周長から見た小山
下野国 西林寺 壬生周長
羽生田城代藤倉尾張守とともに小山家の捕虜となった儂は祇園城下の西林寺預かりとなった。西林寺は街道沿いに建てられており、城下の喧騒がよく聞こえる。捕虜となった身だが拘束されているわけでもなく、寺ではそれなりに自由に過ごすことができた。驚いたことに監視はつくが外出も許可されており、短時間ながら城下の雰囲気を味わうことができた。
監視の者とともに祇園城下に出てみると町は活気に満ち溢れており、これまでみた町の中でも一、二を争うほどの繁栄ぶりだった。市場が開いているのか人手が多く、あちらこちらから商人の威勢のいい声が聞こえてくる。商人だけでなく客や民衆も大勢おり、それが城下を盛り上げていた。市場に赴くとそこには様々な商品が並んでいて野菜や魚だけでなく油や織物、挙句には盤のような物まで揃っている。この盤は碁に似ているが若干形が異なるな。新たな遊戯なのだろうか。
城下の西側にある思川には複数の船が行きかい、整備された船着き場では人々が船から積み荷を降ろしている。この規模の川でここまで整備された船着き場があるのも珍しい。だが多くの船が思川に止められるのはこの船着き場のおかげだった。
我が領にも川はあるがあそこまでの船着き場は整備していなかった。思川が古河や関宿につながっているとはいえ、ここまで往来が盛んになるとは。小山家の内政手腕には驚かされる。
小山の発展ぶりには本当に目を見張るものがある。市場の盛況ぶりもそうだが、とにかく人口も多い。農村部がどうなっているかはわからないが、壬生や鹿沼の城下もここまでの人はいなかった。特に鹿沼に関しては日光につながる町としてそれなりに栄えている自負があったが、ここを見てしまってはその自負も揺らいでしまう。
小山の光景を見ているとふと初老の男と目があった。
「もし、少しよろしいか」
「ん、ああ、儂に何かご用ですかい、お侍さん」
「ちょっと尋ねたいことがあってな、お主はここに長く住んでいるのか?」
「え、ええ。生まれも育ちも小山ですぜ」
「それはちょうどよかった。儂は最近ここにきたのだが、ここまで発展した町は中々見たことがなくてな。なぜここまで栄えているかわかるか?」
「なんだ、お侍さん最近こっちにきたのかい。なら儂が知ってることくらいなら教えてやるよ」
初老の男はこちらを疑うことせずに話しはじめる。曰く、小山は十数年前まではそこそこ栄えていた程度の小さな町だったが、先代の頃から少しずつ特産物の生産や船着き場の整備などが進んできたらしい。
「まあ形になったのは今の御屋形様のおかげよ。特に関所を廃してくれたのは大助かりだった。関所がなくなったおかげで商品が安く市場に出回るようになったからのう」
さらに今や知らぬ者はいない石鹸と焼酎の開発も今の当主が手掛けたらしい。そういった政策や内政の積み重ねによって小山はここまで発展したようだ。その手腕に舌を巻くしかない。
対して我らはどうだ。日光に手を出して開発にも手掛けてきたが、ここまで大きくはなれなかった。いや、我らはまだましだったかもしれない。他の宇都宮の連中はどうだ。身内同士で争い、領地経営を蔑ろにしていた。宇都宮だって大きな町であったにもかかわらず、それに胡坐を掻いて更なる発展の機会を逃した。むしろ小山が成長してくるにつれて宇都宮は徐々に廃れつつあった。露骨に寂れることはなかったが、商人が小山に流れていくのは目に見えて明らかだった。
礼として男にいくらかの銭を渡して西林寺に戻ると儂は自然と壬生家の将来や今後について考えていた。鹿沼城から目と鼻の先にある村井城まで落とされた壬生には鹿沼城近辺しか残されていない。宇都宮の援助があれば巻き返しも可能だろうが正直厳しいだろう。せめてあのとき宇都宮が予定どおりに羽生田城を攻めていたらこんな事態にならなかったはずだ。
そう思うと宇都宮の判断に苛立ちを覚える。羽生田城を見捨てたのだからせめて飛山城は死守してほしいが、飛山城がどうなったのか耳に入ってこない。
あとは兄上がどう動くか。兄上のことは弟の儂にもよくわからない。兄上には兄上の考えがあるようだが、儂と距離ができたせいか、まったく腹の中を探らせないのだ。儂だってかつて壬生城代の座を奪われたことに思うところがないといえば嘘になるが、壬生の将来を憂う気持ちは同じなはずなのに悲しいものよ。
そして後日、風の噂で兄上が捕虜の返還を求めなかったことを儂は知った。
そうか、儂らは見捨てられたのか。
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