珍しい来客
下野国 祇園城 小山晴長
羽生田城と村井城落城を受けて宇都宮方だった犬飼城の犬飼図書助と樋口城の樋口主計頭がこちらに寝返った。羽生田城と宇都宮城の中間に位置するこの二城が小山方に転じたことによって羽生田地域の支配圏を確かなものにするだけでなく、宇都宮城への侵攻も可能となった。一応宇都宮城の手前に支城がひとつあるがそれは小規模なもので大した障害にはなり得ない。鹿沼城と宇都宮城を両睨みできる状態になったことで今後の戦略の幅が広がった。
村井城が落ちた今、壬生家の支配圏はもはや鹿沼城と支城の日向城のみとなっており、南を小山、西を佐野、北を日光に囲まれていた。しかしながら東は宇都宮の勢力圏となっているためそこから援軍を得ることができるのでまだ油断することはできない。
村井城を落としたあと、祇園城に珍しい客が訪れていた。鹿沼城の北に位置する小倉城主の桜本坊昌安からの使者だ。桜本坊昌安は日光の僧兵であるが小倉郷、芦岡郷、塩野郷を領していた。また昌安は大酒呑みの破戒僧として有名で好戦的な人物としても知られていた。
そんな昌安からの使者。一体何事かと思いきやどうやら羽生田城と村井城落城を祝うためだったようだ。日光に人を送り込んだとはいえ、昌安とは交流がなかったのでこれには驚いた。しかし考えてみれば昌安と綱房の領土は隣り合っており、それゆえ綱房と摩擦があったのだろう。特に昌膳の乱以降、綱房と日光の関係は断絶されており、小山と結城を迎えた日光と敵対状態にあった。
「この度はふたつの城を落としたこと、めでたきことと存じあげます。我が主君は小山様に感謝の意を示しております。こちら祝いの印でございます」
使者はそう言うと日光山で製造された酒を俺に献上する。使者曰く、この酒は製造されている中でも高位の僧しか飲めない高価なものらしい。この用意した酒の質から昌安の小山に接近したいという意図が窺える。こちらとしても日光側の人間とは懇意にしておきたいので酒はありがたく受け取った。
しばらくは今後も親しくしていきたいという旨を話していたが、使者の昌念がふとこんなことを口にした。
「そういえば小山様はいつ頃鹿沼を攻めるおつもりなのでしょう?」
一見何気ない問いだが、話の流れを切る唐突さに俺はわずかな違和感を覚えた。
「……さて、いつだろうかな。ところで昌念殿はなぜそのようなことを?」
「いえ、我が主君が気になっていたもので。もし時期がわかれば我らもお力になりたく」
「それは昌念殿の考えか?それとも昌安殿の考えかな」
「我が主君の考えと思ってくだされば」
なるほど、つまり昌安は鹿沼攻めの際に一枚噛みたいということか。こちらとしても日光勢の手を借りることができるのは助かるが、おそらくただの善意ではないだろう。
下手に介入を許して今後の鹿沼統治に支障が出るのも避けたいところだ。鹿沼には良質な鉱山があると聞く。狙いはそこか?鹿沼の資源は完全にこちらのものにしておきたい。そう考えると安易に助力に応じるのは下策か。
俺は言質をとらせないように曖昧に返事をするに留めた。警戒されたと踏んだ昌念はあの手この手で俺に昌安の助力を求めさせようと文言を変えて言質を引き出そうとしてくる。
しかし俺が明確に答えないことに観念したのか昌念は無理に助力の言質をとることを諦めて大人しく祇園城を後にした。
「後半の昌念の焦り具合を見るに、昌安は何か企んでいたようだな。おそらくは鹿沼攻めの参戦、混乱に乗じて自身の領土を拡大しようと考えていたのだろうな」
家臣たちも昌念の様子から何か疑っていたようで、何人かは俺と同じく向こうの意図に気づいた者もいた。
「ただの領土拡大が狙いならば良いですが」
資清が懸念を口にする。
「やはり狙いは鹿沼の資源だと思うか?」
「その可能性はあるかと」
「そうだな、鹿沼には良質な鉱山がある。そして日光も鉱山を持っていると聞く。日光の連中が鉱山の利権を狙わないとは思えん」
良い意味でも悪い意味でもさすがの日光だ。奴らは長い間下野に君臨してきた一大勢力。利用するつもりで近づけば気づかないうちに利用される。一切の油断ができないものよ。
昌念が祇園城を去ったあと、俺は奥の部屋へ足を運び、富士に会いに向かう。富士は部屋から外の景色を見ていた。
「あっ、お前様!」
富士は俺の姿を認めると俺のもとに向かおうと立ち上がるが、眩暈を起こしたのか一瞬足元がふらついて控えていた侍女らに身体を支えられる。
「おいおい無理はするな。まだ体調が良くないんだろう」
「申し訳ありません……」
富士は侍女に支えられながらも俺の胸元に寄り添ってくる。富士が体調を崩しはじめたのは今年に入ってからしばらく経った頃の話だ。最初は吐き気を催すようになって次第に食べ物の匂いがつらくなってきたという。俺や家臣らは何かの病気ではと慌てたが、侍女や母上は慌てることなく富士に対処法を授けていた。そんな母上らの様子を不思議に思いながらもすぐに医者に見せると驚きの答えが返ってきた。
「妊娠ですな。おめでとうございます」
なんと富士は妊娠していたのだ。吐き気などは要は悪阻だったようで、母上たちが慌てなかった理由がようやく理解できた。それから富士は安静にしつつ適度に身体を動かす日常を過ごすことになった。しかしながら悪阻もあるようで普段のような食事はとれなくなったようだ。そこで俺は冷やした酸味のある果実を富士に送るようにした。普通の食事がつらくなった富士も冷えた果実は大丈夫だったようで食べ過ぎない程度に果実を口にするようになった。
「しかし富士の腹には赤子がいるのか。まだ実感が湧かんな」
俺はまだ膨らんでいない富士の腹を撫でると、富士はくすぐったそうに笑いながら俺の胸に頭を預ける。
「まだ妊娠と発覚して時間が経っていませんからね。しばらくすればこの子も大きくなってくると思いますよ。生まれてくるのはどちらでしょうか」
「男だろうが女だろうが母子ともに無事なら俺は構わんさ。出産は命がけだという。俺ができることは少ないだろうが、できることはなんでもやるつもりだ。そうだ、今度佐八殿に伊勢神宮で出産祈願の祈祷を依頼しよう」
そう提案すると富士は笑って同意する。願わくば富士も子も無事でいられますように。
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