薬師寺城
下野国 小山晴長
那須家の塩谷郡への侵攻に加えて高経一派の挙兵と宇都宮家は混乱が生じていた。宇都宮は高経と高資の両方に対応せざるを得ないため、下野南部の守りは手薄になっていた。この機会を逃すことはできないと我々も兵を挙げる。狙いは鹿沼城の支城である羽生田城ではなく、祇園城の北北東に位置する薬師寺城だ。
薬師寺城主の薬師寺家はもともと小山家の一族だったが南北朝の時代に小山家から宇都宮家へ鞍替えし、以後宇都宮家に従ってきた。現在の当主薬師寺貞村は高経とは距離をとっており、いわゆる反高経派に属している。宇都宮方のため小山家とは交流はないが、過去に戦では宇都宮方の先鋒として何度か小山家と激突しているらしい。
今回薬師寺城を狙う理由はその立地にあった。薬師寺城は祇園城のほぼ北北東に位置しており、さらにその北には多功城、梁館、上三川城といった宇都宮城の南側を守る支城が築かれている。もし薬師寺城を落とすことができたのなら薬師寺城は多功城らを攻めるための前線基地となりうるのだ。逆に宇都宮側からすれば薬師寺城は祇園城を攻める際の前線基地となるのでこの薬師寺城の存在は重要になってくる。
俺は万全を期して二〇〇〇の兵を準備して祇園城を出立する。勘助、資清、弦九郎、平三郎、八郎らという頼れる家臣もついている。宇都宮が混乱しているとはいえ、彼らの軍事力は侮れず、無駄に時間がかかれば援軍が駆けつけてくるだろう。できればその前に城を落としたいところだ。北に兵を進めていくとやがて薬師寺領に入り、遠くから薬師寺城の姿が見えてきた。
「あれが薬師寺城か。規模こそあるが、城というより館に近いな」
「規模が大きい馬宿城といったところでしょう。ですが堀がしっかりと巡らされているところを見ると防御施設は整っているようですな」
勘助らは薬師寺城をそう評す。家臣らに慢心の空気はない。二〇〇〇の大軍をもってしても相手は下野で一番力のある宇都宮家だ。もし兵の数を背に油断や慢心していた奴がいたら叩き出すところだったが、今のところそんな奴はいなかったようだ。
「まずは城に降伏を促す使者を送るか。平三郎、頼んだぞ」
「ははっ」
討って出てこない敵に警戒しつつも搦手以外を包囲し、平三郎を使者にして城に向かわせようとするが、なにやら城の様子がおかしい。一度平三郎に行かせる前に段蔵らに城の様子を見てもらうことにした。
しばらくして段蔵らが陣に戻ってきたが段蔵らも困惑している状態だった。
「どうした。城で何かあったのか?」
「はっ、そのことなのですが、どうも城の様子がおかしいのです」
「おかしい?」
いつもの段蔵らしくない不明瞭な答え。さらに詳しく聞き出すと段蔵らはこう返した。
「城内は警備が厳重で城下の民たちも収容していて戦の準備は万全な様子でした。しかし本丸に近づくとどうやら何かが起きたのか騒ぎが起きていました。薬師寺家の人間が懸命に何かを探していたり、味方に怒鳴っていたりと只事ではありませんでした」
その報告を聞いて俺は勘助らに顔を向けるが、勘助らも首をかしげて不思議そうな顔をしていた。
「段蔵、何が原因であるかはわかるか?」
「申し訳ございません。原因の特定まではいけませんでした。しかし彼らはどうやら人を探していたようでもありました」
人を探していた?誰かの姿が消えたのか?よくわからないが薬師寺城で何か起きているのは間違いなさそうだ。
「さて皆は何が起きたと思う?」
そう家臣らに振るとまず答えたのは資清だった。
「そうですな。人を探していた、それもそれなりの人数で探していたとなると、重臣かそれに近い者が姿を消したのではないかと思いますな」
「儂も助九郎殿に同意見でございます。騒ぎが本丸のみで抑えられているのならよほど外部に知られたらまずい人物かもしれませぬ」
資清に同意したのは藤岡佐渡守。他の者もだいたいは資清と同意見だった。俺も資清の意見が的を得ていると思った。おそらく城主の貞村に近い人物が姿を消したのではないかと考えている。
「この騒ぎがこちらの有利に運べばいいが、まずは使者を送らなければな。平三郎、頼んだぞ」
「畏まりました」
そしてしばらくして平三郎が戻ってきたが、平三郎がもたらしたのは思いがけないものだった。
「なに?薬師寺城は一戦も交えず降伏するだと?」
薬師寺城、開城。
それは予想だにしなかったことだった。特に段蔵から戦の準備が整っているとの報を聞いて素直に降伏はしないだろうと読んでいたのだが、まさかの事態に家臣たちもざわめく。
「はっ、薬師寺家は速やかに武装を解除して城を明け渡すとのこと。儂も罠かと思いましたが、本当に武装を解除していたので罠ではないかと。それと御屋形様、これは必ずお伝えしなければならないことでして」
「ん?なんだ?」
「交渉の場にて城主薬師寺阿波守の姿が見えませんでした。向こうの者は体調を崩していると言っていましたが、もしかすると例の騒ぎの原因は阿波守なのかもしれませぬ」
平三郎の言ったことに再び家臣らがざわめく。まだ推測に過ぎないが、まさか城主が行方を眩ませるとは誰も思っていなかったに違いない。まあ、事実はすぐに明らかになる。最悪の場合に備えて兵には警戒を怠らないように指示を出して開城した薬師寺城に入城を果たす。
しかしそんな警戒をよそに薬師寺側は本当に開城するつもりだったようで何の疑いもなく武装解除と民の帰還を促していた。そして薬師寺側に交渉の場に不在だった貞村の行方を尋ねると意外にも素直に答えた。
結果は平三郎のいうとおりで城主貞村は包囲される直前に家臣や民を見捨てて城から逃亡したらしい。しかもこの貞村という男、当初は威勢よく小山を迎え撃つと唱えていた主戦派だったようで家臣らはこの男の命によって戦の準備を進めていた。しかしいざ俺らが二〇〇〇の兵を率いて薬師寺城に向かっていることを知ると貞村は顔を青く染めて部屋に戻ると言い残してそのまま姿を消したらしい。直前になっての城主の失踪は当然騒ぎとなる。城内では今後の対応や貞村の行方を探したりなど混乱が生じたらしい。結局これではまともに戦えないと判断した家臣らは貞村のことを憎みながらも降伏を決意したようだ。
まさかの城主逃亡という内部崩壊で城を無傷で得ることに成功した俺は一度兵に休息を与えて評議を開く。
「薬師寺城をとった今、次に狙うのは宇都宮城の南の要、多功城だ」
俺は開口一番そう宣言した。
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