まれるようになる。
一方で古河にも石鹸を献上したが公方からの評価は珍品としか見られなかったようで、関宿の簗田殿のような関心をもたなかったらしい。下手に気に入られて製法を教えるように迫られると思っていたので、『帝も見た献上品』以上の価値を見出さなかったことには少し拍子抜けしてしまった。
しかし公方には受けがよくなかったが、当時公方の侍医で医聖と称された田代三喜殿が石鹸を高く評価してくれたという。今は古河を離れて武蔵へ戻ったというが、名医として高名な三喜殿に評価されたのは幸運としか言いようがない。庶民の間でも有名な彼が評価したことで石鹸の知名度は地方にも広がりをみせていくことになった。
またそれまで直接の交流がなかった常陸国行方郡の国人芹沢秀幹殿からも使者がやってきて、石鹸の取引と今後の交流についての話を持ち込まれた。芹沢家は常陸の大掾家に仕えているが、国人としては珍しく代々医業に長じており、戦傷者の治療を手掛けている一族だ。その実力は常陸国内だけでなく関東各地にも知られており、大掾家に従属する弱小勢力ながら古河公方など他国の権力者と交流をもっている。そんな芹沢家からの交易の打診は小山にとっても利点が大きく、芹沢家を通じてそれまで直接かかわりをもたなかった勢力とつながることが期待された。
「石鹸の販売によって小山の経済が以前より活発になり、小山家としても大きな利益を得ることができた。芹沢殿とのつながりも今後も役に立つだろう。だが犬王丸には悪いことをしたと思っている。本来なら儂ではなくお前が称賛を受けるべきはずだった」
「いえ寧ろ私の方こそ父上に謝らなければなりません。父上と大膳大夫には私が受けるべき悪意を代わりに受けていただいております」
表向きの開発の責任者は大膳大夫となっており、外部から見たこれらの実績は父上のものと認識されていた。これは俺が表に出ることで周囲から命を狙われることを危惧した父上たちが可能な限り俺の存在を隠匿してくれたからだ。そのため父上に周囲からの悪意も受ける形となってしまっていた。
家臣には外部に漏らさないことを父上に命じられている。しかし今回石鹸が表舞台にでたことで少なからず小山を探ろうとするところがでてくるはずだ。もしかしたら俺にたどり着く可能性もある。いや、そうか。そういうことなのか。
「父上、もし間違っていたら申し訳ありませんが、今回の異動の理由は私の身に関することですか」
「……相変わらず聡いな。が、それだけではない」
「というと?」
「それが今回の本題だ。石鹸の開発によって小山の名を高めることはできた。それはいいのだ。だがここからが問題となる」
父上は先の古河公方の家督争いで高基についたが、元々小山家が政氏方の主力だったことから高基から好かれていないらしかった。実際には高基方だった父上が家督を奪ったことで政氏方から高基方へ鞍替えしたのだが、高基からみたら小山家は敵方の主力から寝返った家でしかないのだ。
その後十年余り小山家は元から高基方だった宇都宮や結城の後塵を拝していたが、河原田の合戦以降次第に存在感を示しはじめ、今回の石鹸でその名を再び高めることに成功した。これを面白く思わなかったのが親高基派の中でも高基に心酔する一部の者たちだった。彼らの多くは在地の国人ではなく公方の直臣で高基との距離が近い。関東の伝統的な豪族で高基と敵対した過去がある小山の存在を快く思っていなかった。
「はっきりいって今の公方様の情勢は芳しくない。弟君の道哲様の独立と勢力拡大は高基様の想定以上だった。本佐倉城の千葉殿もいつまで耐えられるかわからん。最近では弟の基頼様が道哲様のもとへ奔ってしまい、公方様も亀若様と不仲になられている。内部でも分裂しかけている状態だ」
「まさに内憂外患ですね。つまりその最中に石鹸を開発した小山が目をつけられたということですか?」
「石鹸を探ろうとしてるのはどこも同じだ。だがその一部の者が石鹸の利権を独占しようと動いておる。祇園城は堅固だが多くの家臣が集まっているゆえ、誰がいつ通じるか予測できなんだ。結城や宇都宮といった勢力ならばそこまで深刻に捉える必要はなかったのだが、今回動いているのは公方様の側近の一部だ。当の本人たちは小粒に過ぎんが、公方の権威を持ち出してくればそちらに靡く者がいても不思議ではない。それが小山の重臣だとしてもだ」
なるほど父上は重臣たちが集まる祇園城より長福城の方が安全だと考えて長福城への異動を命じたのか。
長福城は支城の中でも重要拠点だから若いとしても嫡男の俺が城主となることは不自然ではない。それに市場と船場が近い長福城は今後の施策を実施するにはうってつけの立地だ。
しかし父上は俺の心を見透かすように言葉を続けた。
「儂が犬王丸に異動を命じたのは身の安全のためだけではないぞ。むしろそれは建前の建前でしかない。これは幼子に対する言葉ではないと思うが、儂は犬王丸の手腕を大いに評価しておる。農機具や石鹸の発明に農地の改革と目から鱗が落ちるものばかりだ。現に儂ではどうにもできなかった小山家の名声を取り戻すということを成し遂げたのだ。だからこそ犬王丸にはこの長福城を託し、小山の発展に貢献してほしい」
「……よろこんでおうけいたします」
俺はこみ上げてくる熱いものを堪えるのと喉が震えるのを誤魔化すのに必死だった。
側から見て神童どころか異端とまで見なされてもおかしくない振る舞いだったにもかかわらず、父上は常にこんな俺の理解者でいてくれた。父上も理解できていなかっただろうに俺の案を頭ごなしに否定せず、実際にやらせてみたり採用してくれる。子供の戯言ではなくひとりの人間としての意見として扱ってくれたのだ。
心ない者から父上は軟弱や凡庸だと揶揄する声が出ているが、俺から見たら父上は自分と異なる意見を無碍にせずに道理に従って判断できる立派な施政者だ。
この父上の御恩に報いるためにも今後もより一層努力しなければならないと俺は心の中で固く誓ったのだった。
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