表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
下野小山戦国異聞 関東八屋形の復興  作者: Rosen
眠れる相模の若獅子編
109/345

北条家と藤王丸

 相模国 小田原城 北条氏康


 朝興に不満と危機感を募らせている藤王丸を調略することは比較的容易であった。文弱だった朝良とは異なり、藤王丸はそれなりに文武を修めているようで扇谷上杉家の家督を継ぐに不足はないだろう。しかしながら藤王丸を支持する有力な後ろ盾はおらず、武蔵松山城主難波田憲重や岩付城主太田資頼といった扇谷上杉家の有力国人は朝興の派閥に属している。藤王丸を支持しているのはかつて祖父早雲に寝返るが扇谷上杉家に攻められて没落した上田一族嫡流上田政盛の末裔や朝興政権下で不遇を託った国人らで朝興に属する国人と比べて小物ばかりだ。


 それでも藤王丸を不憫に思う者は少なくなく、朝興が藤王丸を疎んでいてもすぐに始末しないのはそういった者の感情を意識しているのもあった。だがその中途半端な情けは北条家にとって優位に働くことになる。


 儂は藤王丸に働きかけて藤王丸が現在いる河越城から移動させることに成功する。扇谷上杉家にはわざと北条家が岩付城を攻めるという虚報を風魔に流させて藤王丸を増援として岩付城へ向かわせるたのだ。そしてさらに岩付城には城主の太田資頼が再び北条家に寝返るという噂を流させて岩付勢と増援勢を疑心暗鬼に陥らせた。


 当然資頼に寝返る予定はないが、かつて一度寝返った前科がここで生きてくる。事実を知っている藤王丸は大げさに資頼への不信感を露わにして藤王丸に付き添ってきた増援勢の武将に資頼への不信感を植え付けた。何も知らない資頼は必死に弁明するが却ってこの弁明が疑いを強めてしまった。


 扇谷上杉家に流れた北条家の岩付城攻めの噂と太田資頼の寝返りの噂。それらが混ざり合って増援勢の中では太田資頼が北条家と通じて増援勢を引き込んで討つつもりではないかという憶測が流れるようになった。北条家が動きを見せない中で次第に憶測が事実に置き換わっていく。藤王丸からそろそろ頃合いだと連絡を受けると儂は難色を示す父上になんとか兵を動かす許可をもらい、江戸城の兵を率いて岩付城へ歩みを進めた。


 江戸城に詰めていた富永直勝や太田資高(すけたか)と共に岩付城に到着すると、すでに岩付城には戦火が広がっていた。藤王丸率いる増援勢が岩付城主太田資頼に謀反の疑いありと、城内で太田資頼を襲撃したのだ。その場では討ち取られなかった資頼だったが増援勢に反撃している途中で討ち死にしたようだった。そして混乱する岩付城を尻目に北条家の軍勢が近づいてくることに気づいた藤王丸は密かに儂らに合図を送り、岩付城のすべての城門を開かせた。


 合図を受け取った儂らは一斉に鬨の声を上げて無防備な岩付城へ攻め込んだ。資頼を討ち取って残党狩りをしていた増援勢は突然現れた儂らに驚き、慌てて迎撃しようとするが抵抗する岩付勢の反撃と城門を素通りしてくる北条家の軍勢にあっという間に恐慌状態に陥ってしまう。



「敵は恐れておるぞ。このまま攻め落とせ」


「ははは、あの頑強な岩付城がこんなあっさりと落ちるとは愉快愉快」



 長年岩付城に煮え湯を吞まされてきた直勝や資高ら江戸城勢の奮戦も素晴らしく、まともな反撃を受けることなく本丸の前まで辿り着く。本丸の前には敵が密集していたがその背後にある本丸への門は固く閉ざされていた。おそらく藤王丸が増援勢を本丸から締め出したのだろう。よく耳を澄ませると藤王丸への怨嗟の声が聞こえてくる。しかしだからといって容赦するつもりはない。逃げ場を失った敵は果敢に抵抗を試みたが多勢に無勢。次々と討ち取られていき、本丸の前には屍が積み重なっていた。



「これはこれは氏康殿でよろしいかな。某は上杉藤王丸と申しまする」



 やがて門が開くと本丸では武装を外した藤王丸が待っていた。周囲には抵抗したであろう扇谷上杉家の兵の骸が散らばっていた。



「これはどういうことですか、藤王丸様!?」



 藤王丸とその傘下の兵に捕らわれた扇谷上杉家の武将のひとりが儂らを歓迎する藤王丸に向かって叫ぶ。



「見てわからんか。儂は北条と繋がっていた。それだけの話だ」


「馬鹿な、上杉の一門の藤王丸様がどうして宿敵の伊勢の連中に!?」


「どうして、だと?逆に問うが、どうして殺されるとわかっていて扇谷の家で大人しくしていると思ったのだ?」



 その武将は答えることはできなかった。朝興が我が子を後継にするために遠からず藤王丸を殺すことを家臣たちは知っていたのだ。


 岩付城は藤王丸の内応とそれに乗じた北条家の攻撃によって落城した。城主の太田資頼とその嫡男資顕(すけあき)は討ち死に。次男は行方不明。増援勢の武将も多くが討ち取られた。生き残りは上杉藤王丸とその傘下、そして藤王丸が捕らえた幾人程度だった。少ない犠牲で岩付勢を壊滅させて藤王丸を北条方に引き入れた儂らは後日、父上にお褒めの言葉をいただいた。兵を動かしたことで少し苦言をもらったが、長年の強敵だった岩付城と太田資頼を撃破した功は父上に認められたのだ。


 父上からお褒めの言葉をいただいたときは思わず感極まりそうになった。まだ未熟なことも自覚しており、晴長の幻影も振り切れていないが少しでも父上に認められたことは嬉しいという感情だけでは収まらなかった。しかし北条家の跡取りとしてこれで満足するわけにはいかない。もっと精進を重ねていつしか自分に自信をもてるように父上に恥じないような当主に成長したいと心からそう思った。


 岩付城には上杉藤王丸が入城し、その後見として北条方の武将が何人か側に置かれることになった。藤王丸は岩付城にて元服をおこない、名を上杉朝康(ともやす)に改めた。岩付城主となった朝康は自らこそ正統な扇谷上杉家の後継者と名乗りを挙げる。この扇谷上杉家を二分する朝康の行動に最も怒りを見せていたのは当然朝興である。


 抹殺する前に北条に寝返られて岩付城を落とされた朝興は散々家臣たちの前で朝康のことを罵倒したらしい。しかしその最中に突然朝興は倒れてしまう。家臣たちは懸命に処置したらしいが、朝興はそのまま意識を取り戻すことなく、幼い子供を残したまま息を引き取ってしまった。


 朝興の死により扇谷上杉家は岩付城を拠点とする朝康派と河越城の朝興の息子派に分裂する。朝興の息子はまだ幼く、それを不安視した一部の国人が朝康側に転じる動きを見せはじめた。蕨城主渋川義尭(よしたか)が朝康側につくことを表明すると、それに乗じて朝康側につく国人が相次いだ。また朝康は死んだ資頼の遺領である石戸城も支配下に置き、岩付城だけでなく石戸城のある足立郡まで勢力を拡大させた。しかし河越の朝興の息子の派閥も難波田らを筆頭に健在だ。


 勢力を伸ばした朝康は正式に北条家と同盟を締結する。朝康は北条家を後ろ盾にしたかったのかもしれないが、北条家にとって朝康は武蔵進出のための手駒でしかない。朝康も北条家以外の後ろ盾がいないので、この同盟は実質北条家に従属することに等しいものであった。


 しかしこの同盟で朝興の息子率いる河越の扇谷上杉家の勢いが削がれたのも事実で、当主と一部の国人を失った扇谷上杉家はこれから苦難の道を歩むことになるのだった。

これにて眠れる相模の若獅子編は終了です。次章からは再び晴長サイドに戻ります。


「面白かった」「続きが気になる」「更新がんばれ」と思ったら評価、感想をお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ついに晴長の手の届かないところで歴史改変が起こってしまいました。流石に氏康の手腕は素晴らしいの一言ですね。今回の情報を手にした晴長の反応が気になります。今は小弓公方という共通の敵がいるから…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ