第05話 【支配者】の片鱗
意識と視界を取り戻したバナーリが感じたのは、何よりもまず鳩尾の鈍痛だった。
「お、お……ごほっ」
呼吸が出来ない。
息を吸おうとして咳が出た。それが収まってようやく呼吸が出来た。
「ひゅー……ひゅー……」
状況を理解出来ぬまま、とにかく呼吸を繰り返し息を整える。
(なんだ、何が起こった……?)
痛みと苦しみに耐えながら、回り始めた頭で思考する。
なんで自分が地面に倒れているのか。どうしてこんな痛みを得ているのか。
「……こほっ、しん、や……!」
そうだ、シンヤだ。
彼は怨敵の名前に思い至り、その姿を探す。
全力の炎で焼き尽くそうと思った相手は今、どうなっているのか。
相対していたはずだが目の前にはいない。
(あいつは、どこに……?)
疑問に答えを得ようと、バナーリが痛みを我慢して上体を起こした、その時だった。
「ひぐぅっ!!」
男の、痛みにあげる高い声が聞こえた。
その音の異常さに急速に聴覚が蘇り、続く音を必死になって拾い始める。
「ご、ごべんなざい! も、もうぢないがらあ゛!!」
聞こえてきたのは泣きながら哀願する声。
その声の主は何かに向かって必死に許しを乞うていた。
「違う! 欲しいのはその言葉じゃない!」
「ひぃっ!!」
哀願の声に答える、荒々しい声があった。
聞く者を震え上がらせる恫喝の声が、容赦なく誰かを刺している。
「二度と、俺に逆らわないと言え!」
「びぇっ! ざから゛いまぜん! ざがらびぃまぜん゛ん゛!!」
「よし!」
それはようやく望む答えを得たのか、泣きじゃくる誰かを解放したらしい。
どさりと地面に何かが落ちる音がして、それから大きな泣き声が轟いた。
「はぁー……はぁー……」
呼吸は落ち着いてきたが、バナーリの胸は早鐘を打つように激しくなったままだった。
声のした方を見れば、その正体が分かる。一度意識を失って冷静になったおかげで、その正体についてもある程度の推察は出来た。
だが彼は、そこから行動に移ることが出来なかった。
(何が、何が起こっている……?)
バナーリは、自らが振り向いた先に何が待っているのか分からなかった。
否、正確にはそれを、信じられなかった。
考え至った答えが信じられなくて、認められなくて、振り向くことを恐れていた。
事実に向き合うのが、怖かったのだ。
「……っ」
両の手を地面につけ、上体を持ち上げたままの格好で止まる。
痛みを塗り潰すほどの動悸が続き、彼を急き立てる。
(そんなはずがない、そんなはずがないんだ……!)
認めたくないが、見ないことには何も出来ない。
ほんの少し前まで燃え上がっていた炎は、今は見る影もなく消沈している。
「ば、バナーリぃ……」
「!?」
不意に、誰かに名を呼ばれた。
助けを求める声だった。
そこで彼は、自分に正義があることを思い出した。
(俺が、俺がやらなきゃ……!)
消えていた心のろうそくに再び火が点る。
若者ゆえの蛮勇が、厳格に育てられた者の責任感が、彼を突き動かした。
「はぁー、はぁー……お」
呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がる。
「おおお……」
息を吐きながら、声をあげる。
自らを奮い立たせ、真実に向き合う勇気を手に入れようと、バナーリは吼えた。
「おおおおおおお!!」
立ち上がり、振り返る。
「……ひっ!?」
そして目の当たりにした現実に、年若い青年は恐怖した。
※ ※ ※
バナーリが目にした景色は、彼の想像を越えた地獄絵図だった。
「ひぐっ、えぐっ……」
「うぁぁ……ぁぁ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……許して、許して……」
「びゃああああ! あああああああ!!」
「ぁ……あっ……」
彼が連れて来た8人の仲間が、一人残らず地に伏し、戦意を喪失していた。
あるいは小さく、あるいは大きく、泣き声をあげ、許しを乞い、土下座し、天に祈り、何かに救いを求める。
バナーリと同い年でこの村随一の腕自慢、【槍術】の才能も持つ友人ノスチですら、何があったのか大の字になって意識を失っていた。
「なん……これは……」
「思ったより目覚めるのが早かったな。伊達に鍛冶屋の息子じゃなかったか」
「あ……」
見せつけられた現実に戸惑う暇もなく、新たな状況がバナーリに迫る。
「シン、ヤ……!」
倒れ伏す仲間達の中、ただ一人立っている者の名を呼ぶ。
死屍累々の地獄の中心で、そいつは何かを確かめるように手を握っては広げしながら、バナーリを見ていた。
「お前が、やったのか……?」
「………」
「!?」
バナーリの質問に返ってきたのは、シンヤの満足げな笑顔だった。
その顔はどんな言葉よりもハッキリと、この状況を作り出したのは自分だと語っていた。
「仕掛けたのはお前達が先だ。元々敵対はしていたしそう振る舞っていたが、な」
「なん、なん……?」
何かがおかしかった。
バナーリの脳は、目の前の光景に強い違和感を訴えていた。
だがそれが何に対して感じているものなのか、言葉に出来ずにいた。
「大怪我をしている奴は一人もいない。うっかり腕を折った奴がいたが、それは【神魔法】のヒールで治しておいた。これはあくまで”子供の喧嘩”で終わらないといけないんでな」
「ッ!」
シンヤの口ぶりはまるで、この争いが彼の予想通りであったかのようで。
「おかげで色々と試すことが出来た。俺の対人戦における【万能技術】の使い勝手もよく分かった」
現に、続く彼の言葉は“子供の喧嘩”をした者とは思えない、相手に対する感謝の気持ちが窺えて。
「あ、あ……?」
「もしかして、まだ鳩尾が痛むのか? 初手だったから派手に仕掛けた分、加減出来てなかったかもしれない」
ゆっくりと自分に近づいてくるそれを、バナーリは同じ人間だとは思えなかった。
(なんだ、こいつは、なんなんだ?)
それはこちらを気遣わしげに見つめながらゆっくりと歩み寄ってくる青髪金茶目、齢10の少年。
―――その皮を被った別の何かだった。
「バナーリ」
「ひっ!?」
それが肩に手を置いた瞬間、バナーリはその手を反射的に払い、距離を取った。
「お前、お前は……何者だ!!」
「………」
「いったい何を考えて、何をしようとして、ここに、ここにいるんだ!!」
もはや完全に未知の異物を見る目で、バナーリはシンヤに向き合う。
嫉妬や八つ当たりなどという子供っぽい理由はとうに消え去り、彼は己の根にある真面目さでこれと対峙していた。
「その喋り方は、なんだ!? 大人の前でそんな口調だったか? どうしてそんなに、なんでも出来る!?」
考えれば考えるほど、違和感があった。
常人が己の才能を正しく理解するのは覚才の儀の後からだ。
それ以前にも片鱗を感じ、それを自然と伸ばすなんて話はあるにはあるが、シンヤのそれは明らかに違った。
初めから、自分がどんな才能なのか分かっていたかのような立ち居振る舞いだった。
「大人に付いて回ったのも、真面目にしてたのも、全部、全部自分の才能を伸ばすためか!?」
そんなこと、普通ではありえない。
だが、そもそもシンヤという奴が、普通ではありえない何かなのだ。
「まさか、まさか……!」
そしてバナーリは、自ら禁忌の箱を開く。
「俺達が今日お前にちょっかいをかけるってのも、全部お前の考えた通りなのか!? 俺達は、お前の思うがままに、操られてたっていうのか!?」
「………」
問に、言葉は返ってこない。
代わりに。
「……フフッ」
無邪気にはにかんだ笑顔が、その言葉を肯定した。
「!?!?」
バナーリの中の張り詰めたものが一気に弾け飛び、彼は正気を失った。
「う、うわああああああ!!」
ただ目の前の怪物から生き延びたい一心で、自分の限界を超えて火の魔法を練り上げる。
「ファイアー、ボーーーール!!」
渾身の叫びと共に、周りにどんな影響を与えるかも考えないがむしゃらな魔法の発動。
バナーリの手の平に生み出された膨大な炎が球状をとり、手を突き出す動作と共にシンヤに向かって打ち出される。
ファイアーボールは生成した火球を放ち対象の近くで爆発させ、辺り一面を火の海に変える攻撃魔法だ。
これが扱えることは、これまでのルーブ村という小さなコミュニティでは絶対的な物だった。
それはつまり、少なからずバナーリにも神童と呼ばれた時があり、恐れられ、彼もまたそれを誇り、驕り高ぶっていた時期があったということでもある。
だがそんな時期があったからこそ、過去を塗り替える新たな才能も、成人し神童という名が剥がされた後の重圧も、そのすべてが彼を蝕む要因になっていた。
だが今は、そんなものどうでもいい。
ただ目の前の何かを、この瞬間に消し炭にしなければすべてが手遅れになる。
そんな確信のない恐怖からくる思いが、彼を突き動かしていた。
正気の沙汰ではない、常識外の行動だった。
「よし」
だが、その恐怖をもたらした何かは、彼の抵抗を待っていたとばかりに首肯する。
それは放たれた火球に向かって手をかざすと、満面の笑みで呪文を唱える。
「ファイアイーター」
瞬間、その手の平から現れたのは巨大な炎の顎。
開いた大口は迫る火球をあっさりと呑み込み、自らの力に変えて巨大化する。
「な、ひっ……!?」
巨大化した炎の大口はそのままバナーリを呑み込もうとして、
(死ぬ……!!)
その口の中で死を覚悟したバナーリを焼き尽くす、その直前に霧散し消失した。
「……え?」
何が起こったのか飲み込みきれずにいるバナーリに、今まさに彼を殺せる力を示したシンヤが声をかけてきた。
「ありがとう、いい経験になった」
感謝の言葉だった。
「【万能魔法】……いや、才能ってのはすごいな。考えていたことよりもっといい答えが都合よくピンと閃いた。いつもこう上手くいくってわけじゃないだろうが、こういうことも起こるんだな」
どうやら彼は、バナーリの全力を、気軽な試しごとか何かのダシにしたらしい。
自分の得た答えに満足しているのか、その表情は実に晴れやかで、人懐っこい笑みを浮かべていた。
バナーリはそれで、己のすべてが奪われたのだと悟った。
※ ※ ※
勝敗は決した。
「バナーリ」
「ひっ!?」
名を呼ばれただけで震えが走る。
腰が砕けてその場にへたり込んだ。
敵わない。
どうあってもこれには、自分ではどうしようもないと、心の底から理解した。
それは子供の姿形をしているが、絶対に年相応の何かではなかった。
大人に取り入っているのもちやほやされるためじゃなく、それによって得られる多くの何かのためだった。
人の良いことで知られる農家の夫婦に生まれた3人兄弟、その長男。
シンヤという名の少年は、三つの才能を持って生まれた神童は……
(あ、悪魔……!)
その身の内に怪物を潜ませた恐ろしい異形だったのだと、バナーリは確信した。
踏んではならない虎の尾を踏んでしまった。いや、踏まされてしまったと、後悔するには遅すぎた。
「今日のこと、俺達だけの秘密な?」
「え……」
「これが大人達に知れたら色々とまだ都合が悪いんでな。お前が率先してこいつらを黙らせろ」
肩を抱き、正面に向き合い命じられる。
その言葉からバナーリは、言い様のない抗いがたさに襲われた。
もはや何もかもが手遅れだと、彼にはもう抵抗する意思も、気力も失われていた。
「いいな?」
「…………はい」
年がなんだとか、親がなんだとか、そんな小さなことで憤っていた己が愚かしい。
ただ見せつけられた力と危機は、こんなにもあっさりと自分の常識を覆し、破壊した。
彼はただ目の前にいる何かに、屈服する。
そしてこの顛末を見届けていた意識の残っていた者達もみな、気づけば泣くことすら忘れていた。
絶対的な強者の出現に、皆一様にこうべを垂れ、従属を示すしかなかった。
「よし、いい子だ」
「………」
これ以降、ある時期までルーブ村からシンヤを悪く言う者はいなくなる。
子供達は以前より従順になり、親の言うことをよく聞くようになった。
それを導く立場にシンヤがいることはほどなくして大人達の知るところになり、村における彼の地位はより盤石な物となった。
誰も、気がつけば彼の言葉をよく聞き、彼の提案をよく受け入れ、彼の思う通りに動き始めていた。
ルーブ村は、気づけば一人の”支配者”の手の中に納まっていた。
その脅威は人知れず、あるいは気づいても握り潰され、時と共に村中へと広がっていた。