河原田の戦い(二)
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下野国 河原田
「皆川風情が調子に乗りおって……!」
皆川・小山・結城の連合軍と宇都宮忠綱擁する壬生軍総勢四千あまりが下野国河原田で対峙するなか、壬生・宇都宮軍の総大将宇都宮忠綱はひとり焦燥を隠せずにいた。彼が忌々しそうに見つめる先には小山・結城の増援を得て士気が高い皆川勢の姿だ。
当初の予定では小勢の皆川を蹴散らして皆川の地を宇都宮城奪還の足掛かりにするつもりだったが、皆川とその周辺勢力で宇都宮と敵対する小山と結城の動きが想定以上に素早かったため、鹿沼から出陣した忠綱達が途中で壬生からの兵と合流した段階で小山と結城はすでに皆川への派兵をおこなっていた。
この時点で忠綱を迎えた入れた鹿沼城主壬生綱房とその弟で宇都宮家の軍師も務めていた壬生周長は忠綱に皆川侵攻を取りやめるよう進言したものの、後がない忠綱の強硬な態度を崩すことができずにそのまま皆川まで進軍することになった。そして皆川領に到着した忠綱達が見たものは河原田で待ち構える皆川・小山・結城の連合軍の姿だった。
これには忠綱だけでなく壬生兄弟も顔をしかめる。しかしその理由は忠綱とは異なっていた。
「よりによって野戦とはな。皆川が大人しく籠城さえしてくれれば守りが堅固という理由で撤退できたというのに、まったくついておらん」
「甘いぞ周長。御屋形様のことだ。そうなれば城を落とせと命令するだろうよ。撤退など認めるわけがない」
大きく見積もっても五百人程度の戦力しかない皆川勢でも、彼らの居城である皆川城に立て籠もるならば、数で勝っている壬生・宇都宮勢でも攻略に時間がかかる。
周長は時間がかかる城攻めなら追われた身で焦りがある忠綱は皆川攻めを断念すると考えたが、兄の綱房は忠綱に限ってそれはないと一蹴した。綱房は仮に皆川が籠城して長期間耐えようとも忠綱は強引に落とさせようとすると直感していた。
しかしこの野戦にしろ城攻めにしろ、実際に戦うのは綱房とその配下である壬生の兵だ。当主の座を追われた忠綱に従うのはわずかな近臣のみで到底戦場での働きは期待できない。それより綱房が頭を悩ませているのは皆川を平定した後のことだった。忠綱は皆川・鹿沼・壬生を地盤として宇都宮城への返り咲きを第一にしているが、皆川の統治に関してあまり関心がなかった。現状忠綱に従っている下野の有力者は壬生氏のみで、忠綱や忠綱の近臣が皆川を治めるのは現実的ではない。そのため仮に皆川を平定できたとしても、忠綱が皆川の統治を綱房に丸投げにすることは想像に難くなかった。
しかし綱房としては本領の壬生に加え三年前から鹿沼の統治を任されていて、これ以上短期間の間で統治しなくてはならない土地が増えることは避けたかった。元々父の綱重の代で大きくなりはじめた壬生氏には壬生、鹿沼、皆川の三つを統治できるほど人材に余裕がなく、特に鹿沼は以前から二百年近く鹿沼を治めてきた鹿沼氏を滅亡させてしまったために心象がよろしくない領民を慰撫している最中だった。
だがやっと鹿沼が落ち着いてきたところに忠綱が転がり込んできた。
綱房も他の宇都宮配下の将のように興綱側につければよかったのだが、面倒なことに現古河公方で忠綱の義兄弟にあたる足利高基が忠綱に壬生を拠点にせよと名指しで指示してしまったことで必然的に綱房は忠綱派にならざるを得なかった。
綱房は当初落ち延びた忠綱を一時的に保護するだけで、いずれ古河公方か誰かのところへ移ってもらうつもりだったが、この高基の指示によって忠綱を迎え入れて親忠綱派の頭として振る舞うことを余儀なくされた。
この要請がただの親忠綱派の大名からだったのなら綱房は無視することもできた。だが相手は将軍家の一族で古河公方という絶対的な権力者で一国人である綱房にはとても逆らえるような相手ではなかった。
(だがここまでやれば十分義理は尽くしたといえるだろう。これが先代なら地獄まで従うつもりであったがな)
苛立ちを隠さず周囲に当たり散らす忠綱の態度に綱房は自分の中でなにかが急速に冷めていくのを感じた。
綱房らの反対を押し切り皆川攻めを強行した忠綱と忠綱一派の横暴に壬生家内の不満は十分高まっている。忠綱の支援を表明した高基も表立ってなにかするような様子を見せず、むしろ公方の傘下だった小山氏は高基とは反対に反忠綱派として行動している。
先代との家督争いの際に一時的に離反し再び傘下に戻ったとはいえ、長年古河公方を支えてきた小山をうまく卸せなかった高基にも綱房は内心失望していた。
「敵の数はおよそ二千あまりで兵力差は我々とほぼ同じのようですな」
「だが所詮数だけそろえた烏合の衆よ。どうせすぐに崩れてしまうに違いない」
「その通りでございます、皆川などただの弱小に過ぎないではありませぬか」
「左様、左様」
「恐れながら、それは敵を過小に見積もり過ぎてはいませぬか。数が同数の上、当主の皆川宮内少輔は武勇に優れており、結城にも有力な武将が多く控えておりまする。小山はあまり優れた将がいるとは聞きませぬが、数は一千も兵を率いていて油断は禁物かと」
綱房が油断は危険だと諫言するも、忠綱は煩わしそうに綱房の意見を一蹴してまともに取り合おうとしない。
「ふん、貴様は父と違って慎重が過ぎるな。その程度どうにかするのが貴様の仕事だろうが」
しかも忠綱はこう言い放ち綱房に丸投げする始末。
忠綱の近臣たちも忠綱の発言に乗じて、本来宇都宮家の重臣である綱房に向かって忠綱に従えと虎の威を借る狐のように振る舞う。
(戦も分からぬ太鼓持ちどもが口だけは一丁前にほざきおって。自分たちは安全な陣に引きこもるくせに我らに偉そうに指示してくるとは、とんだ愚物よ)
軍議では忠綱の強気な発言に近臣どもが乗る形で敵を侮る声を挙げる現実が見えていない連中を綱房は冷めた目で見つめていた。
近臣程度に主君を侮られた壬生家中の武将たちは怒りを隠さず一触即発の状態になりつつあったが、綱房はそれを目線で制し家臣たちが暴走することを避けさせた。
だが弟の周長はその綱房も拳が僅かに震えていることに気づく。彼らの無茶な要求に付き合わされるのは壬生の者であり、壬生が見限れば彼らの命運も地に落ちることを忠綱たちはまるで理解していない。もしかしたら忠綱支援を表明している古河公方のもとに逃げる算段があるのだろうが、壬生に見限られ周囲も敵対勢力に囲まれた状態でどうやって古河へ向かうというのか。無知というより、すでに他の家臣や一門衆に見限られているにもかかわらず壬生に捨てられるとは考えていない忠綱たちに周長は呆れるとともに綱房の心中を慮る。
綱房は怒りを浮かべる家臣たちを制した後、忠綱に向き直り笑みを浮かべてこう告げた。
「ならば私に策がございます」
だがその瞳は一切笑っておらず、その歪な表情に気づいた周長や綱房の家臣たちは綱房の沸点が頂点に達したと理解して戦々恐々とする。
しかし忠綱たちはそんな綱房の様子に気づくことはなかった。
 




