粟志川の戦い
下野国 壬生城 壬生綱雄
「よりによって父上が日光に赴いているときに攻めてくるとは……」
「すぐに鹿沼に救援を要請いたしましょう。敵はどうやら粟志川に向かって進軍している模様」
家臣がもたらした情報に儂の表情が苦くなる。粟志川はたしか壬生城の南に位置する大宮村にある要所の地名だ。壬生城と小山方の平川城の中間にあり、軍事的にも重要な土地なはずである。この場所を奪われるのは壬生にとって看過できないことであった。
「いや父上だけでなく、村井城にも使者を送れ。鹿沼とは距離があるだけでなく、父上が留守にしている可能性もある」
「若様、ここは多功殿らにも救援を求めましょうか」
「駄目だ、駄目だ。父上に黙って余所に救援を要請することはできん」
俊綱様に泣きつけば援軍を向かわせてくれる可能性はあるが、儂の独断で壬生の地位に響く決断はできない。要請するにしても一度父上に判断を仰がなければならない。だがよりによって父上が鹿沼を離れている時期に攻めてくるとは。
「若様、急ぎ籠城の支度を整えましょう」
家臣の黒松主計の言葉に儂は眉を潜ませる。
「籠城だと?何を言っている、出陣するに決まっているだろう。このまま小山に壬生の地を好き勝手させてたまるか」
「し、しかし、出陣するにしても兵が足りませぬ。お気持ちは理解できますが、ここは籠城して援軍の到着を待つべきです」
主計は必死に儂を説得してくるが、それはどうしても吞めなかった。
「それでは駄目だ。いいか、儂らは父上に代わってこの壬生の地を守っておるのだ。このまま小山の狼藉に対して指を咥えたまま見ていることはできん。それに儂の耳にも届いているぞ。壬生の殿様は我が身惜しさに壬生を蹂躙されることを黙殺する腰抜けだとな」
何も知らぬ民の連中が好き勝手言いふらしていることにも腹が立つが、なにより腰抜け呼ばわりは到底容認できない。儂の耳にも届いているということは家臣のもとにもそんな話が届いていないはずがない。家臣たちもその噂は耳にしていたようで気まずそうな表情を浮かべていた。
「ふん、お前たちは知っていたのだな。それを承知で儂に臆病者の腰抜けにさせたかったのか」
「そ、それは誤解でございます」
「言い訳は聞かん。いいか、可能なかぎり兵を寄せ集めろ。集まり次第、我らも粟志川に出陣するぞ。奴らに青田刈りを許すわけにはいかん」
「は、ははっ」
籠城を唱えた主計らも儂に反対することなく戦の準備に取りかかり、半刻過ぎた頃にはある程度兵が集まった。寄せ集めただけあって農民の次男や三男、素性の知らぬ牢人の姿も多かった。
儂は自ら兵を率いて壬生城を発ち、粟志川へと進軍を開始する。道中まだ小山の略奪は起きていないようで村は荒らされていなかったが、いつ襲われても不思議ではなく儂は進軍の速度を早める。
粟志川の近くに辿り着くと、先行していた斥候から小山の連中が陣取っているという情報がもたらされた。斥候の情報が正確なら敵の数はおよそ一五〇〇ほどらしい。それに対して我らの軍勢は雑兵らを含めて六〇〇あまり。倍以上の兵力差があった。
「流石に数が多いな」
「おそらく皆川勢も多く含まれているのでしょう。しかしこのままでは勝ち目がございません。ここはやはり城に籠るべきかと」
「敵に臆して逃げろと申すか。それでこそ臆病者のすることぞ。我らが逃げれば壬生は臆病と敵を勢いづかせることになるぞ」
たしかに数の差は覆せないが、地の利を生かせばなんとかなるはずだ。儂は家臣に命じて軍勢を展開させる。敵は鶴翼の陣を敷いており、こちらは魚鱗の陣を敷くことで対抗する。
やがて一本の射撃をきっかけに両軍がぶつかり合う。数の差では劣っていたがこちらの士気は高く、倍以上の相手に対しほぼ互角に渡り合っていた。儂のいる本陣にも矢が飛んでくるほどの激戦だったがそれでも持ちこたえていた。
前進はできなくても後退せずに戦線を維持できることに儂は高揚感を得ていた。このまま継続できれば籠城せずとも敵を撃退できるかもしれない。寄せ集めでもある程度数を揃えられたことが功を奏していた。
「主計、状況はどうなっている?」
「はっ、中央を固めたことで敵の進軍をどうにか抑えております。しかしこれ以上前進は難しい状況です」
「よくやった。倍の敵に対して上出来だ。あとはそのまま戦線を維持して──」
そのときだった。血まみれの兵が本陣に駆けつけてきた。甲冑には数本の矢が刺さっている。儂は猛烈に嫌な予感がした。
「申し上げます。本田近江守様討ち死に。左翼は総崩れでございます」
血まみれの兵の報告に本陣の空気が一変する。さらに別の兵が本陣に駆けこんできた。
「敵の攻勢が強まり、右翼が破られました」
「なんだと、両翼がやられたと申すか!?」
「若様、両翼が敗れた今、我らの負けでございます。若様は急ぎ戦場から離脱してください」
主計に言われなくても我らが負けたことは痛感していた。一時はどうにかなると思っていたが、結局数の差には抗うことはできなかった。このままもたもたしていたら我らがいる本陣は敵にあっという間に囲まれることになるだろう。悔しいがもはやこれまでだった。
「くっ、撤退する。皆の者ついてまいれ!」
多くの者が儂の合図に応じて撤退し始めたがひとりだけ本陣から動かない者がいた。黒松主計だった。
「何をしておる主計。お前もすぐに撤退せよ」
しかし主計はこちらを振り向くと首を横に振り、こう告げた。
「儂はここに残りまする。若様が無事に城へ戻るには時間を稼ぐ者が必要不可欠。儂は十分年をとり申した」
「……主計」
言わずとも理解してしまう。主計は儂が撤退できるように殿として戦場に残るつもりなのだ。
「すまぬ、主計」
儂は主計から背を向けて戦場から離れる。後ろの方から敵の鬨の声が大きく響く。儂はそのまま振り返ることなく壬生城へひたすら馬を走らせる。やがて城が見えて城門に辿り着いたときには儂に付き従っていた者は数えられるくらいまでに減っていた。当然、その中に主計の姿はない。
城に戻ってしばらくするとぞろぞろと兵が少しずつ帰還してきたが明らかにその数は少なかった。そして一刻もしないうちに小山の家紋である二つ頭左巴が記された旗をもつ軍勢が城下にまで迫っていた。
結局主計は戻ってこなかった。戻ってきた兵の話を聞く限り主計の最期を知る者はいなかった。
しかし気になる話がいくつかあった。そのうちのひとつに小山の兵は周辺の村で略奪することはなかったということ。通常、戦になれば周辺の村での略奪行為は当たり前だった。壬生も当然やっていたし、やられることも当たり前だった。しかし話によると小山の兵は規律がしっかりしていたようで略奪を働こうとした兵は切り捨てられたらしい。当然青田刈りもおこなっていない。
儂は青田刈りや略奪を恐れて兵を出したのに当の小山の兵は略奪していなかった。全身の力が抜けていくのを感じた。
野戦で負けて城下まで侵攻を許してしまった今、壬生城を守るのは容易ではない。兵が減った状態では城下で敵の侵攻を防ぐのは難しかった。今更籠城しても援軍が到着する前に落城は免れないだろう。
「もはやこれまで、か」
敵の軍勢を前にして儂は力なくつぶやくと家臣たちも顔を俯かせた。
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