和睦の条件
下野国 祇園城 小山晴長
上三川城の攻略を視野に動きはじめようとしたある日のこと。古河から宇都宮との和睦を示唆する書状が届き、家中は騒然とする。
書状には古河が下野の争いを憂いているという名目で宇都宮との和睦の場を用意すると記されていた。明確に和睦せよとは書かれていないが、これは和睦の仲介だとすぐに気づく。おそらく宇都宮が古河に和睦の仲介を依頼したのだろう。宇都宮の窮状を考えれば一勢力でも敵を減らしたいのは明らかだった。ただそれより気になるのはこの和睦を結んだとして宇都宮がどう動くかだった。
小山と和睦すれば敵対勢力が減り、小山に備えていた戦力を他に回すことができる。そこで宇都宮が狙うのはどこなのか。しばらく考えて、気づく。芳賀だ。宇都宮が和睦の先に狙っているのは芳賀を攻め落とすことだ。宇都宮が今の窮状に陥ったきっかけは芳賀らの反乱だった。那須も小山も芳賀の反乱に乗じて宇都宮攻めを始めた。特に那須は塩谷と手を結んでいたはずだ。宇都宮は諸悪の根源である芳賀を討ち取ることでこの窮状から脱したいのだろう。だからこそ古河を利用して芳賀に近い小山の動きを封じたかった。
なるほど、そう考えれば宇都宮が古河に和睦の仲介を依頼してきたのは正しい判断だといえる。仲介とはいえ公方からの要請ではこちらから断るのは難しく、公方の上意に応じて和睦に応じざるを得ない。そうなれば失ったものが多くても南からの脅威は一時的に消えることになる。
家臣たちも有利な状況からの和睦に不服な様子だが、公方からの要請だということで和睦も仕方なしという空気になっていた。
「悔しいですが、公方様から直々に和睦を提案されたのなら仕方ありませぬ。多功城とその支城を落とせただけでも十分な戦果なはずです」
「おのれ宇都宮め。公方様を利用なさるとは卑怯な……」
「ふむ、どうやらお前たちは早合点しているようだな」
家臣らが嘆いている様子を見て声をかけると家臣らはどういうことなのかと首をかしげる。
「たしかに公方様からの書状は宇都宮との和睦を示唆する内容だった。普通ならば公方様の上意に応じて和睦を結ぶべきだろう。だが今回は少々事情が異なっている」
「どういうことでしょう?」
「この書状ではあくまで公方様は和睦の交渉の場を用意し、交渉自体は小山と宇都宮でおこなうようにと書かれている。つまり和睦交渉はこちらの手で委ねられているということだ」
「ということは破談もありうると……」
「条件次第ではな」
「しかし、それでは公方様の上意に背くことになりますぞ」
「今回に限ってはそうにはならない。なぜなら今回の公方様の上意は和睦の場を用意することで止まっているからだ。本当に公方様の上意が和睦の締結ならばこんな書き方をしないだろうよ」
晴氏からしてみれば見捨てることはできないが都合良く公方の権威を利用されたくはなかったのだろう。だからこそ宇都宮の要望通りではなく交渉を両者でおこなわせることにしたのかもしれない。和睦の仲介としての役割も交渉の場を用意することで成立している。晴氏からすれば和睦交渉に成功しようが失敗しようがどちらでもかまわないのだ。
そして晴氏が用意した場所は小山領と宇都宮領の境目にある妙光寺という日蓮宗の寺院であった。
「さて、交渉に伴ってどう決着をつけるか決めないとな。戦況はこちらが有利な分、無条件で兵を退けるようなことにはしたくない。ただ宇都宮がある条件を呑めば和睦もやぶさかではないとも思っている」
「ある条件とはどういったものでしょうか?」
弦九郎が代表して俺に尋ねる。
「宇都宮と芳賀の停戦だ」
俺の言葉に家臣らはざわめきだす。てっきり領土の割譲を求めてくると思ったのだろう。
「土地の割譲ではなく、芳賀との停戦ですか。それは一体どういった狙いがあるのでしょう?」
「いくらこちらが有利とはいえ、土地の割譲など求めても宇都宮が応じるわけなかろうよ。そして芳賀との停戦はな、宇都宮の狙いを挫くものでもあるからだ」
仮に宇都宮が小山と和睦したとしても芳賀、益子、塩谷、那須と敵対勢力は残ったままだ。古河を利用して和睦に持ち込ませる手はこれ以上使えないと考えると、宇都宮は残りの勢力を自力でどうにか対処しなければならない。そこで宇都宮が狙うであろうと推測されるのは芳賀だ。那須は塩谷郡の制圧に動いていたが、高資の父那須政資が烏山城を狙っているという噂も流れており、その噂を聞いた高資がすでに撤退にとりかかっているとも聞く。そうなると残された厄介な相手は芳賀となるのだ。
那須が手を引き、小山と和睦が成れば宇都宮の戦力を芳賀に集中させることができる。堅固な飛山城に籠る芳賀も宇都宮の主力相手になると耐えきるのは難しいだろう。小山からしたら宇都宮の東を拠点にする芳賀が滅びるのは少々都合が悪い。そこで和睦の条件として宇都宮と芳賀の停戦を入れることによって宇都宮が芳賀を滅ぼせないように仕向けることにした。
俺は芳賀に使者を送るとともに宇都宮との和睦交渉の使者を誰にするのか考える。さすがに俺自身が出ることは周囲に止められるだろうから、俺の考えを汲み取ってくれて交渉ができる人物を探す。その結果、選ばれたのは大俵資清だ。資清は小山では俺の側近として働いてくれているが、元は那須家の重臣で政務もこなしていた実力者だ。家臣から反対意見も出るかと思ったが、皆資清の働きぶりを知っているだけあってむしろ適役だと賛同した。資清は自分みたいな新参でいいのかと少し悩んでいたが、俺が資清だからこそできると踏んだと思いを伝えると資清は覚悟を決めたようで俺の名代として和睦交渉の使者の役割を受けた。
そして数日後、芳賀から停戦の承諾を得る。事情を知った芳賀もこのままではまずいと気づいたようで停戦に応じることで合意した。芳賀単独では宇都宮を相手するのは厳しいと理解していた高経は停戦に応じる代わりに小山に協力を仰いだ。こちらとしても芳賀とは持ちつ持たれつの関係を維持したかったので同盟ではないが対宇都宮で協力することに賛同する。
芳賀との協力を取りつけたあと、資清は芳賀との停戦を条件に妙光寺に赴いた。結果は和睦の成立。資清曰く、最後まで宇都宮は芳賀との停戦に難色を示したらしいが、破談することを嫌がったようで最終的に条件を呑んで和睦に応じたという。
宇都宮からしたら芳賀を滅ぼすためには芳賀との停戦は呑めないが、芳賀を滅ぼすための和睦が失敗に終われば状況が改善することなく、和睦の仲介を依頼した宇都宮は晴氏の面子を潰すことになる。宇都宮が晴氏の面子も重視するなら余計に拒むことは難しかったはずだ。
肝心の和睦には成功したが芳賀を滅ぼせないと知って俊綱ははたしてどう思うだろうか。那須も撤退し、残ったのは塩谷と益子だけだが両者も勢力を拡大しており、鎮圧も簡単ではないだろう。ましてや足元に芳賀が健在なままだ。停戦したとしても芳賀が近くにいるというだけで宇都宮は迂闊に兵を動かせない。芳賀がいつ停戦を破るのか不安だからだ。実力差はあるが大軍が宇都宮から離れれば芳賀が攻め込んでくる可能性を宇都宮は捨てきれない。つまり芳賀の存在自体が宇都宮の足枷となっていた。これでは領土奪回に大軍を割けられない。おそらく塩谷も益子もしばらくは攻められても持ちこたえることはできるだろう。
小山からしてもこれ以上の進撃を諦めることになるのは痛いが、この和睦がずっと続くとは思っていない。和睦は破るものではなく破らせるものだ。そのときに備えて国力を高めておくだけでなく、策も仕込まなければならない。いかにして宇都宮側から和睦を破らせて古河からの信用を落とすか、色々と考える必要がありそうだ。
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