結節点
アトラスとジェームは、それを、呆気にとられて見ている。術者の煙が、自分たちの歯が立たなかった煙が、簡単に払われたのだから。しかし、それには仕掛けがあった。
オリバーの手引きで、捕らわれの身であった二人は、王宮の結界の中に戻ることができた。そこで体力を回復したジェームは、何故オリバーに煙が払えたのかを聞いてみた。
「貴方、どうやってあの煙を。魔力結晶の剣を振るったところで、すぐに傷は埋まってしまうはずだわ。」
ジェームの疑問に、オリバーは笑顔で、その太い指を立てて答えた。
「それは簡単。術者の野郎、ヒカルとアテナが結界から出てきたとたん、王都中の煙をそっちに向けたんだ。当然、こっちの壁は薄くなるし、中にいる奴らは力をどんどん失っていくからそれに気づかない。」
朗々と述べる彼であったが、その内容は全て、ヨハンの受け売りであった。
つまりは、こういうことなのである。術者は、皇帝の作戦を予想し、その対策を行っていたのだ。それはすなわち、結界の強化を行う大魔導師を使い、調査本部の二人を渡すことを条件として取引を行うこと。大魔導師のように強力な魔法使いでさえも破ることができない壁ならば、皇帝としても迂闊に手出しはできない。
そして、術者は考えた。皇帝の果断な性格ならば、捕らわれたジェームを見捨てて、新たな作戦を立てようとするのではないか。そうすれば、煙の中の人物は棚上げになる。━━手出しされないところの守りを厚くしたところで意味がない。故に、術者は壁を薄くする代わりに、皇帝の前に分身を出現させたのである。交渉によって、自らの望むものを手に入れるために。
だがその作戦は、参謀本部の暗闘により、半ばまで進んだところで中止された。術者は思わぬ展開に驚きながらも、これを好機と捉えたのだ。━━最も血を流さない方法で、調査本部の二人を手にする絶好の機会であると。
『ヨハンさんは、術者が流血を望んでいないと?』
白髪の参謀の言を聞いていた光は、疑うような口調で問うた。ヨハンは、あくまでも推測に過ぎないのだが、と前置きして応じる。
「いいか、術者が王宮内に侵入した時点で、金の大魔導師、アルジェンタ・カルムの、結界を司る能力は術者の手に渡っていたことは、オリバーからの報告で分かった。……ジェーム・シーカを捕らえた以上、結界の中のヒカルとアテナを手に入れることは、多少の犠牲に目を瞑れば、できるはずなのだが。」
『それをしなかったってことは、つまり、術者は私たち二人だけを狙っていて……、それ以上を望んでいないと……?』
そうすれば、術者の目的が一つに定められる。皇国の転覆や、政体の変革を要求するのではないかという予想は、外れるということである。
『そのために、そのためだけにこんな事件を……?』
光の見上げる先には、津波のように迫る煙と、それを打ち消す万雷がある。王都を混乱に落とし入れた事件の動機が、自分たちにあったとは。皇帝だけでなく、術者もまた、自分たちの力を求めている、目覚めてすらいない能力を求めて。
「……。」
心が痛い、生来、そのような感情的な気分を抱いたことがないヨハンではあったが、まだ成人の年齢にも至らぬ少年少女にそのような過度の期待を持つことは酷なように思われた。そして、皆を助けるためとはいえ、それを利用している自分に嫌悪感さえ抱いたのだった。
結界から遠ざかる煙の大群を見ながら、皇帝は悔し気に唇を噛みしめた。もうそろそろ、自らの能力の及ぶ範囲から術者が出て行ってしまう。そうすれば、自分から距離を隔てた二人の玉を、守ることができない。せめてアルジェンタさえいれば、と皇帝は思った。城下に直接行くことができれば、術者と本気で相手をできる。だが、彼女の姿は見えない。先程、ジェームを助けようとしていた彼女の進言を取り下げてから、姿を消してしまった。これで、城下へ行く手段は、ほぼ実現不可能に思われる、たった一つに限られてしまった。
「陛下、城下へ行きたいのでしょう?」
「…………ふっ、当たり前だよ。」
いや、心のどこかで気づいていたのかもしれない、その生を保ったまま再び目の前に現れたジェームに、イヴァンは淀みなく応える。その様子を見る人々は、その鋭い勘に喫驚したのであった。
「なら、私たちの作戦に、協力してくれないかしら。」
ジェームの提案に、イヴァンは片眉を上げた。
「……もちろん。目指すところは、どちらとも同じなのだろうからね。」
皇帝が城下へと繰り出すという報告は、オリバーによってすぐに王宮の南東にいるヨハンたちに伝えられた。
「おい、もう戻ってこい。皇帝が本腰を入れたぞ。」
通信用の鉱石に呼びかけるヨハン、しかし、その応答はなかなか返ってこない。不穏な気配を感じたヨハンは、傍らのアルジェンタに問うた。
「……おい、おかしくないか?」
「あぁ、皇帝がもたもたしてるから。煙がだんだん回ってきてるんだ。」
不満気な顔で口にするアルジェンタだが、より一層の注意を払って、二人にマナを届けている。もう二度と手離したくない、命綱を途切れさせてはいけないのだという決意によって、マナの流れは複雑に折れ曲がりながらも、確実に二人に届いている。
しかし、術者はそれすらも見越しているかのように、アルジェンタの妨害を始めた。
「……っ、まずいぞ、またかよっ!!」
先程と同じように出現する煙の壁が、マナの流れの枝分かれの根元に出現する。片端からマナが吸いとられていくのを見、アルジェンタは思わずマナを操る手を止める。
「…………おい、手を止めるな!!」
「分かってるよ、できないくせに偉そうに言わないでくれないか!?」
緊迫とした雰囲気に、王宮南東の一団の不安の色は一層濃くなっていった。




