河原田の合戦後
お久しぶりです。昨年末から鬱状態でしばらくなろうを離れていたため長い間投稿できず申し訳ありません。ようやく投稿できそうなのでゆっくりと続きを書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
一五二四年 下野 祇園城 小山犬王丸
河原田の戦から数か月が過ぎて年が明けた。去年は勝ち戦で年を締めくることができたので今年の正月の城内の雰囲気は穏やかで、それまで父上に懐疑的だった者も今回の勝利で態度を一変させて改めて小山家への忠誠を誓った。
この河原田の戦いの結果は小山家だけでなく下野国内にも大きな影響を与えた。そして壬生・宇都宮連合軍の敗退、そして総大将だった宇都宮忠綱の戦死は下野周辺にとどまらず関東各地に知らされることになった。
宇都宮家は当主の返り咲きを狙っていた忠綱が戦死したことで、忠綱に反旗を翻した興綱が芳賀高経に擁されて若年ながら正式に宇都宮家十九代目当主に就任した。そしてかつて成綱によって閉塞させられていた高経も幼い興綱の補佐役として宇都宮家で復権を果たす。
宇都宮の家臣も興綱・高経に同調して忠綱を追放した塩谷孝綱や笠間資綱ら、また忠綱派だった中村玄角や猿山の合戦で戦死した盛高の後を継いだ息子の今泉泰高も正式に当主となった興綱へ臣従の意を示し、分裂しかけていた宇都宮家中は一応収束しつつあった。
一方で河原田の戦いの功労者であった皆川家は今回の勝利によって宇都宮からの侵攻を防いだだけでなく、いくつかの旧宇都宮傘下の国人を支配下におさめて勢力を拡大することに成功した。河原田の戦い以前の皆川家は皆川城とその周辺の平川城など皆川荘周辺を支配する程度にとどまっていたが、壬生勢を敗退させたあと皆川城から北に十七キロほど離れていた真名子城主岡本氏と西方城主西方氏が皆川に臣従の使者を送ってきた。両者は元々宇都宮に従っていたが、進境著しい壬生の存在を疎ましく思っていたことや互いの領地が皆川領に接していたこともあり皆川へ寝返ったらしい。
そのため皆川は戦わずに真名子城と西方城、西方城の支城である二条城を支配下に組み込み、一気に北へ勢力を伸ばすことができた。だが皆川領と壬生領に挟まれていた西方城と真名子城が皆川方になったことでついに皆川は壬生領と隣り合うことになる。
去年二度も宇都宮家と戦った結城家は河原田の戦いで新たに土地を得ることはなかったが、下野内に結城の名を知らしめることができた。しかし二度の戦のダメージが大きく、しばらくは内政に力を注ぐようで皆川のような派手な動きはなかった。おそらく二度の戦の消耗以外にも中途半端に下野に進出するより足場を固めることを優先したかもしれない。
結城家は一見下館城主水谷氏・下妻城主多賀谷氏・山川館主山川氏といった下総の豪族を従えているように見えるが、実際は水谷・多賀谷・山川らとは主従関係に近い同盟関係を結んでいた。主従関係ではあるがある種の連携関係をもち、諸氏はそれぞれ自分の領地で独自に自治をおこなっているため、彼らは結城家に従いつつも半分独立したような存在だった。
結城の分家である山川は現当主讃岐守政貞の曽祖父である景貞の死後は結城家に従順だが、多賀谷に関してはたびたび結城に反抗しており結城にとって不穏分子でもあった。事実、最近多賀谷の動向が怪しい部分が見られる。特に政朝殿が小さい頃に多賀谷和泉守なる者に結城家の実権を奪われており、和泉守を粛正するまで長い間専横を許していたためより多賀谷を警戒しているのだろう。多賀谷の現当主である家重は政朝殿と従兄弟同士であるが勢力をさらに拡大しつつある。風の噂によると多賀谷が治める下妻近辺の統一を狙っているのだとか。
そして我ら小山家は今回勝利した中では最も地味な立ち回りとなった。最大兵力で勝利に貢献したことで前回の古河公方の家督争いで落とした評判をそれなりに挽回することはできたが、皆川のように新たに領地を獲得したわけでもなく、挽回した名声も結城ほどでもない。
それでも小山家を侮る者が減り、周囲の豪族たちに圧力をかけられるようになったことは小山にとって大きな前進だった。なぜなら以前の小山家は父上が政氏から現公方に鞍替えして俺の祖父から家督を強引に奪ったことで家臣間での対立が生じてしまい、また父上も若く上手く家臣間の軋轢を収拾することができなかったので当主に対する求心力が落ち込んでいたからだ。
だから今回の件で当主の威厳を多少回復できたことは父上だけでなく一門衆からも歓喜の声が聞こえた。まだまだ先は長いが、大膳大夫曰く、遠くないうちに領土を増やすことができるようになりそうだとのこと。
しかも年が明けてわかったことなんだが、母上が見事懐妊したらしい。重臣達が集う中で父上が母の懐妊を発表すると家臣達は喜色満面だった。
母上は亡き大膳大夫の弟の娘で、元々山川からの養子に連なる父上と小山の結びつきを強めるための婚姻だったらしい。政略結婚だったのだが夫婦仲は良好で、俺が生まれてからも二人が喧嘩するところは見たことない。前当主だった祖父と一緒に婚姻を主導したという大膳大夫によると同じ城内で生まれた二人は幼馴染同士で昔から仲が良かったらしく、婚姻の際も皆が昔から様子を見守ってきたので特段反対する声もなかったという。
父上は母上を溺愛しており側室をもたないので家中の者は心配してたらしいが、嫡男の俺が生まれたことで母上も周囲からのプレッシャーから解放されたようだ。
「母上、おめでとうございます」
「ありがとう犬王丸。そういえばこの間送っていただいた石鹸とやらはとても素晴らしかったですよ。侍女達にもとても評判でした」
実は去年の年末前に地元の職人達に命じて作らせていた石鹸が完成したのだ。大まかな作り方は昔調べたことがあったので作り方のベースは職人達に伝えていたが、肝心の配合の割合などは現在使える材料の知識が乏しかったので職人達に試行錯誤してもらった。
最初にできた試作品は猟師や河原者に協力して得た獣脂に草木灰を混ぜて煮込んで冷やしたもので、完成したのは現代の固い石鹸というよりややドロっとした液状っぽい石鹸だった。
肝心の洗浄力は現代の製品ほどではないにしても十分合格点に値したが、問題は獣脂の獣臭さだ。石鹸で衛生面を清潔に保つことができても、その石鹸の獣臭さが身体に染みついてしまい実際に使ってみた職人からは不評だった。そこで今度は石鹸の獣臭さを解消するため材料を混ぜる際に果実の皮といった香りが良いものを一緒に加えてみると何回か失敗はあったが最終的に課題の獣臭さを解消することに成功した。
今回母上に送ったのはその完成品で柑橘系の果実の皮を混ぜたものだったので獣臭さを気にするものはいなかったようだ。母上からはまた欲しいと催促されたのでいずれ完成したらと前置きしたうえで母上の侍女たち分含めて少数を供給することにした。その結果侍女たちからの評判も上々で、弦九郎によると石鹸を使いだしたことで急にきれいになった侍女に懸想する若者が増えたらしい。
ある日、あともう少しで石鹸が完成というところで父上から呼び出しを受けた。弦九郎を伴って父上が待つ大広間に到着すると、そこには父上と母上の他に大膳大夫や政景叔父上、一門衆の小山右馬亮が待っていた。
「今回犬王丸を呼んだのは他でもない。お主が作っているという石鹸についてじゃ。なに安心せよ、政景は勿論大膳大夫と右馬助は家中において特に信用を置ける者だ。他言することはないし、儂一人より一門衆の者として力があるこの二人の助力を得れば無用の混乱に巻き込まれることはあるまい。長秀がもう少し経験を積んでいれば奴も呼びたかったがまだ元服したばかりゆえ呼んでおらなんだ」
長秀とは父上と政景叔父上の弟である小山長秀叔父上のことだ。政景叔父上は比較的父上と年齢が近いが、長秀叔父上は少し離れておりまだ十七歳で昨年元服したばかりだ。元服後は父上から支城である国府館を任されたため最近会う機会が減ってきているが、元服前までは祇園城で暮らしていて、よく俺の遊び相手になってもらったものだ。穏やかな性格で子供好きだったからか、叔父というより近所のお兄さんに近い感覚がする。一方でその性格から大人たちから資質を疑われていたらしいが、元服して戦を経験してから一皮むけたようで父上からも将来を期待されるまでに成長したらしい。
「お久しぶりでございます犬王様。小山右馬助家が当主、小山右馬助政村でございます。微力ながら犬王丸様のために尽力いたします」
「相変わらず固い奴じゃのう右馬助殿は。若がお主のせいで固まっておられるぞ。そんなだからいつも赤子に泣かれるのだ」
隣にいた大膳大夫にそう苦笑いされているのは巌のような大男で歳は二十代後半から三十代前半といったところか。戦勝祝いの宴の際に静かに淡々と酒を飲んでいたのが印象に残っている。
右馬亮家といえば小山の分家のひとつで結城合戦以前から一門衆として活躍していた譜代中の譜代の家格で一門衆の序列の中でも上位に位置していたはずだ。
「今回彼らを呼んだのは儂の独断……いや、小山家当主小山政長の判断だ」
敢えて当主としての判断と告げた父上に俺は思考を止め、意識を父上へ向けてサッと姿勢を正した。
「……その歳で既に礼儀を弁えているか。やはり凡庸な儂との違いを痛感させられるな」
「ち、父上……」
「話を止めてしまってすまぬな。本題に移るとしよう。犬王丸、今お主が石鹸とやらを開発しているということを知っている者は重臣の中でも一部しかおらん。この場にいる者はみな知っているが、他の者は犬王丸が何かを開発していることを知っていてもその何かまでは分かっておらんのだ」
父上には大膳大夫を通じて石鹸の進捗具合を報告していたし、試作品を母上に献上したからある程度石鹸について知られていると思ったけど予想よりその数が少ないな。他国への漏洩を防ぐため、職人たちには相場より高い賃金を払って製造方法などの情報を伏せさせていたが思ったより効果があったというべきか。
他に知っている人物がいるかどうかは定かではないが、父上の言葉をそのまま信じるならば石鹸の内容は一門衆の中でも一握りしか知らないということだ。
大膳大夫に及ばないが一門衆でも有力な譜代である右馬亮。他にも重臣の中には小山の一門衆や婚姻関係によってそれに準じる者は多くいるが、ここにいるのはそのなかでも家中に強い影響力を持つ者ばかりで改めてこの会合の重要性を実感したのだった。
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