祝言
非常に難産でした。
下野国 祇園城 小山晴長
今日、ついに富士姫の輿入れがおこなわれる。結城城を出発した富士姫一行は結城城と祇園城の中間にある岩壺城下を経由して祇園城に到着した。結城の兵に守られて祇園城に着いた富士姫らを旧例に則り、門前に篝火を焚いて迎え入れ、小山側と結城側で嫁入り道具の貝桶と富士姫が乗った輿が受け渡される。富士姫は侍女らに連れられて化粧の間と呼ばれる控室に入った。
「御屋形様、もしかして緊張なさっておられるのですか?」
化粧の間へ向かう途中、側に控えていた弦九郎がそっと俺だけに聞こえるようにつぶやいた。
「当たり前だ。文でやりとりしていたとはいえ、顔を合わせるのは初めてなんだぞ。ましてや自分の妻となる人なのだから尚更だ」
「意外です。御屋形様はこういったものは緊張しないかと思っていました」
「……お前は俺のことをなんだと思っているんだ。俺だって人間だ。これでも初陣のときと同じくらい緊張している」
「それは緊張し過ぎではないですかね」
弦九郎と軽口を叩いていると、ついに富士姫のいる化粧の間の前まで辿り着いていた。
「御屋形様、私がついていけるのはここまでです。後は御屋形様のみが入室して奥方様と顔をお合わせください。くれぐれも奥方様の気分を害することはないよう」
「言われなくてもわかっているさ」
当然従者である弦九郎は化粧の間に入ることはできない。ここから先は俺ひとりとなる。
とはいえ、やはり緊張しているのか少々心臓の鼓動がうるさく聞こえる。部屋に入る前にふう、と一息入れると覚悟を決めて化粧の間に入室する。
「失礼する」
一声かけて化粧の間に入ると、そこには侍女に囲まれた俺と同じくらいの年齢の少女がいた。花嫁衣裳の白い小袖に身を包んだ彼女こそが結城政朝の娘にして俺の妻となる富士姫であった。
「文で何度かやりとりはしているが顔を合わせるのは初めてであったな。小山家が当主晴長と申す。そなたが富士姫でよろしいか」
「はい。お初にお目にかかります、結城左衛門督が娘富士でございます」
礼儀正しくこちらに頭を下げた富士姫はこの時代の価値観で美人なのかはわからないが、現代の価値観からしたら間違いなく美少女の部類に入る顔つきをしていた。
「此度は我が小山家に嫁いでくれてとても感謝している。富士姫のような美人を嫁に迎え入れられるとは光栄なことだ」
「まあ、美人なんて。でも小四郎様、もう妻となるのですから私のことは富士と呼んでほしいです。ところで小四郎様は緊張なさっていられるのですか?文ではもっと口調が砕けていましたよ」
「うっ、富士ひ……富士にも緊張を見抜かれていたとは。まあ、そうだな、とても緊張しているな。嫁を迎えるなんて初めてだったし、なにより富士が本当に美しくて余計に緊張してしまった」
「また美人だなんて。小四郎様は本当にお上手ですね」
富士はクスリと微笑む。
「いや世辞でもなく本当のことだ」
率直な感想を述べると、富士も世辞ではなく本気であると理解したのかほんのり顔を朱に染める。
「あ、ありがとうございます」
「伝わってなによりだ。本当はもっと語りたいが、そろそろ式の時間も迫ってきているな」
祝言の最終準備のため泣く泣く化粧の間から立ち去ると、部屋の外では弦九郎が嬉しそうに待っていた。
「その様子では上手くいきましたかな」
「知らん。さっさと準備に移るぞ」
そして準備を終えると祝言の式が挙がることとなる。この時代の祝言では親族は参加せず、花婿と花嫁に加えて数名の侍女しか同席しない。式は盃事が中心で、現代でいう三三九度を侍女も加えた三人でおこなう。
式を終えると俺と富士は身を清めるために席を離れ、服装を白装束へ着替える。そして俺はついに寝所へ向かうことになった。寝所ではまず花嫁の布団を敷き、その後に花婿の布団を敷く順番になっており、枕は東または南になるように床をとる。
寝所の前で富士と会い、ふたりで寝所に入る。これから三日間ふたりは寝所で過ごすことになる。まず翌日までふたりは白装束で過ごし、三日目には色直しとして花柄の着物に着替えるという。
「さてようやくゆっくりできる時間ができたな」
「そうですね。なんだかいざこうなると緊張してしまいます」
「俺もだ。この場で言うのはあれだが、改めてお礼を言わせてほしい。此度は小山家に嫁いでくれて本当に感謝している。この婚姻によって小山と結城はより強固な関係となるだろう」
「こちらこそ私を妻にしていだだきありがとうございます。初めて文をいただいたときから小四郎様の妻となることを心よりお待ちしておりました」
「そうか。俺も富士を妻に娶ることができて幸せだ」
俺はそっと富士の肩に手をかける。
「富士、まずは富士に話さなくてはならないことがある」
「なんでしょう」
「富士はたしか俺と同い年だったな」
富士は俺の問いに不思議そうな表情を浮かべながらも首肯する。
「そうか。ならばやはり言っておくべきか。富士、そなたはまだ大人の身体になっていない。このまま抱いて、もし子を成した場合、出産の際に母子共に命の危険が大きいのだ」
「そうなのですか?」
「ああ、だから本当は大人になりつつある十五くらいに子を成してほしいと思ってはいるが、そういうわけにはいかないだろう。俺には男兄弟がいないし、従兄弟はいるがまだ幼い。周囲は早い段階で跡継ぎを求めてくるはずだ。けど俺は富士の身を危険に晒したくはない。もちろん出産自体大変なことだとわかっているが、富士に無理はさせたくはないのだ」
「小四郎様はお優しいのですね。普段過保護気味な父や兄すらここまで身を案じてくださることはございませんでした」
そう言って富士は自身の指を俺の指に絡めながら俺の胸に身体を寄せる。俺は空いた左手でそっと富士の身体を抱き、そのまま頭を撫でた。富士はくすぐったそうにするが嫌がることなく、さらに身体をくっつけてくる。やがて蝋燭の炎は吹き消され、寝所にはほんのりと月明りだけが差していた。
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