和睦の決裂
下野国 祇園城 小山晴長
宇都宮との和睦は上三川城主今泉泰高による境目の村への侵攻によって決裂した。当初は泰高が行動を早まったかに思われていたが、調べていくとどうやら裏があるようだ。
宇都宮で諜報活動をしていた加藤一族の報告によると、宇都宮側の過失によって晴氏の怒りを買ってしまった俊綱は泰高を一切叱責しなかったらしい。もしかしたら裏で呼び出して叱責した可能性も捨てきれないが、泰高には何も罰は与えられなかったとのこと。
よく考えれば重臣とはいえ、食糧欲しさに盟約違反になる小山庇護下の村を襲うことを単独で決断できるだろうか。いや、よほどの阿呆かうつけでない限りそんな判断をできるとは思えない。泰高がそんなうつけだという話は聞いたことがない。
もし泰高が勝手に判断して行動したわけではないとしたら、泰高に村を襲うことを許可した人物がいるはずだ。もし泰高が末端だったなら候補がたくさん出てくるが、泰高は宇都宮の一門衆に名を連ねる重臣だ。そんな彼に許可を与えることができる人物はほぼひとりしかいない。当主の宇都宮俊綱だ。
俊綱は当初今回の件を小山が宇都宮を陥れるための虚言だとして晴氏に抗議していた。しかし小山が下手人を捕らえて古河に移送していたことで村襲撃は宇都宮側が引き起こしたものだと明らかになったので俊綱の抗議は却下されていた。俊綱が村襲撃を命じたか許可したとしたら奴は相当な狸だ。小山が下手人を誅していたら事実は闇の中に葬り去られ、俊綱の抗議も受け入れられた可能性もあった。そうなった場合、晴氏に疑われたのは小山の方だったかもしれない。
「そう考えると下手人を古河に移送するという案は正解だったようだな、佐渡守」
俺は藤岡佐渡守に目を向ける。捕らえられた当初は下手人の首を泰高に送りつけてやろうという意見が家臣たちから上がったが、佐渡守は下手人を生きたまま古河に移送して晴氏に証拠として差し出すべきと訴えた。
「いえ、これも儂の案を採用してくれた御屋形様のご判断のおかげでございます」
「謙遜するな。佐渡守の意見がなければ下手人の首は離れていただろう。佐渡守のおかげで奴らの嘘が暴かれたのだからこれは佐渡守の手柄だ」
そう言うと佐渡守は気恥ずかしそうに笑う。
さて宇都宮との和睦が決裂したということは和睦の条件だった宇都宮と芳賀との停戦も破棄されたということだ。俺は飛山城から真岡城に拠点を移していた芳賀高経に和睦が決裂した旨を伝えて警戒するよう呼びかける。高経は新たに益子勝宗と結んで宇都宮に対抗するつもりらしい。しかし飢饉の影響ですぐに身動きはとれないようだ。
そして小山も宇都宮の侵攻に備えなければならなくなった。飢饉で兵糧に余裕がないので今年度は軍事行動をとるつもりはなかったが、先の件にように食糧目当てで宇都宮が攻めてくる可能性が高く、防戦に徹することにした。
そこで俺は新たに小山領と上三川領の境目になる妙光寺付近に砦を築くことを決める。砦を築く目的は境目の村の防衛と上三川城の監視だ。宇都宮が食糧を狙ってくるとなると標的にされるのは境目の村だからだ。前回は運よく撃退に成功できたがこちらも被害が出ており、今後のことを考えるとさらに近い位置に砦を築くことで境目の村を守ることができるはずだ。
砦は小山領と上三川領の間に流れる田川の近くに築くことになった。俺は多功城代の長秀叔父上に砦の築城を命じる。上三川城に近い場所での築城なので上三川城の今泉泰高も気づいたらしく、築城を阻止せんと兵を繰り出すが叔父上らの迎撃と冬場の増水した田川を前に渡河することができずにいた。特に妙光寺付近の田川は過去に何度か流域変更が起こるほど氾濫しやすい箇所でもあったため、真正面から増水した田川を渡るのは非常に難しかった。そこで敵は流れが緩い北側の田川を渡って攻めようと試みるが、今度は大山城と児山城の兵が待ち構えており、渡河している最中を狙い撃ちにされた。
そんな小競り合いが続く中、年末には砦の築城が完成した。砦は後詰として妙光寺が組み込まれている縄張となっており、妙光寺成田砦と名付けることにした。
妙光寺成田砦は多功城の支城として長秀叔父上の配下である岩舟三郎が入ることになる。この砦は境目の村を守るためだけでなく対上三川城の最前線拠点となるので戦略的価値がとても高い。砦は平地に築かれているが前を田川、後ろを妙光寺で守られており、土塁も高く積まれているらしい。
砦の完成によって上三川城への備えは万全となった。あとは南下してくるであろう宇都宮勢をどう対処するかだが、いまだに宇都宮に動きはない。しかし兵糧が不足しているのは事実らしいので必ずどこかしらで動いてくるだろう。農繁期も農閑期も一切油断できなさそうだ。
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