隼人佑
新章です。よろしくお願いします。
下野国 祇園城 小山晴長
上総から帰国してまずおこなったのは溜まっていた政務の整理からだった。留守役にある程度権限を与えていたが俺が確認しなくてはいけない書類もそれなりにあるので、しばらくは書類の決裁などが中心になりそうだ。
「これは備蓄米の帳簿だな。なるほどそろそろ入れ替えどきか。古くなった米は今度の祭りのときに民に振る舞うとしよう」
「御屋形様、こちらは思川の河川工事についてのものでございます」
そう俺に書類を渡してきたのは山本勘助だ。勘助は最近まで皆川城で働いてもらっていたが、皆川城代の岩上伊予守から十分な働きをしているので是非俺のもとで働かせてほしいと推挙があった。なので今回から皆川城から呼び戻して祇園城で働くことになった。最初に祇園城にいたときは経歴もない新参だったので大きな仕事を任せる機会がそう多くなかったが、実績を積んで伊予守のお墨付きを得た今なら様々な仕事を任せられるだろう。皆川城では軍功以外の政務でも評価が高かったので期待したい。
「ほう、工事は順調で完成もそう遠くないときたか」
俺が当主になってから力を入れ始めた思川の河川工事は極めて順調に進んでいるらしい。いつも農閑期だけ作業を進めていたので始めてから十年近くかかっているが、もう一応の完成が見えている段階まできたらしい。
長年思川の氾濫に困らされていた小山の民にとって今回の河川工事は非常に重要な事案であった。この河川工事は人工的に支流を掘削しつつ、既存の堤防を強化するというものだ。堤防の強化には史実の信玄堤の構造を参考にして水流の勢いを削ぐ工夫も設けている。そして下流にはいざというときのための遊水地も手がけている。
河川工事は工事そのものの費用に加えて労働者に賃金を払っているのでかなりの支出となっているが、思川の氾濫をどうにかしないと洪水の度に田畑が駄目になり工事以上の損失が出るので仕方のない出費なのだ。幸いにも交易で利益を上げているので相殺か利益の方が上回っている状況になっている。もし交易に失敗していたら小山家は破産していただろう。最近は交易相手が増えたので利益が右肩上がりになっている。
現状でも工事の効果はあるらしく、例年以上に思川の増水を抑えられていることが判明した。このことに長年苦しんでいた民や家臣たちも驚きを隠せなかったらしく、民も金ももらえるのもあって積極的に工事に参加してくれた。おかげで戦があっても順調に工事が進んだらしい。
「そういえば御屋形様、新たな御料地を任せる者はお決めになりましたのでしょうか?」
弦九郎の言葉にああ、と思い出す。そういえばまだ決めていなかったなと。
上総での戦で戦功を立てた俺は晴氏から褒美として名のある刀剣と隼人佑という官位、そして下野南部にある古河公方の御料地の代官の地位を頂戴した。刀剣はともかくとして、隼人佑はそこらの国人が自称しているものではなく、古河を通じて朝廷から戴いた正真正銘の本物の官位だ。なので今後は人前では小山隼人佑晴長と称することになる。この官位を戴いたことに俺よりも家臣たちが喜んでいた。官位自体はそこまで高いものではなかったが、朝廷からの官位ということはそれだけで価値があるものらしい。俺もいつまでも無位無官というわけにもいかなかったから今回官位を戴けたのは幸運といえた。いずれは下野守の官位もほしいところだが、今はいいだろう。
そして今回の褒美の中で俺が最も価値があると思ったのが下野南部にある古河足利家の御料地の代官に任じられたことだ。以前から小山家は榎本などの御料地の代官に任じられていたが、今回の御料地の規模は以前とは比にならない。それこそかつて小山家が支配していた地域のほとんどだ。小山義政の乱以降小山の領地の多くが奪われ足利家の御料地にされていた。そのほとんどを小山家に代官として任せるということは小山家にとって大きな意味をもつ。もちろん代官なので好き勝手できるわけではないが、ある程度の裁量権は持っている。
「代官か。土佐守あたりから選ぼうとは思うが、規模が規模だけに土佐守だけというわけにもいかないか。かといってこういった裏方作業を得意とする者は他を任せているからな」
「でしたら、谷田貝殿はいかがでしょうか?」
「谷田貝?民部か?民部には開発を任せているから異動は難しいと思うぞ」
「いえ、民部殿の方ではなく、弟の治部殿のことです。彼は現在財務を担当しておりますが、彼の仕事ぶりは極めて優秀です。彼なら代官に抜擢しても問題ないはずでしょう」
弦九郎がここまで人を推してくるのは珍しい。それほど優秀なのか。俺としたことが見落としていたか。しかし谷田貝治部か。谷田貝家は民部が開発担当者として活躍しているから家禄はかなり上がっているので身分的にも問題はなさそうではある。だが御料地の代官だけに変な人物は送りたくない。弦九郎の話を信じないわけではないが、一方の話を鵜呑みにしないで一度顔を合わしてみて決めることにしよう。
弦九郎に命じて谷田貝治部を呼び出す。そういえば彼の兄である民部とは幼い頃から付き合いがあるが治部とは面識がなかったな。
「谷田貝治部でございます」
「突然呼び出してすまないな。お前の仕事ぶりについての評判を聞いたものでな。随分素晴らしい仕事ぶりらしいではないか」
「ありがたきお言葉でございます」
「兄の民部にはずいぶんと世話になったが、治部とこうやって顔を合わせるのは初めてか。治部は今回小山家が新たな御料地の代官に任じられたことは知っているか?」
「はっ、存じております」
「そこでだ、お前に新たな代官のひとりとして働いてもらいたい」
するとそれまであまり変わらなかった治部の表情が驚きに染まる。
「そ、某がでございますか……」
「もちろん他の者も代官として派遣はする。それでどうだ、引き受けてくれるか」
治部は一瞬逡巡したようだが、意を決すると頭を下げて「代官の件、引き受けさせていただきます」と答える。
「そうか、それはよかった」
「御屋形様、引き受けた身として今更のことなのですが、なぜ某だったのでしょうか?」
治部はある意味気になって当然のことを尋ねてくる。
「最初はな、推挙があったのだ。まあ、その段階でもよかったのだが、代官に変な者は送れないから治部に問題ないか調べさせた。その結果、仕事ぶりが優秀で代官に任じても問題ないことがわかったのでお前を選んだのだ。今回実際目にしてその決断は間違えていなかったと確信したわ」
俺は治部をじっと見据えると、こう続ける。
「治部よ、小山で働いているなら理解していると思うが、我らは民あっての我々であることを忘れるな。御料地だろうと民のことを虐げてはならない。いいか、そしてこれはここだけの話だが俺にも古河にも変な忖度はいらん。お前はお前の仕事をこなせ。もし何かあれば俺にすぐに伝えろ、いいな」
「ははっ」
治部は真剣な表情のまま俺の話に頷いた。
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