落合の地にて
下野国 落合郷 山本勘助
小山の本隊が祇園城へ帰還し、残された我々は大山城からの増援、地元の農民らと協力して落合館跡に砦を築くことになっている。民たちの協力が得られるか不安もあったが、小山恒例の金銭での支払いを告げると民たちは小山の砦を築くということでも挙って動員に賛同した。
御屋形様から築城の責任者に任じられた儂はまず落合館跡の地形を確認する。落合館の建造物は業火によって灰燼に帰したが、堀や土塁はそのまま残っており、この堀や土塁を生かして外縁部を中心に要所に柵を設けさせる。今回は築城中に敵から攻撃されることを見越してまず外縁部の完成を目指した。
「おう山本殿、こちらの柵は建て終わったぞ」
「これは谷田貝殿、それはありがたい。後で確認いたす」
「なに、今回早く終わったのは山本殿の献策のおかげよ。まさか区域を分けてそれぞれ同時並行で作らせるとは。こんなに早く進むのなら、今まで端から順番に作らせていたのが馬鹿みたいだ」
ケラケラと快活そうに笑うのは谷田貝民部殿。彼は開発担当として御屋形様の信任が厚い方だが、今回自ら落合に残って築城に参加していた。谷田貝殿は作業中は儂の指示に従いながらも作業の合間には積極的に儂に話しかけてくれて、当たり障りのない世間話や御屋形様のことなど色々な話題を提供してくれた。特に幼少期の御屋形様についての話は興味深く、儂の知らない御屋形様について知ることができた。
そんな風に交流を深めたからだろうか。儂はあるとき谷田貝殿にふとこんなことを溢してしまった。
「此度の戦は本来なら儂の責だったのだが、それは違うと御屋形様に咎められてしまってな……」
それを聞いた谷田貝殿は神妙な面持ちでしばらく何か考え込んでいたが、やがて顔を上げると儂にこう言ってきた。
「なあ、今晩一緒に酒を交わさぬか?」
「酒を?し、しかし仮にも責任者である儂が作業を放って酒を飲むなど……」
「そう言って山本殿は一日も休んでいないではないか。兵たちも心配してたぞ、山本殿はいつ休んでいるのだろうかって。頭が休まなければ、下も休みづらいのだ。それに今晩は作業を止めているだろう。今晩くらい山本殿が休んでも誰も文句言わんさ」
たしかに谷田貝殿の言うとおり、今晩は民や兵を休ませるために作業を止めている。だがだからといって儂が休むわけには……
「なんだ民部、今晩は山本殿と宴をやるのか?それは結構結構。山本殿は全然休まないから無理矢理でも休ませておけ。山本殿が休んでくれんと儂らも休みづらくてな」
儂らの会話に聞き耳を立てていた他の将たちからも儂に休むよう促してくる。儂は責任感から休まないようにしていたが、それが却って他の者の負担になっていたとは思いもせず、儂は大人しく谷田貝殿と酒を交わすことにした。
「さて無理矢理誘って悪かった。だが山本殿とは一度腹を割って話したくてな。山本殿はあの戦の責は自身にあるとおっしゃってたが、それはどういうことなのだ?」
儂は此度の戦について敵の策を見破れなかったこと、そのせいで御屋形様を危険に晒してしまったこと、その責をとって落合に残ろうとして御屋形様に叱責されたことを谷田貝殿に正直に話した。谷田貝殿は途中で言葉を挟むことなく黙って儂の言葉を聞いていた。
「儂もいい歳した大人だ。御屋形様の言うことが正しいことは理解できるし、儂の自責の念も思い上がりだともわかっている。だがいざ切り替えようと思っても、つい気になってしまってな」
「……なるほどのう」
すべてを聞き終えた谷田貝殿は腕を組んで空を見上げる。そして再び顔をこちらに向けるとゆっくりと口を開いた。
「儂も山本殿の気持ちは理解できる。口で言うのは簡単だがな。儂も似たような経験があった。山本殿と同じように色々気に病んだものだ。けれど、あるときふと気づいたのだ。こんな思いは二度としたくない、ならば今回のことを次回に生かせるようにしようと。そう考えれば今まで悩んでたことが一気に晴れるようになってな」
「次回に生かす、か」
「そうよ、山本殿の場合、今泉と落合を戦で負かせればいいのだ」
そう言うと、谷田貝殿は酒が注がれた盃を口に運ぶ。なんて単純な、と思ったが同時に真理でもあると気づく。そう考えると、なんだか今まで悩んできたものが馬鹿らしくなってきた。
「感謝いたす、谷田貝殿」
「なんだか谷田貝殿って言われるのは余所余所しいな。一度盃を交わした仲なんだから民部と呼んでくれ」
「ならば儂のことも勘助と」
月夜に照らされる中、自然と互いの盃が交差した。
それから少しの時が経つ。築城を開始してからひと月あまりが経過した頃、物見の兵が鐘を鳴らす。今泉が攻めてきたのだ。数はおよそ四〇〇。対して砦側の純粋な戦闘可能な人数は一八〇前後であとは動員された農民や作業中の者だった。砦はまだ未完成だったが、外縁部を優先的に作らせたので以前より堀は深く、要所に柵が設けられており、守る分には十分な備えはできてきた。また今回砦の虎口を食い違い虎口に改良し、縦堀を新たに設けるなど簡単に侵入を許さない縄張になっている。
「敵襲、敵襲!皆の者、配置につけえええ!」
「勘助殿、儂は大手へ向かう!」
民部殿が手勢を率いて敵の主力が押し寄せてくる大手へ向かっていく。儂はそれを見送りながら妙光寺成田砦や多功城などに救援を要請させつつ、自ら物見櫓に登って敵の動きを把握する。
敵は砦が未完成だと侮り、何の工夫もなく真正面から攻めてくる。そこで儂は敵兵をぎりぎりまで引きつけさせると堀と土塁を登ってくる相手に資材だった丸太を落として地面に墜落させる。また以前より深い堀に困惑している敵に向かって矢や石を放ち、混乱に陥ったところを土塁から落ちてきた丸太が襲う。
こちらの手強い反撃は想定していなかったのか、一刻もしないうちに多くの敵兵が討ち取られ、一度も砦内に侵入できないまま敵は退いていった。
さらに半刻後に小山の援軍が到着したが、すでに撃退したことを伝えるとその手勢でよく凌いだと賞賛され、少々気恥ずかしかったが同時に誇らしい気持ちにもなった。
「素晴らしい采配だったぞ。敵の数がそこまで多くなかったとはいえ、この未完成な砦で完勝するとはな」
「民部殿もよくご無事で。なに、皆の者が頑張ってくれたおかげよ。それに御屋形様に砦が落とされたなんて報せは届けたくなかったからな」
「勘助殿は真面目だな。ただ勘違いしてはならないのは砦を守るために無理して死んじまっては意味がないってことだ。砦は後から取り返せるが、人の命は違う。御屋形様は砦が完成したら祇園に戻れとおっしゃっていたはずだ。それは勘助殿の命が今後も必要だからだ。だからくれぐれも命を軽々しく扱ってくれるなよ」
民部殿の言葉に痛いところを突かれたと儂は苦笑するしかなかった。
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