糸繰り人形・自動人形
「━━━━━━。」
「…………ちょっと、何をやっているの……。」
「━━━━━━。」
「……来ないで、あなたは……、貴女は……!!」
ジェームは、防御魔法の壁を超える一撃を受け、木の葉の如く吹き飛んだ。華奢な身体が軋むのを感じながら、彼女はその苦しみを感じなかった。あり得ない状況に、痛覚が置き去りを食らったからだ。
目の前の床には赤い染み、最早どこから流れ出たものなのか、見当もつかない。身体を起こそうとして立てた腕が、中途で崩れる。骨が折れてしまったことは、一目瞭然であった。
「…………ッ!!」
やっと正常な働きを再開した感覚が、巌のようであったジェームの心を揺らす。首をもたげた恐怖に食われ、狂疾に支配されるのが先か、目の前の術者に、或いは、その手先となったアルジェンタに食われるのが先か。ジェームの目は、遠くと近くをぐるぐると見回しては、打開策を探ろうとするが、突破口となり得るものはなかった。
一方、アルジェンタの目に、感情は宿っていなかった。不必要だと切り落とされたか、術者によって抑え込まれているのか、はたまた彼女自身が進んで隠したのか、外からは判断することができなかった。だが、一つだけ言えるのは、彼女の性格からいって、それはあり得ないということだった。
今、アルジェンタは不安定かつ累卵の状態であった。身体の中を巡っているのは、あのどす黒い血のような、悪性のマナである。彼女はまた、それを用いて魔法を放ったのだ。当然、大量のマナが彼女の身体を通り抜けていった。大量の、或いは多属性の魔法の使用は、術者の身体にとって大きな負担である。許容量を越えれば、どんな悪影響があるか分からない。魔法とは、本来それらを考慮して、自らが擦り切れぬように注意しながら放つものである。
つまり、術者はアルジェンタという、絶大な力を持った魔導師を支配下に置きながら、それを使い捨てにしようとしているということである。それを理解したジェームは、術者の強大さを思い知ると共に、自らの無謀無策を悔いた。所詮はまだ幼く、経験の浅い自分の、鼻先料簡が招いた結果である。自暴自棄に陥ったジェームは、打開策を探すことを半ば諦め、破滅に手を伸ばしかけたのだった。
「来なさい、ジェーム。」
アルジェンタの無機質な、無機質な声が耳朶に触れる。指を伸ばせば、そこから煙に飲み込まれてしまうだろう。だが、もう何も考える必要はないのかもしれない。……どうせ何か策を弄しても、結局無駄骨になってしまうだろうから。
そんな自棄の考えで埋めつくされた思考の片隅に、ジェームはふと、術者の姿を見とめた。深くフードを被った、痩せて背の高い壮年の男だった。しかしてジェームは、これが新しい飼い主の姿かと、ぼんやりと思っていた。
「さぁ、来なさい。」
アルジェンタの声に、術者の声が重なる。ジェームに迷いはなくなっていた。このときのジェームの表情は、自己を放棄した、アルジェンタと同じものであっただろう。
逆にいえば、自己の放棄なくして、アルジェンタになることはできない、基本的に人間の自尊心というものは、どれだけ低かろうが、進んで人形にはなろうとしないものだ。それをかなぐり捨ててしまえば、最早それは人間ではない。それは、教唆されればその通りに動く、操り人形である。
「あ、アルジェンタ……。私は……、私っ……。」
「そうだ、ジェーム。さぁ、こっちへ、来なさい。」
互いの爪が、指が、触れ合う。そうしてジェームはマナに汚されて、意識を失って。━━今の『ジェーム』が死んで、新しい『ジェーム』が生まれる。
だが、その未来は、永遠に訪れなかった。
「……ッ、『厳岩崩落』ァ!!」
突然、ガクンと膝から崩れるアルジェンタに、近距離で土属性の魔法を放つ。ジェームの胸に下げたペンダント、土のマナの結晶が光の粒となって消え、代わりに莫大な魔力を有する光弾がアルジェンタにぶつかり、浄化が行われる。
「…………ぅ、うぅ……、ジェームぅ……。」
意識が覚醒したアルジェンタが、げほげほと激しく咳き込む。無理もない、煙に操られていた上、少々手荒な浄化を行われたのだ。再び襲いかかろうとする煙は、ジェームによって片端から弾け飛んでいく。
「起きられる?」
「なんとか……、って、うあぁ、ジェーム!!腕、ちょっ、腕が!!」
「気持は分かるけど、今は落ち着いて欲しいのだわ。」
ジェームはアルジェンタから視線を外すと、予想外の出来事に際して静かに怒りに震える術者と、両者の間に立つ小さな人影、いや、意志を持った人形を見やった。
「ありがとう、おかげで死なずにすんだのだわ。」
「いいって、いいって。これで恩は返せたかな。……あ、メリアの分は、また今度、私が責任持って直接返させるから、そのときまでお互い死なないようにね!!」
人形、ロロはそう言って、二人ににやりと、悪戯っぽく笑って見せたのだった。




