政長の疑念と不安
一五二四年 下野 祇園城 小山政長
目の前にいるのは本当に幼子なのだろうか。重臣たちに囲まれた中でも物怖じしない態度や画期的過ぎる先進的な施策の提案はまるで大人の知恵者を前にしているようだ。
犬王丸は赤子の頃から非常におとなしく夜泣きも滅多にしない手のかからない子で、乳母や女房たちもこれほど手がかからない赤子は珍しいと言っていた。初めはおとなしすぎて病弱なのではないかと心配したのだが、医師にみせたところ特に異常は確認されず、単におとなしかっただけということがわかったときは家中が安堵していた。だが今から思い返せばこの頃から片鱗をみせていたかもしれない。
犬王丸が泣くのは粗相をしたときだけで夜泣きも滅多になかった。半年経つと自在に這うことができるようになっていた。さらにそのひと月後には自力で立ち上がったというではないか。気づけば犬王丸は周囲の期待を超える成長をみせていた。
三歳になる頃には勉学に勤しみ、その光景をみた住職の一人はこのままいけば古の偉人に劣らない高僧になるのではないかと周囲に言っていたそうだ。そのためその噂を聞きつけた家臣たちはまだ見ぬ犬王丸の存在に早くも大きな期待を寄せていた。儂はその過度な期待は犬王丸に余計な重圧をかけてしまうのではないかと危惧しているが、当の本人はまだ幼いからかあるいは肝が据わっているのかそのような周囲の空気に委縮した様子はみせず、むしろ新たな施策を提案し実行させるではないか。大膳大夫の支援があるといえ、その内容は斬新かつ画期的なものだった。これを聞かされたときは半信半疑だったが、大膳大夫の説得もありひとまず小山家の直轄地の一部での実施を許可した。
その年は洪水や日照りなど大きな災害はなかったものの宇都宮との戦があったりとかなりの動きがあった一年だった。幸運にも我が領での野盗や苅田狼藉の発生は出なかったこともあり、豊作というわけではなかったが例年並みの収穫量を得ることができた。それらの報告をうけたとき、ある場所だけその年の収穫量が前年より一割近くも上がっていることに気がついた。犬王丸に許可した土地だった。
苗の植え方、新たな道具や肥料など小さいことのようにみえて誰も思いつかなかったものばかりだった。一見物珍しさが際立つが、特に唐箕・千歯扱きというものはそれまでの脱穀の時間を著しく短縮させるという素晴らしい発明だ。
当初は悪臭ばかり目立ち城外に移させた石鹸も臭いを改善させた試作品が完成した頃には以前の悪評は振り払われていた。家臣の中では石鹸について懐疑的な声もあるが戦や病に有効と理解すれば評価は一変するだろう。
すでに凡人では一生かけても成し得ない功績を打ち立てているのに、犬王丸はそれに満足することなく貪欲に突き進むことをやめない。
「父上、小山を豊かにするためには何事にも銭が必要です」
儂は犬王丸の言葉を否定することはできなかった。何かしら事業を始めるのに金が先立つのは事実であり犬王丸の言い分は尤もだ。
儂も昔は銭など卑しいものとばかり考えていたが、当主に就いてからそれがいかに浅慮なものだと思い知ることになった。内政にしろ軍備にしろとにかく先立つものは銭だった。甲冑にしても銭がなければ新調することも先祖代々のものを修繕することもかなわないのだ。また思川は氾濫しやすく、その都度小さくない出費を支出しなければならない。そのため小山家の財政は火の車とまではいかないまでも、正直余裕があるわけではなかった。それは儂以外にも財務を担当している家臣や大膳大夫といった重臣の一部も理解していた。
しかし一方で重臣でありながらそのことを理解せず、昔の儂のように銭は卑しい物という固定観念に縛られた者は少なくない。坂東武者としての伝統を重んじるばかり、革新的な犬王丸の施策を理解できていないのだ。
だからこそ同時に幼いにもかかわらず先進的過ぎる考えの犬王丸が時々恐ろしいと思うときがある。今の段階でこの聡明さならば、犬王丸が元服する頃には一体どうなっているのかと。凡庸な儂には全く想像できなかった。
今は儂や大膳大夫という後ろ盾がいるが将来のことを考えると不安もある。すでに大膳大夫は老齢であり儂も家中に大きな影響があるとは言い難い。それは弟たちも同様だ。そうなると必然的に右馬亮や弦九郎に期待するしかないのだが、彼らだけでは小山家を纏めることはできない。小山家を纏めるには一門衆だけでなく岩上や水野谷など譜代の力が必要なのだ。ただ彼らは頭ごなしに命令して従うような大人しい者ではない。もし犬王丸の施策に彼らが強硬に反発したのなら今は神童として支持されてる犬王丸も安泰ではないだろう。
ではどうすれば彼らが犬王丸の施策を理解し協力的になるのか。
理屈を述べれば納得するような物分かりが良い者ではないのだ。だがこれらの施策が自分たちの利益と理解できれば話は変わってくる。
つまり『理』ではなく『利』を。
犬王丸の施策は間違いなく小山の未来を明るくさせる。そのためにも早急に当主である儂が動かなければならないな。
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