皇国と小国
ここは、世界地図の北にある大国、『ワルハラ帝国』、その中枢である王宮の中の、所謂王の間と呼ばれる部屋である。部屋の中では、二人の男が言葉を交わしていた。
「おぉ、能力者が見つかったのかい?」
感嘆の声を上げる赤毛の男。分かりやすく眉が上がり、顔が綻ぶ。その男に相対した、燕尾服を着た、恐らく執事であろう男は頷いた。
「あー、確信は持てませんが。能力が開花しているかどうかはともかくとして、対象の体内に巨大な魔力の反応を確認しました故、まず十中八九は能力者であるかと。」
紫の髪の執事が、そう答えると、赤毛の男はいかにも嬉しそうな様子で言った。
「そうかそうか!それはいい!さっそく我が国へ出迎えたいところだが……、できるかい?」
「はぁ、まぁ、できないことはないかと。」
性急に話を進めようとする赤毛の男に、いつものことながら多少戸惑いつつも、紫の髪の男が述べた。赤毛は、満足そうに腕を組んだ。それを見届け、紫の髪の男は赤毛の前を離れると、その、能力者をこの場へ連れてくるために行動を開始したのだった。
さて、紫の髪の男が訪れたのは、ワルハラ帝国参謀本部だった。ドアの内側には、軍服を着、長い白髪を後ろで結んだ、眼鏡をかけた男が、煙草を吹かしていた。
「で、なぜ私のもとに来たというのだ、執事長よ。はっきり言って、今は忙しいのだが。」
「ですが、ヨハネス伯、あの国と関わりのある人間は、外務省の人間か、そうでなければ、観戦武官としてあの国を訪れていた貴方しかいないのですよ。……それにこれは、皇帝陛下の勅命ですから。忙しくてもはっきり言って関係ありません。」
紫の髪の執事、もとい執事長の発言を最後まで聞いた白髪の男、ヨハネス伯は、頭を抱えた。この場合、身振りだけでなく、頭痛を伴うリアルなものであったが。逆らえ得ない力を前に、遂にヨハネス伯は折れた。彼は執事長が部屋を去るとすぐに、その日の内に溜まった仕事を片付けると、いそいそと支度を始めたのだった。
ヨハネスが訪れたのは、彼の住むワルハラの東にある、『倭国』と呼ばれる小さな島国である。ここでは、大陸の、つまりワルハラなどの影響を受けながらも、独自の文化が育まれていた。この地を訪れるのは、既に二回目であるため、ヨハネスはまず、前回知り合った同国の軍人のもとへ向かった。そこで一泊した後に、ヨハネスは件の人探しを始めたのだった。
「まったく、人使いが荒すぎるのだが。私とて、せねばならぬことは、まだたくさん残っておるというのに。」
馬車に揺られながら、ヨハネスは一人ごつ。気が滅入ってしまわぬように、胸ポケットから煙草を取り出したはよいが、横に座っていた女児とその母親の視線が痛くなったため、煙草のケースをしまい直した。
「時に、そこのお二人。黒髪で中肉中背の少年をこの近くで見たことはないか?その少年を探しているのだが……。」
「……兵隊さん、そんな情報だけで人探しかい?」
ヨハネスは苦笑した。この母親の言う通り、やはり無理があり過ぎる。いや、無理なことだとは、自分でも重々承知しているのではあるのだが、なにせ勅命であるから、やらない訳にはいかないのだ。
「そんな子、たくさんいるだろうさ。……あんたも大変だねぇ。」
まぁ、そうだろうな。とヨハネスは思った。この街で、執事長が得た情報を頼りに少年を探している。今まで、適合する特徴を持った人物に、少なくとも十人ほどは話しかけたが、いずれも不発だった。少年の顔を知っている執事長が王宮を離れることができたならば、どれだけ楽だろうか、とも思案した。
馬車から降りて、街の東での聞き込みを再開。しかしまぁ、これだけ探してもいないなら、『いなかった』と報告書を書くだけなのだが。とも考えつつ。
しかし、それは唐突にやってきた。
ヨハネスが、野菜の販売場、所謂八百屋にきたときのことである。客足がまばらになったところを見計らい、ヨハネスは初老の店主に話しかけた。
「……という訳なのだが、知らぬか?」
ざっと状況を説明したヨハネスが改めて尋ねる。八百屋の主人は、頭を掻きつつ、答えた。
「あぁ、ここらにゃ年寄りしかおらんから、そんな子供なんか、一人しかおらん。……光というんじゃが。」
「光、ですか。」
「そうじゃ。孤児で、一人暮らしをしておるんじゃがなぁ。」
ヨハネスは、だからなんだ、と思った。その子供がどんな人物でも、探している人と違うならば意味がなかった。
「それで、その光とやらはどこにいるのですか?」
八百屋の主人は、道の反対を指差した。
「ほら、あの家だよ。あそこに住んでる。」
ヨハネスは、そうか。とだけ言うと、踵を返して歩き始めた。しかしすぐに、八百屋の主人に呼びとめられた。振り向くと、主人は腰に手を当てて、何やら不服そうな顔であった。
「おーい、異国の軍人さんよぉ。教えてやったんだから、情報料、何か買ってってくんねぇかねぇ。」
面倒なことだとぽつりと呟いた。間違いなく主人に聞こえただろうが、そんなことに頓着したり、ましてや非礼を咎められようが謝る男ではなかった。ヨハネスは林檎を手に取ると、無造作に取り出した金貨を、叩きつけるように机に置き、そのまま店をあとにした。
道を横断したヨハネスは、主人が示した家のドアをノックする。しばらく待ってからドアがゆっくりと開いた。そこには、黒髪で、中肉中背の少年が立っていた。
その少年は明らかに今までの者たちとは違う。体が纏う、魔力、マナの質が違った。ヨハネスは、魔法やら何やらの知識は浅いのだが、それでも少年には、常人とは違うものを感じた。
(まさか、こいつが執事長の言っていた能力者か。)
一方、少年は、突然訪ねてきて、玄関先で自分のことをじろじろ見てくる、異国の白髪の軍人をこの上なく怪しんでいた。自分より、少し背の高い男を見上げながら、光は質問した。
「あの、何か?」
躊躇いがちな声をかけられて我にかえったヨハネスは、慌てて口を開いた。
「あ、いや失礼。私は、ワルハラ帝国の参謀、ヨハネス・シモーニ、ヨハンと呼んでもらって構わないのだが。……君が高橋光君だね?」
少年、高橋光は曖昧に頷いた。急に来た見知らぬ男に、どこまで自分のことを喋ってよいか、推し量ろうとしているようでもあった。立ち話もなんだ、あれだ、と言いつつ、ヨハンは首尾よく光の家に上がり込んだ。石造りの家屋の窓からは、小高い山の上の城と宮殿が見えた。
ヨハンをテーブルに着かせた光は、とりあえず戸棚にあったお茶を淹れつつ、聞いた。
「それで、何で俺のところにあんたは来たんだよ。」
ヨハンは、目を擦りながら、皇帝の指示だったと、ここへ来るまでの過程を教えた。そんなことで?と驚かれたが、そんなことはヨハンにとって日常茶飯事だった。以前も、皇帝の無理な命令で命の危険に晒されたことがある。思い返したくもないが、思い返せばキリがないほどに。
「でも、それじゃ俺のところに来た理由がないじゃん。そんな情報だけで、なんで俺……?」
ヨハンの説明を聞いた光が口を尖らせる。そこで、ヨハンは、光から漂う魔力の話をした。疑う目付きの光の様子から、自分がどれほど力を持っているのか知らなかったのか、とヨハンは少し意外に思った。魔術、魔法の類いのものには疎いヨハンでさえ気付くほどの魔力であるからして、本人にも何らかの影響があると勝手に思い込んでいたが、どうやらそうでもないらしい。
「つまりは、だ。お前の力を皇帝陛下は欲している。最悪無理にでも連れて来いと言われたのだが。……私は、無理強いはしたくないが、目上の命令には逆らえないというディレンマを抱えているのだ。つまりは、光とやら。お前の好きにしろということだ。」
そこまで言って、ヨハンは口を閉じた。実際、こんな犯罪紛いのことを他国でやったとしたら、ヨハンもただではすまない。皇帝もどうなるか分からないので、最終的には相手に委ねるのが、彼らのやり方だった。一方の光は、いきなりのことで呆気にとられていたが、我にかえって、激しい口調で返した。
「いやいやいやいや、あり得ないでしょ!なんでんなこと押し付けるんだよ!大体いきなり押しかけてきて、無理があり過ぎるって。そんな、皇帝の力だって、国外じゃ通用しないだろ。」
ヨハンは、激しく頷いた。まったくもって、その通りである。その無理を通すよう言われたのだから、正攻法での攻略は不可能である。そう判断したヨハンは、別のカードを切ることにした。
「そうか。そうだな。……あ、話は変わるが、お前、孤児らしいな。」
その言葉に、光は大きく反応した。触れてはいけないものに触れたことを、ヨハンは確信した。そして、そこを突けば、或いは、この少年の堅牢な城のような硬い意思も、陥落させることができるだろう、と考えた。作戦参謀ならではの、人心に対する攻城戦である。
「もし良かったら、そのいきさつを聞かせてはくれまいか。」
「ハッ、答える義務はない、それも俺の自由、だろ。」
そっけなく、だが強い語調で突き放す光。ある可能性に思い至ったヨハンは、一呼吸おいて、ある言葉を口にした。
「失踪、か。」
その言葉に、光は、顔を上げた。その顔には、怯えと、怒りが、共存していた。