黒い指
「…………。」
アテナは、先程の光との会話が気にかかって仕方がなかった。何故彼は突然、魔法のことを聞いたのだろう、しかも、自分の記憶に関連することならまだしも、攻撃とは一体どういうことか。しかし、私の問いには答えてくれないだろうな、とアテナは光を見ながら思った。そして恐らく皇帝も、━━光が口にしかけて止めた皇帝もまた、アテナが知らないことに絡んでいながら、それを秘匿せんとしているのであろう。
アテナは、それを恩知らずなことかとは思いながらも、自分を保護したという皇帝に対する猜疑の念を、膨らませていったのだった。
「うーん、なんか変な感じだな。」
そう、アルジェンタがこぼす。魔術師団の面々は、煙を相手としつつ、それを誘導するという重要な任務がある。しかし、その煙は、魔術師たちの攻撃にはまるでかまうこともなく、ただゆっくりと王宮に向かって進んでいく。
煙の方から王宮にいくのならば、攻撃を仕掛けるまでもない。しかし、少しでも相手の力を削いでおきたい魔術師たちは、作戦を予定通りに行う。
『……全然私たちに興味がないみたいね、魔力切れを狙っているのかしら。』
通りの反対側にいるジェームの言葉に、アルジェンタは唸った。確かにマナのない今の王都では、二人を含めた魔術師たちは、マナの鉱石がなければ魔法を使うことができない。それどころか、体内のマナの循環に異常をきたし、生命に関わる事態となるかもしれない。だが、そこは魔法の専門家であるから、引き際は心得ている。さらに、王宮の貯蔵庫に行けば、鉱石はふんだんにあるから、そもそも魔力切れになる心配はほぼない。ならば、あれ程に周到な術者が、それを考慮に入れないということが、果たしてあるのだろうか。アルジェンタは、そこに悩んでいたのだ。
「いや、案外、本当に意に介していないのかもしれない。効いていないんじゃないんだろうけどね。」
事実として、浄化は絶え間なく行われている。効いていないように見えるのは、術者が次々に新手を繰り出してきているからである。無論、煙に限りはあるだろうが、それを全てマナに還す前に、煙と術者は王宮に着いてしまうだろう。そして、下手を打ったらば、結界を破られ、民衆を危険に晒す結果となるだろう。
『……厄介だわね、作戦を変えるべき?』
「…………。」
アルジェンタには、そんなことは分からなかった。ただどうしようもなく、屋根の間から見える煙の死の進軍を黙って見ているしかなかった。
結果の内側の民衆の中にも、煙を視認できる者はいる。その人々は、遥かに見える煙におののいた。
「……魔術師団の作戦は、本当に上手くいくのか。」
「…………馬鹿、滅多なことを言わないで頂戴な。」
「でも、煙は全然晴れないわよ……。」
ざわめきは、煙の接近に比例するように大きくなっていく。そして、その不安は、次第に皇帝や帝国への不信感へと変わっていった。
(……陛下。)
周囲の人々のよくない雰囲気をじりじりと感じ、カスパーは皇帝を仰ぎ見た。ここに皇帝がいれば、悪心を抱いた者が皇帝に危害を与えないとも限らない。しかし、皇帝がここを離れれば、作戦自体が破綻する。故に、皇帝はここを動くことはできない。
(なんとしても守らねばいけない……。)
皇帝は微動だにせず、煙の動静を見守っている。彼に何が見えているのかは知らないが、自分たちには見えない遠き地平を眺めているのだろう。ならば自分は、その足場が崩れぬよう、支えねばならない。カスパーは、自分の使命を改めて認識した。
「……小賢しいな、魔術師団の。あの大槌を振らぬか。さては私を一度倒したと傲っているな?」
ぼそりと、術者がいう。実のところ、魔術師団の攻撃はほとんど効果がない。彼の能力は『儡霊』。死人の意識を取り出して、霊として使役する能力である。死人の数は当たり前ではあるが、魔術師団の人数を遥かに超えている。故に、小出しの攻撃など痛くも痒くもない。
だが、強力な魔法を使うことのできる大魔導師の存在は、今はともかくとして、後々目障りになる可能性がある。それに、目的の達成のためには、二人の大魔導師の能力が不可欠である。術者は、ある程度の目星をつけると呪文を唱えた。
移動しつつ、遮蔽物の影から攻撃を放っていたジェームは、一際強い魔力の反応が突然近づいてきたことに、思わず顔が強張った。
「……ッ、待避っ!!」
ジェームが後方の部下に叫ぶ。しかし、それより先に地面から生え出てきた黒い影に脚を掴まれ、撤退は叶わなかった。
「ジェーム様!!」
「……逃げなさい!!」
部下の伸ばした手は、せり上がってきた黒い煙の壁に遮られて遂に届かなかった。
「動いたぞ!!」
人々は、口々に騒ぎたてる。彼らの目線の先、王宮正面の大通りの両側に、黒く高い壁が一つずつ出現している。皇帝は、これを見、大魔導師が攻撃を仕掛け返されたのだと悟った。煙の壁の際では、何かが蠢いている。それが無数の人の腕や頭であると理解した皇帝は、その醜悪さに自らの決定さえも揺らぎかけたのだった。




