兄妹の別れ
下野国 祇園城 小山晴長
段蔵ら加藤一族が各地で噂を流したことで小山の年貢が安いことと宇都宮がまた年貢を増やすことが近隣の村に広まる。その影響が大きいのか、農繁期に入る前である今の段階ですでに境目の村の多くが宇都宮に年貢を納めることを拒絶し、小山へ庇護下になることを望んでいた。境目の村が小山に転じれば宇都宮側の年貢を奪えるだけでなく、小山の税収も増やすことができる。
俺はその村の要請に応えて小山の兵士を境目の村に派遣し、村を守るという名目で境目の村を事実上小山領に組み込んだ。兵士たちには村で狼藉を働かないように厳命したおかげで今のところは大きな問題は発生していないようで、村人たちも治安が安定したことに安堵しているようだ。
兵士が境目の村に居座りだしたことを受けて宇都宮側から反発の声も挙がったが、村人が判断して小山の庇護下に入ったことを理由に村を守ることは当然と退ける。しかし宇都宮側もそう簡単に認めるわけにはいかないので抗議を続けるが、和睦を破ってまで争うつもりはなかったようで小山側を排除するまでには至らなかった。もし宇都宮が強制的に小山兵の排除に動いたならその段階で宇都宮が手を出したということで和睦は破れていただろう。上三川城の兵だったようだが軽率に手を出してこなかったのは幸か不幸か。だが宇都宮が手を出せなかったことをいいことに俺は他の村にも同じように兵士を派遣する。しかし宇都宮は手を出してこなかった。
やがて境目の村が続々と小山領に転じていくと次第に上三川城下の村も境目の村に続くべきか悩みはじめるようになった。段蔵らが流した小山と宇都宮の年貢の話はすでに上三川城下の村にも広まっていた。上三川城は長年宇都宮家重臣の今泉家が支配してきたが、宇都宮家の方針により年々年貢が重くなっていた。特に芳賀が反乱を起こしてからは戦続きのため、年貢以外にも民衆の負担が大きくなっていた。
今泉がそんな民衆の現状を把握しているかはわからないが、彼らは救済策をとることはせず、主家の要望に応じて年貢を取り立てるつもりらしい。現地での不満はかなり高まっているどころか、重すぎる年貢に逃散する村も出てきているようだ。
そしてもはや飢え死ぬのを待つかまで追い詰められた村人のところに聞こえてきたのが今回の小山の年貢についてだった。小山に組み込まれた境目の村に接する城下の村は小山の噂に一縷の望みを賭けて密かに境目の村を通じて小山に接触を図ろうとする。いくつかの村から接触があったと報告を受けると、収穫が終わるまで宇都宮側に悟られないように密かに交渉を進めるように命じる。城下の村まで介入を許したとなれば城主の今泉も黙ってはいないだろう。だが選んだのは城下の村自身であり、小山が和睦を破って宇都宮領へ侵攻したわけではない。しかしそのことを末端の兵たちが理解できるだろうか。
蒔いた種はもう芽吹いた。
一方その頃、祇園城では妹のさちの輿入れの最後の準備が進められていた。さちは婚姻が決まってから相手の佐野小太郎豊綱と文のやりとりをおこなうようになり、交流を深めている。豊綱の方が俺より十以上年上でさちとは一回り近い歳の差がある。そのあたりの心配はあったが、今のところ大きな問題は起きていないようだ。
豊綱は佐野家当主佐野泰綱の嫡男で遠くないうちに家督を継ぐといわれている。できれば円満な関係を築いてほしいものだ。
そしてさちが祇園城を出立する日の前夜、久々に俺やいぬ、母上といった家族そろって最後の宴を開いた。
「ついに明日か。最後まであまり兄らしいことをしてあげられなかったな」
「そんなことない。兄上は小さいときから父上の代わりとして頑張ってた。私たちがこうやって過ごせるのは兄上が家を支えてきてくれたからだよ」
「そうか、そう思ってくれたならよかった。縁談を成立させた俺が言うのもあれだが、さちも小太郎殿と幸せになってくれ」
「うん」
さちは明るくそう返事したが、さちの隣に座るいぬの表情はどこか暗かった。さちもそれに気づいていぬに話しかけるが、いぬは顔を俯かせたままだった。
「いやだ……」
いぬの口から蚊の鳴くような声が漏れる。
「姉上と離れ離れになるの、やっぱりいやだ……」
「いぬ……」
いぬはお転婆なさちとは対照的に大人しい子だった。常にさちと一緒にいたいぬにとってさちの存在は極めて大きかったのだ。
いぬは顔を上げたがその瞳からは大粒の涙がこぼれていた。さめざめと涙を流すいぬを見て、母上も気丈に堪えていた涙腺を決壊させてしまう。
別れに涙するふたりを見たさちもこの家を離れるという事実を実感したのか、次第に表情を崩して大泣きしながらふたりに抱き着いた。俺はその様子を黙って見守るほかなかった。この夜、さちといぬを中央にして俺たちは川の字に並んで眠った。
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