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第08話 冒険者ギルド


 今日も朝日が昇る。

 夜の闇に包まれ夢境を彷徨っていた世界が再び目を覚まし、動き出す。


「ん、んん……」


 窓から差し込む日の光に眠りを妨げられ、女が身動ぎした。

 彼女の眠りは浅かったのだろう、望むほど眠れなかった眉はひそまれ、美貌が歪む。

 日差しを嫌がり寝返りを打った彼女の瞳に、男の背中が映った。その途端、女のしかめっ面は緩み喜色が滲む。


「ふふ……」


 未だ寝息を立てる男の背中に、女は己の人差し指をそっと押し当てる。

 動作の過程で纏っていたシーツが脱げその裸体を晒したが、彼女は気にも留めなかった。

 彼はまだ目を覚まさない。


「……ん」


 眠る男の肩に口付ける。

 昨晩も自分がされてばかりだったからそのお返しに。少しの独占欲を含んで。


「む……?」

「あら、目、覚めちゃった?」


 ちゅっ、ちゅと何度も露骨な音を立てていたからか、男が目を覚ました。

 まだ若い、けれど鋭い眼光が自分に向けられ、女は悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「おはよう」

「………」


 女の挨拶に返事はない。

 それが少しだけ寂しくて、けれどおかしいのは自分の方だと彼女は思い直す。


 女は娼婦で、男は客だった。

 この町に来たばかりだという男に、女は一週間を買われた。

 見た目にあどけなさの残る、齢15を前後するくらいだろうこの若者は、しかしその見目に見合わぬ大金を即金で払い、女を買った。

 金さえ貰えば店側に否はなく、客が成人していようがしていまいが構わずで、女は男の相手をすることになった。

 田舎上がりの若者が相場も知らずに手を出したと、最初は思っていた。それくらい出された金には色がついていた。

 だが実際はそうではなかったと、彼女はその日の晩に思い知る。

 男の求めは苛烈で、容赦がなかった。

 買われてから3日程、宿から一歩も出なかった。2日目辺りに女は音をあげたが、取り合ってもらえなかった。

 4日目に、男に頼まれ昼に町の案内をした。その日の晩は優しかった。

 5日目も町を案内して、けれどもその日は、出先の色々なところで楽しんだ。

 6日目は男が朝から出かけていて昼まで待ちぼうけさせられたが、夜はまた一段と激しかった。

 そんな風によく頼られ、よく求められ、結果だけ見れば堪らなく充実した日々だった。

 そして今、7日目の朝。


「ん」


 男が身を起こし、伸びをする。


「………」

「あ、待って」


 そのまま緩やかに体を捻りベッドから降りようとするのを、思わず女は引き留めていた。


「あと一日、あるんでしょ? なら……」


 仕事人プロとしての矜持よりも、女としての気持ちが言葉を紡ぐ。

 もっと、もう少し、あと少しだけ、と。

 だが、添えた手から男の背中は淀みなく離れていった。


「あ……」


 惜しむ声が考えるより先に出て、女はわずかに頭を振る。

 相手は客で、自分は売人。

 そこに金のやり取りがあった以上、踏み越えてはいけない線がある。


「私の役目は、終わったの?」


 だから最後に女は問いかける。


「ドレスアップ」


 ちょうど魔法で服を着ているところだった男が、女の問う声に振り返る。

 青い髪が揺れ、金茶色の瞳が日の光に細まりギラリと煌めいていた。


「ああ。今日一日、好きに過ごすといい」

「……そう」


 男の返事に女は微笑み、しかし内心で歯噛みする。

 最も過ごしたい時間を潰した上で言っているのだから、彼は性格が悪い。


「また気が向いたら、私を買って頂戴ね」

「ああ」


 精いっぱいの強がりで着飾って、女は職務をやり遂げる。

 いつかまたあっさりと交わるかもしれない。そんな淡い期待をここで切り捨てようとした。


「またな」

「!?」


 だが去り際の男の言葉が、それを許さない。

 女が呆気にとられている間に、男は部屋から出て行ってしまった。


「………ずるい人」


 部屋にただ一人残され、女はシーツを強く握りしめる。

 閉じてしまった扉を見つめ、しばらくの間己の身を溶かす甘い毒を噛み締めた。


「……さて、やっとか」


 扉ひとつを隔てて向こう、女と別れた男が呟く。

 彼の思いはもうここになく、これから赴く場所へと向けられている。


「ようやく、少しは動きやすくなるな」


 男の名はシンヤ。今日からシンヤ・ゴッドと名乗る者。

 ルーブ村の一件からひと月が過ぎ、彼は新しい場所で新しい行動を起こそうとしていた。


   ※      ※      ※


 ソール王国東部、交易都市ロワン。

 東部国境線オーバ山脈を通じて隣国ルーナ魔法国と交易している、ソール王国の流通の一翼を担う町である。

 早朝から町は人々で賑わい、特に商売に精を出す声がよく響いている。

 中央の石畳の道を慌ただしく馬車が行き交い、至る所で露店が開かれていた。


「………」


 そんな中を、しかしどの店にも注意を向けずシンヤは進んでいく。

 今日の彼には、何よりも先に済ませたい用事があった。


「よっしゃ、みんな頑張ろう!」

「おー!」

「おい、この間の依頼じゃよくも……」

「はーい。16歳のぴっちぴちの女の子が、パーティー募集してまーす!」

「補助道具いらんかねー! 痒い所に手が届く、補助道具はいらんかねー!」

「あいつ20歳だぜ」

「その武器いい感じだな」

「分かる?」

「神魔法! 神魔法の使い手の方はいらっしゃいますかー!?」


 シンヤの行く先に立つ人の色が変わっていく。

 鎧に身を包んだ男や、黒いローブを纏った女。神官帽を被った少年に、羽の生えた馬を従える少女。

 軒を連ねる露店の品揃えも、武器防具、瓶詰の薬や旅の道具など、特定の向きを持っていく。

 特定の向きとは即ち、町の外に向かう者達のための品揃えである。


「盛況だな」


 辿り着いた先、大きな建物を前にシンヤは呟く。

 建物の入り口、二つ並んだ両開きの扉はどちらも開けっ放しで、引っ切り無しに人が出入りしている。

 先程見かけた特定の職種の者達の他にもちらほら、仕立てのいい服を着た町人から安物を着込んだ村人、逆に身なりの良過ぎる貴族然とした者まで様々な人の姿をそこでは見ることが出来た。

 それらすべての人々が用事を抱えて集まる場所。

 入口の扉の上に、それは大きく看板を掲げていた。


 ――「冒険者ギルド」


 息をするように人を吸い吐き出し続けるその中へ、シンヤもまた飲み込まれていく。

 そう、この日。

 シンヤは冒険者となるためにここに来たのである。


   ※      ※      ※


 中に入ることで行き交う人々の濃度は一層濃くなった。

 浮かべる表情に統一感はなく悲喜交々、和気藹々、喧々囂々と騒々しいことこの上ない。

 男も女も、老いも若いも、それぞれにそれぞれのため行き来している。

 それがこの国、ソール王国交易都市ロワンに居を構える冒険者ギルドの持つ独特な雰囲気だった。


冒険者証ギルドカード発行希望の方は、6番列にお並びくださーい!」


 ホールでは案内を担当する職員による誘導が行なわれている。

 彼らの指示する場所を見れば、そこにあるのは10人程度の人からなる長蛇の列だった。


「へへ、これで俺達も冒険者だな!」

「まだよ。申請してからカードが発行されるまで1週間はかかるんだから」

「ぐへー、そんなにかかるのかよ!」

「申請してから面談もあるし、軽い実技試験も今日受けるのよ?」

「面倒くさっ!」


 シンヤと同じ成人したてだろう、若い男女が言い合いをしている。

 どうやら男の方に学はないらしく、女の説明に不満を訴えていた。


「ギルド加入金の500ゴールドだって頑張って稼いできたんだぜ? その上試験して、合格しても待たされるのか?」

「しょうがないでしょ。ギルドカードは特別製、複製が利かない魔法のカードなんだから」

「ちぇー。とっとと冒険に出て魔物どばーっとやっつけて英雄になりたいのになー!」

「ちょっとは我慢しなさいな、まったく」


 ぶーぶー言い続ける戦士風の男に、ため息をつく軽装の女。

 そんな彼らの会話を盗み聞きながら、しかしシンヤはその列に並ばずに素通りする。

 目指すは吹き抜けになっている玄関ホールの隅、2階廊下を屋根に影の差す、広間から死角になっている場所。


「ふむ」


 目的の人物がまだ来ていないことを確かめれば、大きな柱に背を預けてしばし待つ。


「お客人」


 少しして、ひそひそとした声で話しかけられる。

 片目で声のした方を見れば、ギルドの職員制服を着た中年の男が一人、彼を見上げていた。


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