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高基の誤算

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 一五二五年 下総 古河城


「あの戯けめ、義明と手を結ぶとは儂が何の為に養子に入れたと思っているのだ!」


「公方様落ち着いてください。四郎様は扇谷を支援したわけであって小弓と手を結んではございませぬ」


「だがその当の扇谷は義明と手を結んでいるではないか!」



 逆上して宥める家臣に強く当たっているのは古河公方の足利高基だ。彼がここまで怒りを露わにした原因は山内上杉家へ養子に送っていた息子の上杉憲寛(うえすぎのりひろ)が高基と対立している小弓公方足利義明と事実上の盟約を結んだことにあった。


 ここ数年、伊勢から北条へと改姓した氏綱は扇谷上杉領への侵攻を繰り返し、江戸城を落としたことで江戸湾を支配下に置くようになった。劣勢に置かれた扇谷上杉家当主の上杉朝興は甲斐の武田信虎や江戸湾東部を支配していた小弓公方と手を結ぶことで北条から岩付城や蕨城の奪回に成功する。


 一方で一転窮地に陥った氏綱は義明と対立している高基へ使者を送り、古河公方と手を結ぶことを模索していた。


 今年に入り憲寛の養父だった関東管領上杉憲房が病没すると、憲房には養子の憲寛の他に実子が一人いたが年少だったために当主には憲寛が選ばれた。


 高基は自分の息子が関東管領になったことで上野と北武蔵を支配する山内上杉家を影響下に置くことを目論んでいたのだが、その思惑に反して憲寛は扇谷上杉の支援を表明し反北条の態度を示したのだ。憲寛は扇谷上杉を支援することで武田と小弓公方と共に北条勢力を追い出そうと考えていた。しかしこれは北条と結び義明を二方向から圧力をかけるつもりだった高基の方針に反し、義明方となった憲寛は実家である古河公方と敵対することになってしまった。



「しかし四郎様も扇谷を見捨てれば家中の反発を招くことをわかっていらっしゃったゆえにそうせざるを得なかったのでしょう。決して四郎様自身がこうなることを望んではいないはずです」


「随分彼奴の肩をもつではないか、中務」



 高基から睨まれるが、宿老である関宿城主簗田高助(やなだたかすけ)はそれに動じることなく高基に弁明する。



「いえ、しかし今の公方様は些か冷静さを欠いているようにお見受けしましたので、四郎様の立場もご理解頂ければと思った次第でございます」


「儂にそこまではっきり言えるのは中務くらいだ。だがな中務、どういった事情があったにせよ扇谷に味方するという判断は四郎でなくともできたはずだ。結果的に山内上杉は古河の敵に回る。その時点で儂が四郎を山内上杉へ養子に入れた意味はなくなったのだ。この意味がわからんそなたではあるまい」


「はっ、差し出がましい真似を致しました」


「ふん、わかればよい。儂はもう下がるぞ!」



 僅かな手勢を伴って古河城から居城の関宿城への帰路につく高助の表情は曇っていた。ここ数年高基は酷く感情的になっており、高助が聞く限りどうやら些細なことも周囲に当たり散らしているようで、いつ自分に当てられるか小姓や側近たちが怯えてるらしい。



「あの方に癇癪の気はなかったはずなのだがな……やはり心労か」



 若い頃から血の気が多いと思うことはあったが、今のような粗暴な感じではなかった。高基が話の途中で頭に血が上ることも珍しくなかったが、そのときは高助や他の重臣に諭されればすぐに落ち着いていた。


 しかし今の高基は明らかに血が上っただけだとは思えないほど荒んでいた。その原因はおそらく今の古河公方を取り巻く現況からくる心労だろう。


 今の古河公方を取り巻く状況ははっきりいってよろしくない。先の山内上杉家の間接的な小弓公方との盟もそのひとつで憲寛が古河と敵対することは高基にとって想定外のことであった。また小弓公方との戦況も厳しく、次々と古河方の城を攻略され、下総の重要拠点である本佐倉城に迫る勢いだ。本佐倉城主の千葉昌胤は古河と盟約関係を結んでいたが、小弓やその配下の真里谷、里見といった南総勢力に押されており、新たに北条と手を結ぶことでなんとか侵攻を食い止めている状態だ。千葉氏のこの状況は下総を掌握したい古河にとって無視できないものであり、高基には小弓方に落とされる前に昌胤を救援したい思惑があったが、事態はさらに高基に牙を剥いた。


 古河の主戦力がいる下野では高基が最も期待していた妻の実家である宇都宮家が内紛を起こし、義兄弟で信頼していた忠綱が敗死してしまう。すぐに新たな当主が立てられたが、興綱は年少で家臣たちの傀儡であることは明らかだった。宇都宮家の弱体化は古河にとって最悪の事態であり、近隣の勢力は宇都宮の弱体化につけこんで勢力を伸ばそうと暗躍していた。


 下野最大の兵力を誇る宇都宮家が期待できない状況で次に高基が期待していたのは下総の結城政朝だったが、彼もまた下野へ手を伸ばそうとしてるひとりであり、小弓へ兵を向ける余裕がなかった。


 その結果、下野勢力が期待できないことで高基は大規模な遠征を実施できず、下総の在地勢力だけで小弓の侵攻を防がざるを得ない状況に陥ってしまった。


 そして小弓に対抗するため手を結ぼうとしてる北条も窮地に陥っていた。一年前に岩付城を落としたまではよかったものの、朝興は武田信虎や小弓と手を結ぶことで半年で岩付城を奪回し、蕨城と毛呂山城も落としてあっという間に勢力を回復させた。


 また江戸湾の海域を巡って小弓と敵対するようになり北条は扇谷上杉、甲斐武田、小弓、真里谷、里見そして山内上杉を一気に敵に回すことになり苦戦を強いられることになった。


 いかに氏綱が優れた将であっても複数の勢力を相手するには状況が不利すぎた。高基は氏綱の不甲斐なさを嘆いているが、高助から見たらあの状況で苦戦しつつも拮抗している氏綱の手腕は絶賛に値した。並の武将なら一気に瓦解しかねないし、高助も自身がそのような状況に置かれたならば氏綱のように対処できないと即答できる。


 それなのに高基がそれを理解できていないことに高助は不安を感じていた。高基は武将として特別な才があるわけではないが氏綱の状況を理解できないほど愚鈍ではなかったはずだからだ。焦燥でそこまでの判断ができなくなっているのか高助には見当がつかなかったが、少なくとも今後の古河に不穏な気配が流れつつあることには勘付いていた。最近では御子息である亀若丸と不仲だという噂が高助の耳にも届いていた。事実かどうかは定かではないが、そのような噂が出てる時点で状況はよろしくない方向に向かっている。



(内憂外患とはまさにこのことか。このまま状況が悪化すれば再び古河を分裂しかねないぞ)



 先代当主政氏と高基の間で起きた家督争いは古河方の諸勢力に大きな混乱をもたらし、結果として古河の影響力を弱体化させてしまった。高助もこの争いで父と対立し勘当された身だった。最終的に高助が支持した高基が勝利したことで当主になれたが、それと同様のことが他の家でも起きていた。また高基の岳父 宇都宮成綱死後、健在だった宇都宮家さえ内部抗争が発生したのだ。


 ゆえに再び家督争いが勃発してしまえば、今度こそ古河公方がどうなるのか高助には想像できなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白く楽しませてもらっています。 [気になる点] 似ている人物名が多いため誰を指してるのか分かりづらく、(氏綱、成綱など)名字も合わせて書いてあるとより読みやすくなりそうだなと思いま…
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