壬生追撃戦
下野国 茶臼山古墳 小山晴長
「ご無事でございますか、御屋形様!?」
一〇〇〇の兵を率いた右馬助が合流を果たすと一目散に俺のもとへ駆け寄ってきた。
「右馬助か。助かった。右馬助がこなければ危うく負けるところだった。ところで右馬助、なぜお前たちがここにいる?宇都宮はどうした」
俺の問いに右馬助は若干気まずそうに乾いた笑いをするとこう答えた。
「あー、その宇都宮なのですが、姿川を渡る前に急に反転して引き返してしまったのです」
「引き返しただと?」
「はっ、なぜ引き返したかについては加藤の者に調べさせています。しかし戻る気配がなかったので御屋形様の救援に向かいました。勝手に兵を動かして申し訳ございません」
それに関して俺は怒ることはしなかった。現場の指揮官である右馬助が状況を判断して動かしたのだ。それに右馬助らがこなければ多分俺は負けていた。上三川城の勘助が今回不在だったことも大きかったが、なにより俺の指揮の経験が少なかったことが苦戦の原因だ。それなりに経験したつもりだったが、今回のような状況の変化に対応しきれなかった。敵の指揮官が優れていたことも要因のひとつだが、だからといってこのような事態を招いたのは俺の失態だ。内政が忙しく、最近兵学が疎かになりつつあったことを反省し、今後は同じようなことを繰り返さないように精進しなくては。
「右馬助、壬生を追撃する。敵は総崩れだ。こちらも手負いが多いが右馬助らがきた今こそ壬生を叩く好機だ」
「はっ、お任せください。敵の大将を討ち取ってみせましょうぞ」
右馬助ら無傷の一〇〇〇を中心とした一五〇〇の兵で鹿沼方面に逃れようとしている壬生の軍勢の追撃を開始する。壬生の軍勢はすでに戦場を離れていたためかなりの距離を追うことになったが、敵も手負いのため進軍速度は遅くなっていた。
やがて敵の殿を捉えると法螺貝を吹いて襲いかかる。敵もこちらの追撃に気づいたようで殿の部隊が反転し本隊を逃がすように立ちふさがる。しかしながらこちらはほぼ新手の兵に対して殿の兵はほとんどが手負いで数も一〇〇と少し程度しかなかった。敵の殿も最初は善戦してこちらの攻撃を食い止めていたが物量の差に押されてあっという間に瓦解する。殿部隊を指揮していたらしき敵の部将が討ち取られると敵の殿は完全に小山の兵に呑まれていった。
敵の殿の踏ん張りによって少々時間がかかってしまったが再び敵の追撃に移る。しかし敵はちりぢりになりながらもなんとか村井城に逃げ込んだ。小山の兵はそのまま村井城を包囲する。
「結局村井城まできてしまったな。これは深追いし過ぎたか?」
「ですが敵の数はそう多くありません。鹿沼がどう動いてくるかはわかりませんが、我らほど兵を揃えることはできないでしょう」
「敵の大将が誰なのかわからんがここまできたら村井城は落としたいところだな」
村井城は台地上に築かれており、郭は三つに分かれている。規模はそこまで大きくはないようだ。村人を捕まえて城について尋ねるとこの城は源義家の家臣鎌倉権五郎景政が一夜で築いたという伝説が残されているという。今の城主は壬生家一門の大門家でおそらく資長の嫡男資忠だろう。
城に逃げ込んだはいいが見た限り敵にはほとんど兵が残っていなかった。これなら兵数の利があるので力攻めで落とすかと考えていると城からひとりの武将が飛び出してきた。何事かと思いきやどうやら降伏を知らせる使者だったようだ。
使者から城側の降伏を伝えられた俺は降伏を受諾し村井城に入城する。村井城では敵の大将だった男が待っていた。
「こうして顔を合わせるのは初めてであったな。壬生治部少輔周長である」
「小山隼人正晴長だ。そなたが今回の総大将でよろしいか?」
「左様だ」
鋭い目つきと頬の大きな刀傷が目立つ周長は言葉少なめに頷く。見た限り綱房らしき人物はここには見当たらない。討たれたかあるいは鹿沼にいるのか。だが周長が嘘をついているように見えないことからおそらく鹿沼城にいるのだろう。
話を聞いたところ、周長は綱房に命じられて羽生田城奪回に動いていた。当初は宇都宮俊綱と連動して二方面から攻撃する予定だったが、宇都宮は突如兵を退かせてしまった。そのため周長は小山全軍と相手することになり、本来宇都宮と当たるはずだった右馬助らの増援により敗北。その際に村井城主の大門資忠も茶臼山で討ち死にしたらしい。周長はわずかな手勢でなんとか村井城まで帰還できたが村井城は小山に包囲されてしまう。まともに防戦は不可能と判断した周長は降伏を決意したという。
「城兵の命は保障しよう。その代わり、治部殿は捕虜として小山に連れていかせてもらうぞ」
「それで城兵の命が助かるなら安いものだ。にしても十年近く前に祇園城を攻めた小山に村井城まで落とされるとはな」
周長は自嘲するかのように薄く笑う。
周長から村井城を受け取った俺はその後兵を配置させて一度羽生田城に戻り、茶臼山の分も含めて戦後処理と首実験をおこなう。その結果、壬生側は村井城主大門資忠以下、渋江房宗、黒川正勝、木村源七郎など多くの有力家臣の討ち死にが確認できた。
その最中、加藤一族の者から急な宇都宮の撤退の真相を知らされることになる。なんと羽生田城を攻める同時期に芳賀・益子の連合軍が飛山城を攻めてきたのだ。宇都宮はすでに落ちた羽生田城より現在攻められている東の重要拠点の防衛を優先し、羽生田城から飛山城に目標を変更させたのだ。周長からしたらたまったものではないだろうが、宇都宮からしたら飛山城を芳賀に明け渡すことは断じて容認できなかった。
もし宇都宮が当初の作戦どおりに羽生田城を攻めていたら俺たちはおそらく負けていたし羽生田城も奪還されたかもしれない。だからこそ今回の勝ちは宇都宮の撤退という幸運に恵まれたと強く感じた。
勝ち戦のはずなのに苦い思いが強く残った一戦だった。
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