繁栄の帝都と白磁の王宮
「聞きたいことは、たくさんあるんですけど、一番聞きたいのは、イヴァン帝の話。俺は、皇帝について、よく知らないので。何か知ってることはありますか?」
「イヴァン陛下、ですか。ごめんなさい、私も数えるほどしか会ったことがないから。あまりたくさんの情報は持ってないんです。」
それでもいい。なにせ光は、数えるも何も、まず会ったことがないのだから。だから、とにかく、イヴァンという人物について、より多くのことを知りたかった。この際なので、敬語云々は忘れて情報を集めようと思った。そちらの方が、彼女も話し易いのだろう。
「でも、そうですね。私が初めてお会いしたときは、……えぇ、戴冠の翌々日だったのですが、とても荘厳というか、立派な方だと思いました。普通の人とは、何か違って。……とてもではないですが、ずっと見ていることなどできませんでした。畏れ多いことだと思ったので。」
荘厳、立派、直視できない、と。光は、とてつもなく偉大な皇帝、イヴァンを頭の中で思い描いた。
その後も、彼女から、様々なことを聞いた。光に足りないのは、ワルハラの情報であったため、イーリスの言葉は、とても助けになった。それによれば、イヴァンは緋色の髪と、緋色の目を持ち、まるで立ち上がった火柱のような印象を与えると。尊敬と、それによる誇張を含んでいるとしても、光の中でできたイヴァンのイメージは、人とは思えない、むしろ神に近いようなものになった。なるほど、直視できない訳だ。
「でも、それだけじゃないですよ。とっても優しくて、素敵な方ですよ。私のような身分の者も、気にかけてくださって。」
それならば聖人か。正に聖人君子といったところだ。言い換えるなら、光の会ったことのない人種だ。イヴァンのことを知りたかったのだが、かえって分からなくなった。
「……なんか、ありがとう。いろいろ教えてくれて。」
「は、はい。私は、力になれたでしょうか。」
イーリスは、躊躇いがちに言った。光がもちろんだと頷くと、よかった、とニッコリと笑った。
機関車の旅は続く。車窓には、相変わらず白い世界が。ただ、家の密度が上がったことのみ、目的地が近いことを教えてくれる。到着が近いのは、車内がにわかにあわただしくなったことからも伺える。
「おい、起きているか。もうすぐ着くのだが、荷物をまとめておいて……、と、なんだ、もう準備できていたのか。」
ドアを開け、矢継ぎ早に告げたヨハンは、すぐ側の大きな鞄と、小綺麗になった部屋に気付いた。
「まぁ、よい。列車を降りたら、すぐ馬車に乗り換える。それだけ言っておくのだが。」
それだけ言ったヨハンは、またすぐにドアを閉め、行ってしまった。まったく、忙しい人である。
列車が、ゆっくりと速度を下げ、やがて停車した。ぞろぞろと降りていく人に紛れて、光も列車を降りる。一行は、ワルハラ帝国の首都、ゲレインへ着いた。いろいろな人が、思い思いの方向へ歩く中、雑踏をかき分けながら進むと、列車で会話を交わした人が集まっているところを見つけた。先ほどのヨハンの話を踏まえるならば、馬車を待っているのだろう。馬車の目的地は恐らく、街の中心にそびえる巨大な城だ。
「光よ、これより王城へ向かうのだが、……心の準備は、できているのか?」
心の準備も何も、今から会うのが決まっているのだから、仕方がない。光は、曖昧に頷くのみだった。ヨハンは、それを答えととると、ならば、馬車が到着し次第、すぐに行くぞ。と言った。
「兄さんたちー、遅れてすみませぇーん。」
大通りを進んできた馬車の上の御者が、声を張り上げる。白髪の青年だ、ということは。
「エゴールか。すまんな、ここまで出向いてもらってしまって。」
やはり、青年は、ヨハンの弟の一人、エゴール・シモーニだった。彼は、王宮付の御者である。一同は、二代の馬車に分乗した。光は、ヨハンやアヒムと同じ馬車に乗り込んだ。
「あぁー、それでは皆さま方、しっかり掴まっていてくださいね。皇帝陛下が待っておりますので、急ぎますよぉ!」
エゴールの鞭によって、馬車はたちまち弾丸のようになって大通りを遡上する。後ろから悲鳴も聞こえたが、気にとめない。もし、口を開いたら、舌を噛むだろう。そんな中でも、上を向きながらでも喋り続ける者はいる。
「……そうだ。エゴール、もう少し速くはならんか。」
「兄さん、無理言わんで。これでも最大限なんだよ。皇帝陛下を前に、僕が出し惜しみする訳ないじゃん。」
「そうか……。陛下は、もしやお怒りか?」
「いや、そうでもないよ。むしろ心待ちに、楽しみに待っているって感じかな。」
ヨハンとエゴールの兄弟は、この状態に慣れているのか、尚も会話を続ける。ちなみに、アヒムは青ざめた顔で下を向いている。恐らく、海の男は、陸でスピードを出すことには慣れていないのだろう。
「あぁあ、着いたぁ。」
倒れるように、というよりほぼ倒れ込みながら下車するアヒム、それを踏まないように降りた光と、それをわざと踏みつけて降りたヨハンの顔を見回してエゴールは言った。
「えぇ、王宮ですよ。光さん。」
光は、それに促されて前方を見る。目の前には、遠目に見えた白い壁の城、王宮が堂々と建っている。白い壁に青い屋根、尖塔のコントラストが素晴らしいのだが、何より光の度肝を抜いたのは、その大きさだった。
「……広い、っていうか、広すぎるだろ。俺ん家いくつ分だよ。」
驚いて、それしか言えなかった。