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第12話 奴隷


 優しい温かさを感じて、狼人の女は目を覚ました。


「ん……ん?」


 鼻先に感じるくすぐったさと、焼けた肉の美味しそうな匂いに釣られ瞳を開く。


(焚き、火……?)


 視線の先、赤い火が揺らめいていた。

 その上で、脂の乗った高そうな豚肉が回し焼きされていた。


「……ぁ、じゅるっ」


 口から垂れていた涎を慌てて啜る。これは寝惚けていたせいだと心の中で言い訳をした。


「目を覚ましたか」


 誰かに声をかけられた。

 優しい声だと女は思った。

 もう何年も自分に向けられてこなかった、懐かしい声音だった。


「あ……」

「待て、もう少しで肉が焼ける。ゆっくりと体を起こせ」


 声の主を見ようとして女が身を起こそうとしたが、顔前に手を出され止められた。


「治療はしたが大量に血を流していたからな。どこか不調が残っているかもしれない」

「あ、はい」


 言われるがまま、焦らずゆっくりとした動作で身を起こす。

 ようやく声のした方を見て、黄金色の瞳は彼を認識した。

 青い髪の、同じか少し下くらいの人間だった。


「!?」


 反射的に身が縮こまり、床を擦って距離を取る。

 距離を取ってから、自分が相手に失礼をしてしまったのだと気がついてまた慌ててしまった。


「あ、その……」

「いい。あんな奴の奴隷に身を落としていたんだ。人を怖がって当然だろう」

「………」


 謝る前に理解を示された。

 どこまでも冷静な返答に、女も少しずつ冷静さを取り戻していく。

 どうやらこの若者は自分の境遇を知っているらしい。それを認識すると同時に浮かぶ当然の疑問。


「あの、なんで……?」

「お前のご主人様なら死んだぞ。お前を見捨てた、そのすぐ後にな」

「え……」


 年が近いと分かれば少しだけ偉そうに感じる彼の物言い。

 けれどそれ以上に、聞かされた事実の方に彼女は驚きが隠せなかった。


「死んだ?」

「ああ」


 女は自分の首に触れる。そこには依然として黒い鎖に繋がれた首輪が掛けられてあったが、


(あんな奴、大っ嫌い! 私が、ぶっ飛ばす!)

「……ぁ!!」


 試しに所持者への翻意を抱いてみても、首輪は反応を示さなかった。

 隷属の首輪が効果を及ぼすのは、契約主が契約を解除するか、死ぬまでの期間である。

 反応がないということは、即ちあの、自分を扱き使いあまつさえ見捨てた憎たらしい人間が命を落としたということに他ならなかった。


「ぁ、ぁぁ……!」


 自然と涙が零れてきた。


(私、私……やっと……!)


 地獄から解放された。

 自由もなく、命を使い潰されるまで隷属する日々から脱することが出来た。


「うぁぁぁ、よかった、よかったよぉぉ……!」


 願って、願って、死ぬ目に遭って。

 ようやくそれを手に入れることが出来たのだと、女は声をあげて泣く。


「ほら、肉が焼けた。とりあえず腹を膨らますといい」


 自分を助けてくれたらしい親切な男が、削いだ豚肉を皿に乗せ差し出してきた。

 肉を食べられるのも何週間ぶりだろうか。


「あ、うう……はぐっ、うむむ……!」


 少々焼け過ぎて焦げたり固くなったりしているが、これまで食べた何よりも美味しいお肉だった。


「だから焦るな。ゆっくり食べていい……あー、名前を聞いてもいいか?」

「むぐ? んん!」


 ガツガツと貪っているところに声をかけられ、随分はしたないことをしていたと気づいて女は頬を染める。

 だがそれでも口に入れた久しぶりのご馳走を味わうのを止められず、すぐには返事出来なかった。


「ん、むぐ……ごく」

「………」


 ようやく口の中を空にして、女は若者に向き合う。

 ぱたぱたと白い耳と尻尾を揺らし、親切に親切を重ねてくれた彼へ、満面の笑みと共に答える。


「助けてくれてありがとう! 私、カナリア。カナリア・トレランティア!」

「カナリア・トレランティア。俺の名前はシンヤ・ゴッド」


 互いに名乗り合い、縁が結ばれる。


「えへへ……」


 はにかみ微笑む彼女の、カナリアの笑みはしかし、この直後、一瞬で凍り付く。


「お前の、新しいご主人様だ」

「……へ?」


 親切な若者だと思っていた人物の正体は、さらなる地獄へ彼女を引きずり込む悪魔の使者だったのだ。


   ※      ※      ※


「ご主人、え?」

「今、お前が俺に名を捧げたことでようやく完了だ」

「は? あ? ああああ!?」


 状況を飲み込めずにいるカナリアに向かって、シンヤは首輪を指し示す。

 契約が解除されているなら簡単に外せるはずのそれは、カナリアが全力で外そうとしても外れなくなっていた。


「そんな、そんな……!!」

「意識を失ってくれていたから準備をするのが楽でよかった。一からやるのは面倒だったからな」

「ああ、ああ……!」


 あっけらかんと言い放つシンヤの言葉など耳に入っていないのか、カナリアは床にくずおれ慟哭する。


「なんで! なんで私ばっかりこんな目に!!」


 これまで溜め込んでいた感情が爆発し、周囲に目もくれず泣き叫ぶ。


「帰りたい! お家に帰りたい!! 帰して! 家に帰してよーーーー!!! うわああーー!!」


 助かったと思った。奇跡が起こったと喜んだ。

 けれど幸せの絶頂まで持ち上げられてから叩き落された現実に、カナリアは我慢の利かない子供のようになる。

 否、成人を前にして他国に攫われ、辛い日々を送って来た彼女にしてみれば、ようやく年相応に振る舞える瞬間がことここに至って訪れたのかもしれない。

 それをよかったとはとても言える状態ではなかったが。


「ねぇ、なんで!? なんでこんなことするの!?」


 悲しみは怒りに変わり、シンヤの胸ぐらを掴んで訴える。


「あなたに良識はないの!? 情けはないの!? ソール王国はどこまで腐ってるの!?」

「………」

「私が何をしたの!? 普通に生きてただけなのに! 才能がなくたって、小さな幸せが掴めたらいいって、思ってただけなのに!!」


 ぽろぽろと大粒の涙を流して訴えるカナリアに対し、シンヤは何もせずただ見つめていた。

 彼女の過去や思想にそこまで興味も関心もないが、涙に潤む黄金色の瞳は綺麗だと思った。


「うう、うううう……!」


 もっと見ていたいと思っていた瞳が、しかし呻き声と共に俯かれてしまい見えなくなる。

 代わりにぺたんと伏せて悲しみを表現している白い獣耳が目に入り、シンヤは何気なしに手を伸ばす。


「いやっ!!」


 それを、カナリアが反射的に打ち払った。

 全力で拒否する手に強く打たれ、シンヤの手がわずかな痺れを訴える。

 それは彼女も同じだったのか、打ち据えた手の手首を掴み、痛みを堪えて歯を食いしばっていた。


 この時、二人は全く違うことを考えていた。


(もうやだ。こんな地獄で生かされ続けるくらいなら、死んでしまいたい!)

(どうやら首輪は正しく機能しているようだな。よしよし)


 悲しみに塗り潰され絶望しているカナリアとは裏腹に、得た情報を精査し満足げに笑うシンヤ。

 次に口を開いたのは、シンヤの方だった。


   ※      ※      ※


「そろそろ落ち着いたか?」

「なっ……!」


 火に油を注ぐような物言いに、再び悲しみが怒りに変わったカナリアはシンヤを睨みつける。

 だが睨まれたシンヤは不敵な笑みを浮かべ、彼女が何かを言う前に言葉を続けた。


「反撃が出来るとスッとするだろう?」

「は? 何を……あ?」


 指摘されて、カナリアも気づく。


(あれ? こいつ、隷属の首輪で私を縛っているのよ、ね?)


 先程彼女が行なったのは、間違いなく所有者に対する反逆行為だ。


(……反撃したのに私、痛みを感じてない?)


 だがしかし、カナリアの首に取り付けられた隷属の首輪は、それに対して罰を与えてはこなかった。


「どういう……?」

「契約を更新する際に設定を変えさせてもらった」

「?」

「罰はその首輪の判断じゃなく、俺自身の判断で下すとな」


 そう言ってからシンヤは一拍の間を置き、カナリアに告げる。


「“躾”」

「!?」


 その瞬間、カナリアの全身に電流を通したようなビリビリとした刺激が駆け巡る。


「んひいいいい!?」

「ふむ、罰則の内容も正しく機能しているな」


 シンヤの意思で刺激は即座に止まるが、カナリアの体にはしばらく余韻が残り、彼女は身を震わせ続ける。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「お前との主従契約は今の通り完了している。が、前の主と違って自動的にお前を躾ける真似はしないとは言ってやろう」

「こ、の……鬼畜!」


 大分マシだろうとでも言いたげなシンヤのどや顔に、カナリアは渾身の悪態をつく。

 どういう形にしろ今の自分はこの男の奴隷にされている。その事実だけで彼女の気分は最悪だった。


「契約、解除して!」

「断る。今の俺には手駒が必要なんだ」

「手駒?」

「そうだ。とりあえずはこのダンジョンを攻略し、大きな手柄を勝ち取るためにな」


 少しだけ声のトーンを低くして、シンヤは語る。

 このダンジョンに一人で挑んでいること。

 このたった一度の挑戦で成果を出さなければならないこと。

 ダンジョンを散策していたら物盗り達と被害者、そしてカナリアを見つけたこと。

 物盗り達を全滅させて、死にかけのカナリアを助けたこと。

 寝ている間に隷属の首輪を更新して、目覚めたカナリアと契約を結んだこと。

 そして今に至ると説明を受けて、カナリアは一呼吸置いてから口を開いた。


「それだけ一人で出来るなら私いらないでしょーーーー!?」


 でしょー!? でしょー! でしょー……! でしょー……。

 フロアにカナリアの声が反響する。

 しっかりとお腹から出された大音声だった。


   ※      ※      ※


「一人なら姿を消せて安全にダンジョン歩き回れて多人数相手にも楽勝で、死にかけの人を助けられて、これ以上何が出来るようになりたいの!?」

「人手が必要なことだな」


 両手で頭を抱えながら尋ねるカナリアに、シンヤはまったく動じた様子もなく答える。


「例えば二人以上の人間で解除する罠。それを一人で解けないこともないが、人数のいる方が楽だし効率的だ」

「それは……」

「それに人の数が多ければそれだけ危険を分散出来る。万が一より億が一の方が安心だろう?」

「で、でも……」

「当然、複数の人間が関わる以上、信頼関係は大事だ。だがその点主人と奴隷なら感情という不確かなものではなく契約という明確な物で縛ることが出来る」

「う……」

「少なくともこのダンジョンを攻略するにあたって、お前みたいなのを扱き使えるというのは俺にとって利が多い。理解したか?」

「………」


 いちいち正論を突きつけられ、ぐうの音は出ないがカナリアの腹は立った。

 不貞腐れて床にぺたんと座り直し、顔を背ける。

 シンヤはその様子を少しの間眺めていたが、おもむろに豚肉を一切れ削り、皿に乗せた。


「少なくとも前の主よりはマシな扱いをしてやるつもりでいるが、それもお前の態度次第だ。もぐもぐ」

「………」

「頑張れば褒めてやるし、もぐ、普段からみすぼらしい格好をさせるつもりも、はむ、あぐあぐ、ない」

「………」


 ぐううう……。


「………」

「んぐんぐ」


 腹は立っていたが、お腹は空いていた。

 シンヤの腹の中に納まっていく豚肉達を、気づけば目で追っていた。


「……で、だ」

「うっ」


 フォークで刺した豚肉を突きつけられ、カナリアは涎を拭った。


「とりあえずは腹いっぱいになるまで飯を食わせてやるから、留飲を下げろ」

「……そ、れは」


 どこまでも偉そうな物言いは、主人であろうとしているというより生来の気質からしてそうなのだろうとカナリアは理解する。

 彼女の怒りは収まっていないし現実の絶望感に未だ打ち据えられてもいる。だが、


(人とちゃんと話したの、どれくらいぶりだろ……)


 少なくとも目の前の男は、自分の言動に対していちいちとやかく言ってこない。

 反抗的な態度も、行動も、彼の度量の許す限りで認められている。


(何も出来なかったこれまでとは、少しは違う、の、かな?)


 奴隷という立場は変わらない。それを到底許容は出来ない。

 今のカナリアに目の前の男を信頼することなどさっぱり出来そうもなかったが、同時にこの状況を独力で好転させることもさっぱり出来そうになかった。


「どうだ?」

「う……」


 目の前で揺れるご馳走に目を奪われる。

 彼女の中で多くの考えと感情が渦巻き、それも鼻に香る匂いに少しずつ塗り潰されていく。


(どうせ、何も変わらないなら……)


 元々弱っていたカナリアは、ついに考えることを放棄した。

 諦めと、欲と、何よりまだ生きていたいと願う生命の根本が持つ理由から、それに手を伸ばした。


「……はむ」


 フォークを受け取り齧り付いた肉は少し冷えてしまっていたが、変わらず美味しかった。


「腸詰めや野菜もあるぞ」

「……!」


 いつの間に焼いていたのか串に刺されたそれらを差し出され、カナリアはもう止まらなかった。

 実に何ヶ月かぶりの、お腹いっぱいになれる食事だった。


   ※      ※      ※


「い、いい? 私、心からあなたに服従するつもりなんてないからね? あくまで対等、対等の契約をしているんだからね? これはダンジョンを攻略するための協力、いわばパーティー」


 満腹になるまで食事を堪能した後に、カナリアは言う。

 言葉こそ強気だが、頬に朱が入り視線もきょろきょろと忙しなく、そこからはまんまと食事に釣られた照れや恥ずかしさがあるのが丸分かりだった。

 狼人の白い耳と尻尾もぴこぴこぱたぱたと動いている姿は実に愛らしいものだったが、


「分かった!?」

「ああ、調子に乗ってるってことはよく分かった。“躾”」

「んああああああ!?」


 それは今のシンヤには関係ないことだった。


「お前は奴隷で、俺が主。分かってるな?」

「あああああっ! ひああああああっ!!」


 悟空を律する三蔵法師よろしく一切の容赦なく、緊箍児もとい隷属の首輪を行使する。

 締めつけではなく全身を駆け巡る刺激に身を震わせ、カナリアの心はあっさりと折れた。


「た、たすっ、ごごごめっ、なさっ……!」

「よし」

「んあっ!!」


 謝罪の言葉を口にしたカナリアを開放し、びくんびくんと痙攣したままの彼女に今一度シンヤは言う。


「お前は俺の奴隷だ。長生きしたければ自分の立場を忘れないことだ」

「はぁー、はぁー。そ、んな……」


 瞳を濁らせるカナリアをシンヤは眺め、満足するまで堪能してから移動の準備を始める。


(カナリアが寝ている間に回収した物盗り達の金品で2000G程度の儲けがあったが、これでは成果にまったく足りない)


 家を持たない者が一日慎ましく生活するのに10Gというのが基準のこの世界において、2000Gは十分な大金である。

 だが冒険者稼業、それもシンヤのような生き方をする者にとってははした金もいいところだった。


「やはり上層をうろつく程度では成果も出ないということか」


 魔物は労なく倒せる。罠は解除しなくてもなんとかなる。

 シンヤからしてみれば上層は、苦労のくの字も見当たらないお優しい難易度に感じられていた。


「カナリア」

「はふ、な、何?」

「俺達は下を目指すぞ」

「え?」

「ここじゃ稼ぎが悪い。もっと危険を冒して成果を求める」

「な、え、ちょ……!」


 カナリアが抗議の声をあげる間もなく、シンヤに腕を掴まれ無理矢理立たされる。


「お前の力が必要なんだ。協力しろ」

「!?」


 さらには不意打ちで顔を寄せられ真っ直ぐに見つめられてしまい、カナリアは思わず視線を逸らしてしまった。


「さ、触るな!」

「っと」


 掴まれた腕も払って、カナリアは心を落ち着かせる。

 絶対に許すことの出来ない相手のはずなのに、相手の調子に乗せられてどうにも気持ちがまとまらない。

 間違いなく悪い奴なのに、自分は恩義や期待にも似た感情を抱いてしまっている。


「わ、私。こんなところで絶対に死にたくない……!」

「当然だ。こんなところでお前を失ってたまるか。もったいない」

「うっ、うううーー!!」


 苦し紛れに言った言葉に思わぬ反撃を受け、カナリアは真っ赤になりながら地団駄を踏んだ。


「何やってる。付いてこい」

「わ、分かってるわよ! ううー!」


 ここ数年何度も何度も言われてきた忌むべき言葉に、しかし今のカナリアは幾分素直に従うのだった。

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