第02話 三つの才能
ソール王国北東部メイラン領の端に存在する田舎の村、ルーブ村。
そこは剣と魔法と才能が支配するその世界において、比較的平和な村だった。
近くに獰猛な魔物が棲みつきそうな悪性の魔素溜まりもなく、村人達は日々の糧を得るべく農業や畜産業に精を出し、徴税の緩やかな領主の統治に加えそれなりに豊かな土地の恩恵もあって、冬ものんびりと越すようなところだった。
シンヤはその村に住む農家、ザウリとトリウィ夫妻の生んだ3人の子の長男として生を受けた。
心優しい父母の元、彼はすくすくと成長し次第に己が才覚を発揮していく。
その片鱗は、彼が一人で動き回れる程度に物心ついた6歳の頃にはもう表れ始めていた。
「父さん、今日は森に行きたい」
ある日には、父と共に森へ入り、自作した罠で野ウサギを捕えてみせ。
「母さん、洗濯物手伝うよ」
ある日には、溜まった洗濯物を手を使わず水の魔法を使って見事に洗い。
「クィッルスが町に行くの、付いてっていい? 新しい本が欲しいんだ」
またある日には、村唯一の商売人に付き添い町へと出向き、出先で別れ一人で目的を達成してきたりもした。
「ザウリのところのシンヤ、まだ10にも満たないのにしっかりしているね」
「しっかりしているどころじゃないよ、肝も据わってるし、あの年で大人顔負けの働きぶりだ」
「そのうえ勉強も出来て、算術もクィッルスさんがもう教えることがないとか言っていたよ」
「何よりあの真面目な態度、っかー! うちの子にも見習わせたいね!」
「まったく、あの子ってばこの村には過ぎた宝だよ。ああいうのを神童っていうんでしょうね」
ルーブ村に現れた神童は、村の大人達にとって最高の話のタネになった。
彼らは普段からシンヤに注目し、その一挙一動を楽しみ、次に何をしでかすのかを期待した。
そしてシンヤもまた彼らの期待に応えるように、年を経るごとに様々なことを行ない彼らを楽しませた。
大人達は誰しもがシンヤを気に入り、持て囃す。
シンヤは、村の大人達の玩具だった。
※ ※ ※
シンヤが村において絶対的な地位を手に入れたのは、彼が齢10になった年の秋だった。
この世界には、齢10を数えた年に己の【才能】を神の使いに問う儀式を行なう習わしがあった。
その者の生涯を大きく左右するその儀式の名は、”覚才の儀”。
ルーブ村の誰しもが、すでに大器を思わせるシンヤの持つ才能について興味を持っていた。
「おお、才能の神タレントゥムの神使よ。彼の者の担いし才覚を示し給え……!」
村にある小さな教会の礼拝堂で、今年も覚才の儀は執り行われていた。
今年儀式を行なう4人の子のうち3人に対しすでに儀式は行われ、そのうち二人がそれぞれ【土魔法】、【神魔法】の才能を見出された。特に【神魔法】の才を持った少女は同時に【料理】の才も所持しており、村人は大いに盛り上がった。
そもそも誰も才能を持っていないという結果も多分にあり得る状況でこれは、思わぬ大収穫だった。
「次、シンヤよ! 前へ!」
「おお……!!」
「いよいよね」
そしてついに4人目の子供、シンヤが覚才の儀に向かう時となり、村人の盛り上がりは最高潮を迎える。
毎年の行事ゆえに来る人来ない人があった日だったが、今日ばかりは村人総出で見守っている。
そんな数多の視線に曝されながら、しかし気負った様子もなくシンヤは儀式へと赴いた。
「汝、シンヤよ。心の準備はよろしいですね?」
「……とっくの昔に」
教壇を挟み、司祭と相対しながらシンヤは迷いなく立つ。
「ならば己が心を落ち着け、この覚才の水晶に手をかざしなさい」
礼拝堂の中に犇めく人の誰しもが緊張する中、しかしただ一人、シンヤだけは冷静だった。
それもそのはず、彼だけはすでに、自分の中に答えを得ていたのだから。
「はい」
ゆえに彼はこの場にいた誰よりも堂々と、そして芝居がかった動きを取って手をかざす。
教壇の上に置かれた水晶の真上に彼の手が定まり、それを合図に司祭は祝詞を唱えた。
「おお、才能の神タレントゥムの神使よ。彼の者の担いし才覚を示し給え……!」
それから間を置かず奇跡は始まる。
始めはぼんやりとした灯火が水晶の中に生まれ、次第にそれが揺らめきと共に輝きを増していく。
そうして水晶の中に輝きが満ちた時、光は司祭に手をかざした者の才能を託宣するのだ。
「お、おお……」
老年の司祭の目が驚きに見開かれる。
それはこの村の大人達の誰しもに、そこに期待する答えがあることを想起させた。
しばらくの後水晶の中の輝きが収まり、託宣の終わりを告げる。
皆が息を呑む中、厳かに司祭は口を開いた。
「彼の者、シンヤの持つ才は……三つである!」
司祭の宣言に返ってきたのは少しの沈黙と、そこから波を打つように広がる歓声だった。
※ ※ ※
「おおおおお!」
「すごい!」
「なんということだ!」
「やはり神童!」
人が生まれ持つ才能の上限は三つ。それをシンヤは満たしている。
才のひとつでも全人口の半分を割るほどに得難いことであるこの世界において、それは間違いなく破格である。
この村の住民がもしやと思いつつも、まさかそんなことはと思っていたことが今、現実になっていた。
それは村人達にとって、いやさ世界にとって、シンヤが神の名の元に稀有な存在であると初めて証明された瞬間であった。
「いったいなんの才能なんだ?」
「【水魔法】はあるだろう?」
「後は【罠術】か?」
「才能三つなど、ワシが生きてるうちにそんな奴を見るとは思ってもおらなんだ」
才の数が分かれば、次いで気になるのはその中身だ。
例えば【剣術】の才があれば、鍛えれば一角の戦士となり、あるいは武勲を立て平民から騎士へと至るやもしれない。
例えば【掃除】の才があれば、その者の整える家は常に清潔で、心休まる場所となるだろう。
立身出世、終始健やかなる天寿。【才能】とはそれひとつでそれらを成り立たせることの出来るやもしれぬ、可能性の塊である。
先んじて【神術】【料理】という二つの才を持った少女に誰しもが将来の安泰を確信したように、シンヤの持つ才能からその輝かしい未来を空想せんと、村人達は嬉々とした表情で司祭の言葉を待っていた。
「………」
人々の視線が集中する先、司祭が震えていた。
じっとりと汗を掻き、己の視た物を未だに信じられないと、荒い呼吸を繰り返していた。
「おい、どうしたんだ。司祭様」
「トーマス、教えておくれよ!」
司祭の葛藤をよそに、村人達は早く答えが欲しいと彼をせっつく。
その声が段々と大きくなり、騒ぎになろうかというその直前に、ようやく覚悟を決めた司祭が再び口を開いた。
「シンヤの才能、それは……」
途端に静まり返る礼拝堂の中、シンヤの持つ才能が開示される。
「……ひとつ、【万能技術】。ひとつ、【万能魔法】。そして最後のひとつは……私には解読出来ませんでした」
「……は」
誰かが息を吐く音がした。
それがハッキリと聞こえる程に、場は静寂を保っていた。
「え、なんだって?」
「さあ、万能?」
「解読出来ないって?」
静寂から新たに場を支配したのは困惑。
聞き慣れない言葉に皆が戸惑い、互いに顔を見合わせる。
そんな村人達の中でただ一人、司祭だけがその才能の意味を正しく理解していた。
※ ※ ※
(このような者が、世界に存在することがあり得たのか)
司祭トーマスは、若かりし頃、聖都の大教会にて司祭となるべく修練を積んだ人物である。
神との交渉を司る【交神】の才を持つ彼は、正しく神の与えたもうた才能を人々に伝えるために今日に至るまで研鑚し、この日を迎えている。
彼の人生において三つの才能を持つ者との出会いは初めてのことであったが、それだけならば一生に一度あるかもしれない程度には彼も考えていた。
だが、シンヤの持つそれは彼の想像の上を行く物だった。
(【万能技術】、あらゆる道具の扱いに精通する才能。器用さにおいて右に出る者なく、戦いとなれば武器を選ばず、徒手においても類稀な武の才を示すという)
教会に残された歴史書においても数えるほどの者しか持ち得なかった、希少な才能である。
記されている者は須らくその才を発揮し、時に国難に、時に災厄に挑み、これを制したという。
これだけでもシンヤは特別視するに足る逸材だと言える。が、ことはそこで終わらない。
(【万能魔法】、火、水、風、土、神、冥。そしてこれらに属さぬ無の魔法に至るまで、すべてにおいて真理に至れる可能性を秘めた才能。これまで持っているとは)
こちらも歴史書に数えるほどの数しか記録されていない、希少な才能である。
ある者は天候を自在に操り、またある者は不老不死を得たなど、伝説を数多く生み出したとされる。
こちらもひとつあればその生涯に天命を授かっておかしくない、強大にして偉大な価値を持つ物だ。
(これらの才を併せ持つなど、いったいどのような奇跡がこの少年の身に舞い降りたというのだ)
司祭の読み取った二つの才能。これだけでも間違いなく世界は揺れる。
しかし司祭が受けた託宣は、彼の才能は二つだけでなくもうひとつあるのだと告げている。
(この二つに加え後ひとつ、それも私には分からなかった才能。そんな物、基本的な才能ではあり得ない)
基本の枠に収まらない、彼独自の稀有な才能。
自らの権能では計り知れないそれは、あるいは神が伝えるのを拒絶したとも解釈出来る。
「……シンヤよ」
どよめく礼拝堂の中、騒ぎの中心に立つ少年を司祭は見る。
父親譲りの濃い青い髪を撫でつけていた彼は、母親譲りの金茶色の瞳で司祭を静かに見返す。
「はい」
これだけの特異な状況にありながら、彼の少年は司祭を真っ直ぐに見つめブレずにいた。
この村に根を張って久しい司祭であるトーマスもまた、今日までシンヤを見守り続けてきた大人の一人だ。
大人びた子であるとは思っていたが、今この瞬間にも動じた様子がないのはもはや、常なる者とは違う枠を持っているのだと思う他ない。
およそ齢10の少年が持ち得るはずのない胆力に、司祭は今や戦慄を覚える。
(この子は間違いなく神に愛されている……!)
今すぐに跪き、少年を通じて神にその気まぐれの理由を問い質したい気持ちを司祭は胸に手を当て抑え込む。
絞り出すような声で、言葉を紡いだ。
「あなたの持つ才能はおよそ世界に無二の物です。私の知り得ぬ三つ目の才能を含め、どうか自らの行いを常に俯瞰し、時に律し、世に光を与える存在となってください」
己の人徳の限りを尽くし、この少年の未来を司祭は憂う。
この天賦が神の気まぐれでないのなら、彼を待つ天命は如何なる困難が待ち受けているというのか。
司祭の切なる願いの言葉は周囲のざわめきを圧し、再び静寂の場を創り出す。
厳かさを取り戻した空間で、彼の言葉を受け取ったシンヤは静かに頷きを返し、口を開いた。
「僕は……いや、俺は。この才能を余すところなく使いこなし生きていこうと決めている」
「おお……」
それは、幼い少年が口にするにはあまりにも成熟した言葉だった。
元より他とは一線を画する利発な少年だというのは知っていたが、それでも司祭は心の中で慟哭する。
(ああ、どうか。この少年に安らかなる人生を与え給え!)
司祭は祈る。降りかかる災禍をわずかでも減らせるように。
幼くして自らの背負った宿命を覚悟し強がってみせたこの少年に、優しさに満ちた幸せが掴めるようにと。
※ ※ ※
「………」
シンヤは、目の前で無言の祈りを捧げる司祭をただ見上げていた。
何を祈っているのか知らないが、とっととこの面倒な儀式が終わらないかと内心辟易していた。
(分かりきった答えを得るのに時間を使うなんて、面倒なことこの上ない)
転生の時点で答を得ているシンヤにとって、この儀式は茶番以外の何物でもない。
それでも儀式に参加したのは村への貢献と、自らの地位を考えてのことである。
(この年に至るまで、才能について、魔法について色々と試し続けてきた)
才能は持っているだけではその効果を十全に発揮させられない。それに見合った研鑚を積んでこそ正しくその力を及ぼすものだ。
万能技術も万能魔法も、実際にそれらに属する力を育まなければ宝の持ち腐れになる。
だから彼は日常生活から自ら率先して動き、学び、才能を伸ばしてきた。
それは同時に村での地位向上に繋がり、さらには自分と他人との差を測る貴重な経験となる。
おかげで今は才能の持つ可能性と、これまで縁のなかった魔法についての持論を持つに至った。
シンヤはこれら二つの才能を、自らの力にする術をある程度ものにしていたのだ。
(残すは後ひとつ。俺が元々持っていた才能……【支配者】についての研究だ)
元いた世界と違い、今世ではそんな才能があると明文化されている。
であれば、その才能に見合った何某かを行なう力が備わっているとみて間違いない。
(この国における成人である15歳。それまでにこの才能についても伸ばしていかないとな)
自分の覚才の儀が終わりに差しかかる中、シンヤは思う。
(この司祭が俺の支配者の才を見抜けなかったのは単純な実力不足か、はたまた神の悪戯か。どちらにしても俺に好都合なのは間違いない。これからはこの才能を重点的に使いこなしていく)
支配とは、相手に支配する意思がバレてしまえば得てして抵抗されるものである。
伍堂慎也が出る杭として打たれたのも、先人にその思いを見抜かれたからに他ならない。
(俺の身ひとつが無事なら、生きている限り何度でも挑戦は出来る)
死んで咲く花実などない。
二つの万能は、この世界で安々と死なないために取得した物だ。
唯一【防御】の才能を選べなかったのには後悔があるが、それは技術と魔法でカバー出来ると信じた。
(神の望みである世界の揺さぶりについては、その時が来れば自ずと決断する時が来るだろう。俺は俺の望むままに生きて、ついでに神の望みとやらを叶えながら、いずれ神と同列の、あるいはその上を目指す!)
自らの抱く野望に、シンヤは心の火を燃やす。
それを見る周囲の者達の視線は、今は幼い体に背負う天命への覚悟を抱いているように映って。
「……シーちゃん」
同じ年頃の、同じく複数の才に恵まれた少女には、強い焦がれに似た思いを抱かせていた。
※ ※ ※
「以上をもって、本年の覚才の儀を終了とする!」
司祭の宣言を最後に、儀式の最中という名の重圧が解かれる。
「おい! ザウリ! やったな!」
「メディレケのところもすごいじゃないか!」
「お前のところと比べられねぇっての!」
「俺達も混ぜろ! 今日はめでたい日だ、飲もうぜ!」
儀式が終われば主役は子供達からその親に切り替わる。
シンヤの父母は即座に村人達に囲まれ歓声の中に埋もれて、もみくちゃにされる。
その輪に加わらない者達は各々の日常の仕事へと帰っていき、礼拝堂は少しずつ落ち着いていく。
「父さん、母さん。俺、先に帰る!」
人混みに巻き込まれないよう少し離れたところから両親に声をかけ、シンヤも礼拝堂を後にする。
「あ、シーちゃ……きゃっ」
人波に阻まれた少女に気づくことなく外へと出た彼は、まだ天に昇る最中の日の光に目を細めた。
「ふぅ……やっと終わったな」
早いところこの場から離れよう。そう思って歩き出した彼の耳に、しかし今度はしっかりと声が聞こえた。
「……ちっ」
「あいつ、調子に乗りやがって」
それは直接ではなかったが、間違いなく自分に向けられた言葉だった。
年若い男の声。シンヤには聞き覚えがあった。
「……ふむ」
敢えて声の主の方は見ず、気づかぬフリを通して遠ざかる。
(これは、ちょうどいいか?)
帰途の道を行くシンヤの頭の中で、およそ元の世界の道徳から外れた計画が練り上げられていく。
(【支配者】の才能……その効果。その機会があればじっくりと確かめさせてもらおう)
誰にも見せぬよう俯いた彼の口元には、邪悪な笑みが浮かんでいた。