第09話 約束
シンヤに声をかけたギルド職員。彼の名前はリュンクという。
背が低く猫背。昼行燈な見た目に軽薄さを滲ませる彼は、この道20年のベテランホールスタッフだった。
「持ってきやしたぜ」
リュンクは懐から一枚のカードを取り出すと、それをシンヤに手渡す。
それは普通ならば発注から完成まで1週間かかると言われている、ギルドカードだった。
「ふむ……」
シンヤは受け取ったカードを色々とチェックし、自分の名が刻まれていることを確かめる。
彼がギルド入会手続きをしたのは昨日。
本来なら手に入るはずのない物を今、彼は手にしていた。
「確かに」
「報酬は前払いだったからな。ちゃんと仕事はするさ」
「そのようで何よりだ」
「へへ」
ギルドカードが製造に1週間かかるというのは、真っ赤な嘘である。
実際はすでに用意されている白紙のカードに、登録者の血を含めて魔法を唱えることですぐに作ることが出来る。
この情報が秘匿されているのは、ひとえにギルドへの来訪者をこの町に繋ぎ止めるための方便としてであり、同時に作業ペースの鈍化を狙った遅延戦略である。
それを知るのはギルドでも一部の例外を除き幹部以上と直接関わる部署の者達だけであり、当然世間には知られていない。
そしてリュンクは、機密を知りえる一部の例外に該当する人物だった。
彼はホールスタッフであると同時に、裏口加入の窓口でもある。
表立って試験を受けられない前科者や、カードを没収された不心得者。そもそも試験に合格出来る力のない者。だが代わりに、金を持っている者。
そういった者のためにこっそりとギルドの情報を改ざんし、カードを発行するのが彼の役目だ。
他にも表でやり取りしない情報を売ったり、買ったり、組織の裏で活動している彼こそは、とある貴族と商人達によって運営される私設組織である冒険者ギルドの暗部を担う一人なのである。
「でも、お客人なら普通に受けても普通に受かったろうに、なんでわざわざ?」
そんなリュンクの今回の客がシンヤだったのだが、これには彼も困惑していた。
ギルドカードを手に入れるための試験はそう難しいものではない。シンヤに限らず多少腕っぷしに自信があり重い前科を持たない者であれば、普通に申請出来て危なげなく合格出来る程度の難易度である。
入りやすく出がたい、来る者拒まず残る者からむしり取る構造である。
だが彼はそれに倣わず、リュンクの裏取引現場を目ざとく見つけるや否やわざわざ彼に加入金と同額のチップを払い、カードを手早く裏口で作らせたのだ。
「時間が惜しかったんでな。あそこが開いていると聞いたのが一昨日だったんだ」
「あそこ? あそこっていうと……って、えっ」
シンヤの言葉に思い当たる節があり、リュンクは小さく驚きの声をあげる。
直近で冒険者の身分が必要になる場所、それは……
「挑むのか? ダンジョン」
「そのつもりだ。この町にあるギルドが管理してるっていうダンジョンは、後4日で入場禁止になるらしいからな」
まさかと思いながら確認するリュンクに、シンヤは当然のことだとばかりに頷いてみせる。
「ちょ、いやいやいや。流石に命知らずにも程がある。昨日今日冒険始めた人にダンジョンは自殺行為だ」
金払いの良かった客相手だからこそ、リュンクは親身になり忠告する。
それほどまでに、シンヤの言葉は無謀に過ぎた。
※ ※ ※
ダンジョン。
この世界を管理する上位神が一柱、試練神ルイーナが創造する彼女の遊技場。
世界各地に存在し、その姿形も千差万別、ひとつひとつが特別製の不思議な空間。
凶悪なモンスターが徘徊し、多数の罠が配置され、そして乗り越えた者を称える財宝が眠る挑戦の場。
数多くの英雄譚に欠かせない伝説の道具の入手先として多くのダンジョンが歴史にその名を刻んでおり、踏破した者には一攫千金も夢ではない、まさに冒険の花形と呼ばれる場所である。
「いざとなれば転送石もあるし、ダンジョン内にも緊急脱出用の出口があると聞くが?」
「”女神の手”のことかい? ダメダメ、いくら出る手段があるって言っても、ぽっくり死んだら終わりなんだって。それに場所によっちゃ転送石も使えねぇし、命の保証はあるようでないんだからなそれ」
この若造はダンジョン探索を甘く見過ぎている。
ダンジョンとはそもあらゆる準備をした上で、失敗の可能性が消えない超高難易度クエストなのだ。
確かに試練神ルイーナは、危険極まるダンジョン攻略に関していくつかの救済措置を人間達に与えている。
ひとつが転送石。これがあればダンジョンの入口にひとっ飛びだ。
もうひとつが女神の手。これはダンジョン内に設置されたギミックで、触れることで起動し同じく入口まで転送してくれる。
だが、どちらも所詮は女神が自らの領域に獲物を引き込むための撒き餌でしかない。
転送石はいきなり使い物にならなくなったり、最悪突然砕け散ったりするし、女神の手だっていやらしい場所に設置されていたりする。どちらも安易には頼れない代物だ。
試練神ルイーナは人々がダンジョンで翻弄される姿をこそ見たいのだ。と、誰かが言っていた。
まったくその通りだとリュンクは思っている。
「何を生き急いでるか知らないが、英雄に憧れてーとかなら悪いこたぁ言わない。コツコツ頑張りな?」
人生の先達として、リュンクは前途ある若者に精いっぱいの先輩風を吹かせる。
だが、シンヤはそれを一蹴した。
「気遣い無用だ。俺はその、英雄とやらなんでな」
「なっ……はぁー」
傲慢さを隠しもしない笑顔と言葉に、リュンクはため息と共に肩を落とす。
人の気も知らないこの若者は、言うに事欠いて自分を英雄だとのたまった。
確かに年の割に堂々としているし、金もびっくりするほど持っていた。
だが、それだけだ。
自分の実力を見誤って死ぬ冒険者を、彼はこれまでも沢山見てきた。
こうやって少し賢いだけ、少し自信があるだけの奴ほど、旅立ってから帰ってこないのだ。
こういう奴に現実を教えて地に足をつけさせるのも自分の役目だと、リュンクは気を張る。
こすっからい裏口の門番をしていても、彼は彼なりに、職務に対して忠実であろうとしているのだ。
「あのな、英雄だってんなら証拠を見せろよ証拠を。なんかすごい技でも持ってるのか? 魔法使えるのか? 天啓でも受けたか? 前世の記憶でも持ってんのかよ?」
「………」
「ほら見ろ、すぐには何も出来ないんだろ? だったら実績を上げてから挑もうぜ?」
黙り込むシンヤを見て、リュンクは自分の説得に確かな手応えを感じた。
世渡りの上手そうな若者だ。これからも情報の横流しなどで仲良くなれそうな若い金づる候補生の未来を守ったと、自身の成果に拳を握る。
ギルドカードを見つめて考え込むシンヤから、後は了承の言葉を聞くだけだと彼は嬉々として待っていた。
「視認出来るようにした」
だが、返ってきたのは思ってもみない言葉だった。
シンヤが差し出してきたのはギルドカード。そこには本人の血から読み取った【才能】が刻まれている。
普通は見れないようにしてあるが、持ち主の任意で他者にも見えるようになる。
シンヤはそれで自分の才能を確かめてみろ。と、リュンクに告げたのだ。
(才能がなんだってんだ。ひとつふたつ才能があっても……!?)
何気なく覗き込んで、リュンクは絶句した。
そこに刻まれていた才能は三つ。うち視認出来るようになっていたのはひとつだけだったが、
「【万能技術】……!?」
そこに書かれた文字に、リュンクは己が目を疑った。
(マジか……!?)
それは確かに、伝説の英雄が持つ才能だった。
だが。
「……いや、いやいやいや。だったら余計にダメだ」
リュンクは首を振り、改めて、今度こそはとシンヤの肩を抱いて真っ直ぐに見つめて説得する。
「その才能、無駄に危険に晒す必要はねぇ。しっかりと地力を鍛えて行くべきだ」
「………」
「将来大英雄になるかもしれねぇんだ。駆け出しの頃が一番慎重にならなきゃいけねぇ」
それは彼にしてはあまりにも珍しい、真面目なトーンで放たれた言葉だった。
だが、それでも。
「ならこうしよう。俺がダンジョンから無事に生還したら、今後とも仲良くして欲しい」
「は?」
「俺は大いにお前を利用するし、お前にもそれなりに利することをしよう」
「え? は?」
「英雄とのコネクションだ。悪くないだろう?」
「ちょ……」
シンヤは自分を曲げなかった。
「お前、俺の忠告を……!」
「野垂れ死にしたらそれまでの男だったと思って忘れてくれ。俺は、こんなところで足踏みしてられないんだ」
「……!?」
シンヤの言葉に、リュンクは二の句を告げることが出来なかった。
止めなければならないと思っていても、それを伝えられなかった。
(おいおいおいマジかよ。本気で言ってるのかこいつ……!)
心がもう、傾いていた。
(本気でしょっぱなダンジョン攻略して、成功しようってのか!?)
無茶苦茶を言っているはずのシンヤに、期待し始めていた。
(もし、もしも本当にそんなこと出来たら。こいつは間違いなく大物になる)
考えてみれば、自分にはなんの損もないじゃないか。
一人の男が勝手に無茶をしようとしていて、その結果を見届けるというだけの話だ。
男には才能があり、勝ち目がある。そんな面白い見世物だと思えば、自分の立場は特等席で見る観客で、悪い気はしない。
何を真面目ぶっているんだと、リュンクは反省した。
彼の行動の奇異さの、才能の、物珍しさに目が眩んだだけ。
そう思う頃にはもはや、彼にシンヤを止める理由はなくなっていた。
「……へへ、その顔は大マジのマジってやつだな?」
「当然だ」
「っ! いいぜ、マジで出来るってんなら。乗った」
リュンクは不敵に笑い、ゲームに乗る。
「1週間後、俺のところに顔見せろ。お前がダンジョンから生還出来てその上何かの成果を上げたってんなら、今後色々と便宜を図ってやるよ」
「言質は取ったぞ?」
「おうよ。神魔法のプロミースでもなんでもかけてみろってんだ」
「分かった」
シンヤは迷わず契約遵守の神魔法プロミースをリュンクに発動した。
互いの了解の元交わされた約束は神に捧げられ、破れば必罰の魔法の絆が結ばれる。
「は、は?」
「使えるからな、神魔法」
「……おいおい、マジかよ」
一杯食わされたことよりも、ますます高まる期待感にリュンクは年甲斐もなく興奮する。
こいつなら何かやってくれるんじゃないかと、もうその気になっていた。
「ここまで盛り上げたんだ。つまらない結末はなしにしてくれよ?」
「おい、そこのお前達、何をしてる……!?」
「あ、やべっ」
リュンクの言葉にシンヤが返事をするよりも早く、魔法の使用を感知した職員がやって来た。
「いやぁー、タバコの火が欲しくってちょっとそこの冒険者君にお願いしててよう」
「リュンクさん! また貴方ですかぁ?」
即座に嘘八百を並べ始めたリュンクが振り返りウィンクしたり手を振ったりして、この場を去るようシンヤへ指示を出す。
シンヤもこの場にもう用はないと、厄介事に巻き込まれる前に足早に立ち去った。
※ ※ ※
町も目を覚まし、昼の隆盛に向かって血を脈々と通わせ始める、そんな時間。
人波を行きよりゆるりとした歩幅で進むシンヤは、先程のリュンクの言葉を思い出していた。
「つまらない結果はなしにしろ、か。そういえば、俺をここに連れて来た神にも似たことを言われたんだったか」
この世界について学ぶ過程で、シンヤは自分を転生させた神の名を知っていた。
数多存在する神々の中でも頂点に立つ、文字通りなんでもありの”世界創造”の権能を有する神。その名も、
(創造神……リベルタス)
一度は見失っていたが、もう見逃さない。
自分の目標はそこだと定めて、シンヤは覚悟を決め直す。
(お前が言う面白いってのが、世界を揺さぶれば揺さぶるほどいいことだっていうのなら)
まずは何よりも、世界に影響を与えられるだけの力が必要だ。
そのために多少どころじゃない無茶も乗り越えられなければ、何も始められはしない。
(もう村ひとつ、町ひとつ、国ひとつに収まる程度じゃ俺は満足しない)
最低でも世界ひとつ、手に入れる。
こんなところで躓くようでは、叶えられる野望ではない。
「まずはダンジョン。そこで俺の力になるものを手に入れる」
最短で駆け上る、そのための最初の一歩。
そしてその日の昼過ぎ。
シンヤはダンジョンへ挑もうとしていた。
「……よし!」
たった、一人で。