屍を越えて
下野国 落合郷 小山晴長
「本陣を上げろ。前線と分断されてはならぬぞ!」
落合郷では激しい戦いが繰り広げられていた。敵の罠に引っかかり、奇襲に遭った小山の軍勢は混乱に陥っていたが、諸将の踏ん張りによって総崩れはなんとか避けていた。
だか陣が間延びし、その側面を突かれてもいたことから、俺は本陣を押し上げることによって陣形を戻そうと試みるが、それには代償も伴った。弦九郎らに一〇〇の兵を遣わしたことにより本陣は手薄になっていた。その中で陣を上げたので本陣にも敵が押し寄せることになる。
俺も自ら槍を手に取り、すぐそばを矢が通り抜けていく中、入りこんできた敵兵を討ち取っていく。戦場で槍を扱うのは今回が初めてながら存外扱い易かった。
「お見事でございます!」
「いちいち褒めなくてよい。それより状況はどうなっている?」
心の臓を貫いた槍を引き抜きながら周りを見渡すが、ここまで侵入してきた敵はそこまで多くないようだ。ほとんどがすでに討ち取られている。
本陣から増援を送ったことによって前線にも動きが出てきた。増援を得た先陣を務めていた八郎らの奮起によって、今泉の軍勢を徐々に押し返しはじめたのだ。八郎の怒声が本陣まで響いてくる。それに呼応されるように他の武将も八郎に負けないとばかりに、声を上げて味方を鼓舞する。気づけば本陣までくる敵もかなり減っていた。
「流れはこちらに傾きはじめたぞ。八郎らを討ち取らせるな!」
一度は総崩れ間近だった小山の軍勢は完全に息を吹き返した。小山の側面をついていた落合勢も元々少数であったため、時間が経つにつれて各個撃破されていき、ついに業親は反転して戦線を離脱に傾いていた。
落合勢の敗北を見た今泉泰高も勝機を逸したと判断したのか、法螺貝が鳴り響く今泉の軍勢も上三川城方面へ撤退しはじめた。しかし小山にもそれを追撃する余力は残っておらず、俺は追撃しないように指示を出した。
ようやく一息吐けたところで周囲を見渡す。本陣は旗がなぎ倒され、敵味方の骸があちらこちらに転がっているなど、散々なことになっていた。中には俺のよく知る小姓や前線からの伝令だった兵士の姿もある。首のない味方の亡骸もあった。
これでは上三川城の攻略は無理だな。戦には負けなかったが、これではまるで負け戦みたいだ。しかしそれは声に出すことはない。
「皆の者、よくやった。今泉の軍勢は上三川城に退いていった。この戦、我らの勝ちだ!」
俺の声に反応して家臣や兵士たちが鬨の声を上げる。だがその声量は戦前より寂しいものだった。
「御屋形様、ただいま戻りました!」
「弦九郎、無事であったか」
しばらくすると業親に対応するために側面に向かっていた弦九郎と栃木雅楽助が戻ってきた。ふたりとも戦傷はあるが無事のようだ。
「申し訳ございません。落合隼人正を討ち取ることができませんでした」
「だが奴を敗走させたと聞く。奴の敗走で今泉も敗走したのだ。その戦果は誇ってよいぞ」
弦九郎らを慰労すると、弦九郎は感極まったのか身体を震わせる。雅楽助はそんな弦九郎の肩を抱き寄せた。
弦九郎、八郎、勘助らは無事に生き残ったが、同時にこの戦で討ち死にした武将もいた。
「藤岡佐渡守、細井大膳、島津隼人……そなたらの犠牲は絶対に忘れぬぞ」
重臣である藤岡佐渡守をはじめ、家臣団の一角を占める少なくない武将たちが命を落としてしまった。この戦では俺が当主になって以来、一番の犠牲が出てしまった。重臣級の武将が戦死したのも初めてだ。自責の念が俺の胸を締めつける。
敵は退いたといっても、こちらも満身創痍。これ以上の進撃は不可能で家臣らに祇園城へ帰還することを伝える。
「御屋形様、落合郷についてはどうするおつもりですか?」
「落合には無事な一〇〇人を残して簡易的な砦を築くことにする。すでに大山城にも支援を要請して人手は足りるはずだ」
「では落合には私を残していただきとうございます」
そう声を上げたのは勘助だった。
「勘助がだと?」
「今回の戦で儂が早く敵の罠を見抜ければここまでの被害は出ませんでした。この戦の責は儂にあります。だからこそ──」
「自惚れぬなよ、勘助」
「御屋形様?」
「敵の策を見抜けなかったのは大将である俺の責任だ。一部将に過ぎない勘助の責任ではない。だがそうだな、勘助には築城術がある。ならば落合館跡にできる限り強固な砦を築け。ただし砦ができ次第、祇園へ戻れ。砦には別の者に入ってもらう。いいな」
「……ははっ」
今回は上三川城を諦めるが、この悔しさは絶対に忘れない。落合郷はとれたが、それだけだ。得たもの以上に喪ったものが大きかった。
兜に今回戦死した佐渡守らの名前を刻みながら、俺は再戦の機会を窺うのだった。
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