序曲
ヨハンはほう、と嘆息した、上手く逃げられたと、胸を撫で下ろした。だが、安心するには、まだ早かったようだった。
ヨハンが腰を降ろす石畳に亀裂が走ると、突き上げるような衝撃と共に、無数の瓦礫と、先程とは比べ物にならない程の大量の煙が噴出した。火山の噴火のように激しく吹き出す煙を視認したヨハンは、言い様もない絶望感に閉口した。
注意して聞いてみると、城下の至るところから、大量の煙が吹き出し、建物や石畳を弾き飛ばす音がしている。ここだけではない、範囲は王城の周辺の区画全体に及ぶ。それだけ大量の魔力を使い、また完全に統制している、ヨハンは、術者の能力の高さ、そして、何がなんでも皇国を滅ぼそうとする術者の執念を感じとった。
死に物狂いになって突撃してくる兵士は、ある種、強力な装備を有した兵士よりも怖い。『死を恐れない』からである。まして、これ程の、圧倒的力を持った術者が、魔力切れの問題など気にしなくなったなら、太刀打ちできるのか。
「……む?」
ヨハンは首を傾げた。今、この王城下に、マナはない。どのような方法を使ったかは知らないが、術者によって消されたからだ。ならば、術者はどこからマナを得ているのだ。能力者は、ある程度までの魔力なら、自らの持つ輝石のマナによって補えるが、あの煙は、到底一人の人間に賄える魔力の量ではない。
さらば、術者は別の、何らかの魔力供給の手段を有しているのであろう。そして、それが王宮内のマナの泉ではないのであれば、答えは一つである。
「……そうか、墓所だ!!」
ヨハンは叫んだ。王宮から放逐された術者は、煙を形作るための元となるマナを、墓所の地下の霊脈からとっていたのだ。そして、今、王宮は再び結界によって守られている、煙が地下を通り、侵入することはもうない。
「ならば簡単だ。大本の出所を叩けばよいだけの話なのだが。」
しかし、ヨハンには墓所に到達し、煙の攻撃を防ぎつつ術者を倒すということは、出来そうになかった。ヨハンは辺りを警戒しつつ、王宮を目指して歩きだした。オリバーとは、分断されてしまったときのため、互いの場所が分からないときは、王宮に集合するということを、事前に決めておいたのであった。
「おっよぉ、ヨハン。生きてたか。」
抜き身の剣を片手に、オリバーが聞く。表情は変わらないが、しかし、服は砂ぼこりで汚れていた、恐らくヨハンと同じように煙と戦い、そして勝利したのだろう。尚も飄々とした態度を崩さない彼を、ヨハンは少し頼もしく思った。
「そんなことよりな、分かったぞ。今、術者がどこにいるか。」
「……墓所か?」
オリバーが、ピタリと言い当てたので、ヨハンは驚いた。元々勘が鋭いのは知っていたが、ここまで研ぎ澄まされることもあるのかと。だが、オリバーは、なんとなくだよ。と薄く笑うだけで、その根拠については何も触れなかった。
「いや、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、どうやって術者を倒すかなのだが。」
場所が分かったとて、有効な対抗手段はない。大魔導師は、いずれも万全ではなく、皇帝の能力をもってしても、大量の煙全てを倒すことはできない。
「やはり、平押ししかないのか。」
つまり、今集められる限りの力を結集し、総力で煙に立ち向かうということである。だが、最善手が、最善の結果を招く訳ではない、大きな被害がでるということは容易に想像できた。
「おいおい、それでいいのか未来の参謀総長殿?あくどい作戦なら立てられるだろ!?」
「貴様……、無茶を言ってくれるな。……私だって、十分な兵力があって、相手がただの人ならできるさ。」
「そんなもん、おんなじだろ!?」
「おんなじな訳があるか!!」
頭が痛くなってきたことを、素振りでもって示すヨハン。これだから素人は、とため息をつく。しかし、何かが頭の片隅に引っ掛かる。
「……ん、貴様、何と言った?」
「はぁ?……おんなじだろって言ったんだよ。」
「作戦、と言ったろ!?」
オリバーは面倒くさそうに、あぁ。と答えた。というのも、ヨハンがこのような興奮を見せるのは、オリバーにとって理解の追いつかないような小難しいことを並べる、合図のようなものだったからだ。
「いい作戦がある、……地図を持ってくるぞ。」
ヨハンはにたりと笑って駆け出した。呆気にとられていたオリバーであったが、ここで何もせずただ立っているだけというのも仕方ないと思い、その後を追っていった。
「……陛下。」
カスパーが暗い口調でイヴァンに告げる。窓の外を見つめる皇帝は、沈黙で答えた。
「…………ここからでも見えておりましょう、煙が、人の形をとるようになりました……。」
それは、明らかに悪い兆候であった。マナの具現化は、力が顕然としてきていることの現れであった。煙が、所々から盛り上がっては、崩れ、路地に広がる。それは、戦場に累累と積まれていく死体のようでもあった。だが、誰もが直視することをためらうような光景に、しかし皇帝は立ち向かう意志を見せたのだった。




