運命との邂逅
「は、失踪?なんのことだよ。」
光が苦笑いで応える。しかし、その声から、明らかな動揺を見てとったヨハンは、紅茶を啜りながら続ける。
「たしかこの地域は、十年前に大規模な集団失踪事件が起きた場所。その被害者の多くが、二十歳から四十歳位までの男女であったという。……もしかしたら、お前もそのせいで両親を失い、孤児になったのではと思ったのだ。まぁ、まったくの私の憶測ではあるのだが。」
そう、口で言いつつも、ヨハンはある程度、この考えに自信を持っていた。この地域は、老人と子供しかいない。そして、この少年は孤児。加えて失踪事件に巻き込まれるのは、現役世代の人間だけである。それらの事実と、失踪を結びつけるのは、自然なことだった。
「……そうだよ。父さんも母さんも、十年前にいなくなった。それからは、知り合いの爺さんに育てられた。……もう、それしかないんだよ、俺には。爺さんを助けて、いつか両親が帰ってくるまで、この家を守るのが、俺の生きる意味なんだ。」
ヨハンは、立派なものだ、と感心した。だが、だからといって、皇帝の命令を、無下にする訳にはいかない。心苦しいが、ヨハンは、失踪、という事実を、利用すると決めた。幸い、人の弱い部分を徹底して突く行為は、彼の得意とするところだった。
「お前が知っているかどうかは分からないのだが、実は、ワルハラ帝国でも失踪事件が起きてな。」
「……は?」
予想外の言葉に、光は、咄嗟に二の句が継げなくなった。この軍人の故郷の国でも失踪事件が起きた、もしかしたら、このヨハンという男の家族も被害を受けたのかもしれないと、言葉に詰まったのだ。
「つい数ヶ月前なのだが、今の皇帝、イヴァン帝の両親、つまり、当時の皇帝と皇后、王族を多数含む、大規模な集団失踪がワルハラ帝国の諸都市で起きた。この失踪事件と、この国で起きた集団失踪、共通項の多さから判断しても、何らかのつながりがあると考えるのが妥当なのだが。」
「……で、俺のその話をして、どうしろと。」
ヨハンは、その反応を待っていた、と言わんばかりの、会心の笑みを漏らした。
「ふふ、私は、実はその失踪事件の調査も担当していてね。様々な情報を持っている。だが、この国の調査はまだ行っていない。つまり、私の持っているものと、お前の持っているものは、互いに補い合うことができる、という訳だ。もし、お前がこちらに来るのだったら、失踪の謎の核心に、一歩近づくかもしれぬぞ。」
光は、ヨハンの言葉を噛みしめ、吟味し、熟考した。自分の今まで貫いてきた信念と、この軍人の言葉の重さを量った。そして、彼は、こう答えた。
「確かに、俺は、失踪の謎を解きたいし、父さん、母さんにももう一度会いたい。でも、俺にだって、今の暮らしと、家族がいる。……行くとしたら、その家族、親代わりの爺さんが了解してくれたら、だ。」
ヨハンは、そうか、とだけ言うと、再びカップを傾けた。
光は、その翁の家に向かった。戸を叩くと、中から、どうぞ。としゃがれた声がした。
「じっちゃん、今日は話したいことがあって来たんだけど。」
じっちゃんと呼ばれた翁は、何が始まるのだろう、と興味深げに光を見た。相眸は大きく開き、口を真一文字に結んだ。今までに見たこともないような表情に光はたじろいだが、やはり伝えるべきことを伝えねば、と思い、口を再び開いた。
「じっちゃんは、俺の父さんと母さんが失踪事件に巻き込まれたこと、知ってるだろ?」
翁は、昔のことを懐かしむように、昔に起きた出来事を思い出すように、目を細めて、首を縦に振った。
「……ワルハラ帝国って分かる?そこでも失踪事件があったらしくて。俺、ワルハラに渡って、事件を調べて、父さんと母さんがどうなったのか、確かめたいんだ。」
翁は、ただただ黙って聞いていたが、おもむろに口を開いた。
「いいんじゃないか。行っても。」
「……え?」
光は驚いた。目の前の翁が、ほとんど抵抗なく自分の渡航を了承したからである。てっきり、反対されるだろうと思っていた光は、戸惑いながらも、とりあえず、ありがとう、とだけ言った。
「でも、なんで?じっちゃん、外国嫌いだったでしょ?」
翁は、困ったように頭を掻いた。
「確かに、いけすかない奴らだとは思っている。じゃが、それと、お前さんの考えは別じゃろうて。お前さんが行きたい言うんじゃったらば、行かせてやるのが親の役目じゃろ。」
そう言うと翁は、煙管を取り出した。煙管を吸うのは、一人になりたい気持ちの合図だったので、光は、一言、今までありがとうございました。とだけ言うと、翁の家を後にした。
「その様子だと、了承はとれた様なのだが。」
光の家の前では、ヨハンが、脱いだコートを着て立っていた。光は、ただ、首を縦に振った。
その後、家の中にある貴重なものを全て持ち、と言っても、あまり多くある訳ではないが、そして、家の鍵をかけた。ありがたいことに、件の翁が、家の管理をしてくれるとのことだった。光は、愛情、或いは人情を感じ、そして、それから離れることに一抹の不安を抱いたのだった。
ヨハンが手配したという馬車に乗って、光は港へ向かった。そこには、今日、ワルハラ帝国へ向かう船が停泊していた。これに乗っていくのがよいだろう。とヨハンは呟いた。
「んあ?おぉ、兄さんじゃないかよ。おぉーい、兄さーん!」
船上で、軍服姿の男が手を振っている。白い髪と、黒い目。ヨハンの弟なのだろう、と光は推測した。恐らく、間違ってはいないはずだ。
「まったく、落ち着きのない……。いい加減、しっかりすべきだと思うのだが。」
鬱陶しい。と言わんばかりの目付きで、船上の人物を見るヨハン。光は、その光景を見ながら、兄弟とはこんなものなのか、と思考していた。兄弟のいない光にとって、その存在は未知のだった。なにせ、同じ家の中にはおろか、家の近所にも、同年代の子供などいないのだから。
「へぇ、こいつが能力者ってやつか。なんか、普通っぽくね?」
「……ねぇ、ヨハンさん。俺って普通な見た目なのか……。もしかして、火吹き芸とかできた方がよかったのか?」
ヨハンの弟、アヒム・シモーニの発言に、光は困惑した。そもそも、光は、能力者、能力とはなんなのか、ほとんど知らない。なんだか、とてつもない力を秘めていると聞いているが、それがどういう力で、どのように使うのか、など、まったく分からなかった。
「何を言っているのか、さっぱり分からないのだが。火を操るのは、能力ではなくて、魔術。もっとも、能力も、魔法の延長上にあるから、本質はなんら変わらないのだが。」
能力、魔術、光には、分からないことばかりだった。もともと、光の国では、魔術や、魔法使いなど、そういった類いのものは、異端として差別、迫害されてきた歴史があるため、魔術についてあまり知られることがなかったのだ。
「そんじゃぁさ。能力の源が、輝石っていう、マナの塊だってことは知ってる?」
これは、光も知識として持っていた。魔法使いになれるほどに魔力のある限られた人間。そして、それ以上の魔力を有する、輝石を備えた人間。その数は百万人に一人、いるかいないかである。
「詳しく話すと長くなるのだが、マナというのは、本来、アストラル体としてしか存在し得ないエネルギーが、集合し、具現化したものだ。もっとも、その仕組みは一切分かっていないのだが。そして、マナが固体に状態変化し、さらにそこから変化して、特殊な能力を備えるようになったものが、輝石なのだが。変化の内容も、明らかにはなっていない。我々のもっとも近くにあって、もっとも謎の多いものなのだ。」
ヨハンの話は、難解で、理解するのに時間がかかったが、要約するとつまり、エネルギーがマナになり、マナが固まって輝石になる、ということらしい。
「あぁ、勘違いするなよ。輝石がマナの集合だからって、輝石持ちが誰でも魔法使いになれる訳じゃない。」
アヒムが言う。魔法も、能力も、マナやエネルギーを使うのだが、能力者の中には、魔法を使えない者もいるらしい。ヨハン曰く、推測の域を出ないが、輝石に魔法を使うだけの余裕があるかどうかではないか。とのことだった。
その後も、光は、ヨハンに様々な質問をぶつけた。能力や魔法のことはもちろん、皇帝、イヴァンのことや、ワルハラでの暮らしの話をしたが、ヨハンはそれら一つ一つに丁寧に答えた。ただ、それらが本当のことなのかは分からなかった。なにせこのヨハンという男は、皇帝の勅命でやってきたのだから、明らかに皇帝側の人間である。客観的な意見を聞きたかったのだ。
出航から、一日ほど経った。誰かに揺らされる感覚で、目が覚めた。光を揺らしていたのは、アヒムだった。
「いつまで寝てんだ、もう着くぞ。早く起きねぇと、次に陸に着くのは一ヶ月後だぜ。」
光は慌てて飛び起きた。ベッドから出ると、刺すような寒気が襲いかかってくる。船室の外は、雪混じりの雨が降る広大な台地。
「ようこそ、ワルハラ帝国へ。」
アヒムが、得意気に言った。