凍る帝国
「寒っ!?」
今、思ったことを、口に出してみる。海を隔てた反対側は、こんなにも寒かったのか、と、光は驚いた。
「当たり前だろ。ワルハラ帝国は別名、『最北の帝国』。特にこの地域より北は、一年の半分は雪に覆われてる。極寒だよ、今からの季節、この中に入ったら、多分出てこれないな。」
アヒムがそう解説する。遠目に見えている森にも、出てこれなくなった人、がいると思うと、寒気がする。霙によるものではない。もっと質の悪いものだ。氷の塊を背中に差し入れられた、なんてものではない。言うなれば、抜き身の刀を差し込まれたようなものだった。
少し濡れた道を辿って、一行は、駅へと着いた。ここから、二日をかけて、ワルハラ帝国の首都へと向かう。電車は途中では止まらない。食事は、この中で食べるらしい。装飾の豪華な、気品あるデザインの客車だった。王室の専用列車であることは、客車の横の文字から読み取れた。
「ふぅ、やっと落ち着いたのだが。」
煙草に火をつけたヨハンが呟く。アヒムは、その様子を見て、やれやれ、という顔をした。
「なぁ兄貴、フーシェ大臣に報告しなくていいのか?目的は達成したんだろ、一応情報を通しといた方が……。」
ヨハンは、ハッとした顔になった。
「あ、まずいな。……今、大臣はどこにいるのだ。」
「前から二番目の車両だったと思うぜ、確か。」
それを聞くやいなや、ヨハンはガタッと席を立つと、いそいそと光とアヒムの乗った車両をあとにした。
「質問なんですが、その、どうやって俺を見つけたんですか?俺、特に目立ったことしてないし、だいたい、海隔てたら、そんなに情報なんて伝わらないだろうし。」
光は、思い切って、疑問をアヒムにぶつけてみた。アヒムは、そうか。と言うと、光を見出だしたからくりを明かした。
「それも、執事長の『能力』ってやつさ。あの人の能力は、ま、言ってみれば千里眼なんだが、それでもって世界の至るところを監視……、もとい、観察してるのさ。」
つまるところ、光は、その執事長に見つかったのだ。能力者が希有な存在であるのだから、その作業は、実に途方もないことである。或いは、まったく偶然に見つかっただけなのだから、勘が良ければ楽なことだとも言えなくもないが。
「そう、それで、今の皇帝のイヴァン陛下が、その能力者を連れてくるよう、兄貴に言ったって訳だ。聞いたと思うが、兄貴、捜査の監督もやってるから。」
「でも、俺、能力なんて使ったことありませんよ。第一、使えるかも分からないし。そんなやつ、連れてくだけ無駄じゃないですか。……そりゃ、俺に利があるのはいいことだけど、なんか上手くいき過ぎな気がして。」
その言葉に、アヒムは決まり悪そうに首肯した。
「いや、まったく。でも、言い方は悪いが、皇帝は、能力者ならいいって感じだから。能力が開花してるなら、すぐにでも登用して国家としての戦力にする。もし、開花していなくても、他国に引き抜かれるよりかは、自国で育てようとしている。ようは、花なら、咲いてようが、萎んでようが、種だろうが、なんなら枯れててもいいって訳だ。」
アヒムの例えに、光はぞっとした。種ならば、まだ分かる。しかし、『枯れた』能力者をも集めるとは、どういうことか。いや、言葉通りの意味ならば……。
いやな結論にたどり着きそうになったところに、ヨハンが、一人の男を連れて戻ってきた。
「この少年がそうなのかね、ヨハン君。」
「はい。大臣。」
先ほどの話の中で出てきた大臣とは、この男のことなのだろう。深い藍色の髪を撫で付けた、壮年の男。ワルハラ帝国軍需大臣、エルヴェ・フーシェその人である。エルヴェは、小さな目でぎろりと睨んできた。
「なるほど。……おい、お前、名前はなんという。」
低い、地鳴りのような唸り声で、エルヴェは尋ねた。
「あ、高橋光、と申します。」
おずおずと、光は答える。エルヴェは、ふむ。とだけ言って、また、もとの車両に帰っていった。それを見送ったヨハンは困ったように薄く笑った。
「……すまんな。普段から、あぁやって無愛想なのだが、まして交渉が上手くいかなくてはな。」
「いや、別に……。あの、彼はなんでこの列車に?」
気まずい雰囲気を察した光は、無理矢理話題を変えようとした。答えたのは、アヒムだった。
「大臣は、最新の重砲の設計図を手に入れる交渉をしてたんだが、どうも上手くいかなかったようでね。それで、いつもより機嫌が悪いのさ。ま、俺が知ったことじゃないけど。」
重砲……。
光は、イヴァンという男が、何か企んでいる気がしてならなかった。重砲、そして能力者。重砲はもちろんのこと、能力者も、大きな力を持つ。イヴァンは、兵器、能力者を集めて、一体何をしようとしているのだろうか。想像できない訳ではない。むしろ察するには十分すぎる材料が集まってしまっているのだが、その結論を認めるのは難しかった。
車窓の景色は、まったく変わり生えない。白、白、白、たまに過ぎていくのが、石煉瓦造りの家だ。そしてまた、白。単調だな。と自らの客室で考える。あの家の中の人々は、どんな気持ちでこの吹雪の中、生活しているのだろう。恐らくは、単調とも考えずに、粛々と生活を営んでいるのだろうが。しかしそれは、あの家で長い間暮らすからこそ。光は、自分があの中にいたら、三日もたないだろうと思った。
「失礼します。」
ノックの後、客室のドア越しに声がした。光の知る声ではない、女性の声だった。光が返事をすると、ドアが開いた。
「高橋光様、でございますね。エルヴェ様から仰せつかって、参りました。何か、お困りのことはありませんか?」
それは、メイドの声だった。今の今まで気付かなかったが、この車両には、メイドも乗っていたようだ。エルヴェの命でここに来たということは、なるほど、エルヴェの気遣い、ということか。何かしら飲み物を、とも思ったが、なんだか悪いことのように思えて、とりあえず、ドアを閉めて部屋に入るよう、言った。
「……あ、何か、ご用はありますか?」
部屋に入り、椅子に腰掛けるように言われ、そうしたらば、あとはだんまり。沈黙に耐えられなくなったメイドが、たまらず声を上げる。
「あ、いや、特にありませんけど。……ただ、話し相手になって欲しい、ですかね。暇なので。」
メイドは、赤くなった。
「あの、名前は、なんていうんですか。」
「は、はい。イーリスと申します。……エルヴェ様に仕えている、メイドでございます。」
メイドのイーリスは、慣れない主人以外の人間とのやりとりに、少し困惑しているようだった。




