芳賀家の密談
下野国 宇都宮城 芳賀高経
「小山と手を結ぶとは真なのか?」
宇都宮城内にある芳賀家の屋敷。新月の夜に儂を訪ねてきた孝高叔父上は不安そうな表情を浮かべていた。儂は叔父上の分の杯を用意して酒を注ぎ叔父上に渡す。叔父上は杯を受け取ったが飲まずにそのまま床に置いた。
「あくまで誼を結ぶだけですよ。今のところは」
「言葉遊びはよせ。だが本気か?そもそもお前は小山と和平するつもりではなかったのか」
「和平は小山に拒絶されました。綱房を負かし、西方を落とした小山が和平に動くとは考えづらかったので想定内ではあります。当主が腰抜けなら可能性があったかもしれませんが、そうではなかったそうです」
「だが和平に失敗したからといって誼を結ぶとは。それほどまでに壬生の存在が邪魔か」
叔父上の表情は険しく、自分に相談なく小山と結んだことに不快感を抱いているようだった。叔父上も壬生の存在を疎んでいるはずなのに儂と温度差を感じるのはどうしてだろうか。
「お前のことだ。小山に壬生を滅ぼさせる算段なのだろう。それはつまり小山が壬生と鹿沼を奪うのを黙認しているのと同じではないか」
「そうですね。ですが元々壬生と鹿沼は綱房によって宇都宮の影響力が排除されていました。一時的に小山に奪われたところで宇都宮への打撃は少ないでしょう」
叔父上は唖然としているが儂は綱房を滅ぼせるなら小山に壬生と鹿沼を一時的に明け渡しても構わないと思っている。もちろん小山が壬生や鹿沼を落としたあと宇都宮を狙ってくるのは理解している。遠からず手切れになるだろうが、それは向こうも同じ認識だろう。
「儂は反対だぞ。壬生を追い落とすために壬生と鹿沼を小山に渡すなんて無謀すぎる」
「落ち着いてください叔父上。ちゃんと策は考えております」
叔父上は顔を赤くさせてこちらににじり寄ってくる。叔父上の気持ちは理解できるが、こちらも大人しく壬生と鹿沼をただで小山に渡すつもりは毛頭ない。
綱房が滅べば小山はもう用済みだ。綱房が滅んだあと、鹿沼を落として疲弊した小山の背後を突いて壬生を奪回すれば小山は鹿沼に孤立するはずだ。小山や皆川に残っている兵はさほど多くないだろうし、鹿沼で消耗した小山の兵を駆逐するのも難しくないだろう。小山に日光を奪われると俊綱様を煽れば簡単に兵を出してくれるはずだ。宇都宮の軍勢で手負いの小山を襲えばいくら小山の若造でもひとたまりもないだろう。
問題は壬生一族がちゃんと滅んでいるかどうかだ。綱房らが健在ならばいくら壬生や鹿沼を奪い返したところで綱房らを返り咲かせるだけで無駄な労力になる。最低でも綱房だけは仕留めてほしいものだ。仮に小山が綱房を仕留めきれなかった場合はこちらで綱房を殺してから小山を攻めるとしようか。そうまでしなくてはおちおち壬生や鹿沼を奪い返せん。
綱房の弟周長は綱房ほどの野心家ではないが、宇都宮の軍師という立場が面倒で壬生の力を維持できる力はある。綱房の倅はまだ若く未熟だが放置は危険だろう。できれば一族ごと滅んでくれた方が都合は良いが、もっと欲を言えば小山と壬生が共倒れしてくれれば最高だ。
「本当にそれで壬生を追い落とすことができるのだろうな」
「小山の働き次第にはなりますがね。一応小山が動きやすくなるようにこちらも動きますが」
「もし小山が壬生を落とせなかったらどうする?」
「そのときは小山がその程度だっただけ。利用価値がなければ手を切るしかないでしょう」
小山が壬生に苦戦するようでは話にならない。役に立つなら利用してもいいが、そうでなければそれまでだ。
「上手く事が運べばいいがな」
置いてある酒に手が伸びない叔父上は不安そうに顔を俯かせる。
「叔父上は納得しておられませんか」
「当主のお前が決めたことだ。勝算もあるなら大人しく従うまでだ。だが高経……いやなんでもない」
叔父上は結局一度も酒に口をつけることはなかった。最後に何か言い淀んでいたが儂に何を伝えたかったのだろうか。
叔父上にも渋々ながら同意をいただいたおかげで芳賀家としての方針が正式に定まった。小山には宇都宮から得た情報を怪しまれない程度に流し、綱房の動向を伝えるつもりだ。小山が本格的に動いてきたら儂は綱房に援軍を送らせないように工作を仕掛けて綱房を孤立させる。都合が良いことに今の俊綱様は綱房に不信感を抱いている様子。このままふたりの関係性を悪化させていければ綱房の孤立は深まるだろう。
あとは小山がうまく綱房を滅ぼせれば最高だが、これだけは天に祈るほかあるまい。綱房との戦でやがて宇都宮ひいては儂の脅威となるか、はたまた期待外れの凡将に成り果てるか。小山の若造の将器を見定めてやろうではないか。
儂は叔父上が飲まなかった杯を手に取り、なみなみ注がれていた酒を呷った。
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