忌まわしき煙と捕らわれた小鳥
王宮内における混乱の中、人々の治療を終えた二人の大魔導師は、変異の原因を突きとめんとしていた。無論、原因は件の煙に他ならないのだが、二人はそれ以外に、何らかのきっかけがあって煙が噴出したのだと目星を付けたのだ。
「結界の外からでは、魔法の効果は現れない。ともすれば、逃げ込んだ人々の中に術者が紛れ込んでいたと考えるのが妥当なのだわ。」
「でもさ、それを誰も見抜けなかったってことは、それだけ魔力の制御がうまい、強力な術者ということになるよね。」
「当然、能力者であることは、最早確定なのだわ。恐らく、マナを固めて、悪性の煙を作り出す能力か、或いはもっと特殊なものか……。いずれにしても、情報が少なすぎるのだわ。」
アルジェンタは頷いた。彼女は、勝ちの目の見えない戦いに足を突っ込むのは、得策ではないということは心得ていたし、仮にそのような状況が不可避であるとなれば、まず自分の身を安んじようと考えていたのである。だが、傍らにいる少女の思考と、自分の考えとの間に齟齬が生じていることも分かっていた。そして、こうなると少女を放っておけないというところもまた、彼女の性格、性分であった。
「止まって。」
ジェームの声で我に返ったアルジェンタは、王宮内のマナの泉の側の角のところで立ち止まった。
「……誰かいるね。」
二人は、微弱なマナの反応を感じとったのだった。依然、相手の能力は不明なので、もちろん、油断はできない。
「地下のマナを通して、煙を操っているのかもしれないね。……どうする?」
「…………待って。」
ジェームは、僅かな違和感を感じていた。あれ程の実力を持ち、巧妙な手口で侵入した相手が、元いた場所で、わざわざばれるような真似をするのだろうか。
「……後ろっ!!」
アルジェンタの鋭い叫びにジェームは、やはりか、という心持で左に飛んで、背後から迫ってきていた煙の攻撃を避ける。煙は廊下の角まで勢いよく伸びたかと思うと、すぐに跳ね返ってきた。壁や床に反射したかのような、不規則な動きを伴って。
「貴女、術者の相手をお願いできるかしら。」
「あ、うん、いいけど。じゃあ、後援はよろしく。」
幸い、付近には普段から流れ続けている泉のマナが満ちており、二人が魔法を使うのに、不自由はなかった。
軽やかに、暗い廊下の奥へと駆けるアルジェンタ。煙を防ぐために防御魔法を使ってはいるが、それで守られるのは前面だけである。しかし、透明の半球の縁を這うようにしてアルジェンタへと迫る煙は、ジェームの放つ魔法によって次々と浄化されていく。並みの人間であれば、走るアルジェンタに当たってしまうであろう攻撃は、的確に、かつ最小限の魔力で浄化を行っていく。
「……ちょっと速すぎるのだわ。」
問題があるとすれば、活発な性質で普段から活動的なアルジェンタと、研究や読書のために部屋に籠りがちなジェームとの、運動能力の差であろうか。もちろんそのことはアルジェンタも理解していたため、調整はしていたつもりであったが、それでも少しずつ差は開いていった。加えて泉からは、煙が涌出しているようだった。自分たちの注意が泉から逸れてしまったこともあるが、術者の力が強まったことの何よりの証拠だった。
(まったく、私は後ろからの攻撃も防がなければならないというのに……。こんなときでもマイペースなのは考え物だわ。)
その思案が、判断の遅れを生んだ。
ずるりと、何か得体のしれない物が背中を這いずりまわるような感覚に、アルジェンタは恐怖した。そして、それが煙だと分かるまでに、時間はそれ程かからなかった。煙の侵入は、後援を担うジェームの身に何かが起きたことを意味していたのである。体験したことのない苦しみに、つんのめるようにして床に倒れる。
「お……、おうぅっ……、ぐふぅっ…………。」
九穴を、訳の分からぬものに犯される感覚に、アルジェンタは呻く。食い縛った口から、閉じた目から、塞いだ耳から、無遠慮に身体に入ってくる煙を前に、アルジェンタの意識は薄れていった。
(いやだ……、死に……、たく、ない…………。)
(いや……、だぁ…………。)
(死にたくぅ…………、な……。)
誰かが、倒れたアルジェンタの傍らに立つのを、ジェームは見た。
ジェームは、煙に侵されてなどいなかった。煙の奔流に捕らわれかけた彼女は、押し倒される直前に三重の防御魔法を展開し、かろうじてその身を守っていたのだ。アルジェンタだけでなく、自分まで倒れてしまえば、王宮の結界を保持できなくなる。とはいえ、仲間を見捨てるような真似をしたことは、ジェームにとり辛く感ぜられた。
そんなジェームだからこそ、アルジェンタを救おうという決意は、固くなっていった。研ぎ澄まされた思考で彼女は、術者の隙を見極めてこれを打ち倒し、アルジェンタを救うシナリオを作り上げた。しかしそれも、必ず成功するとは限らない。一か八かというところであった。
だが、そのシナリオが実行に移されることはなかった。煙の中からゆらりと現れた人影に、ジェームは目を疑った。そしてその衝撃で、彼女の思考は停滞し、脳はその機能を忘れてしまったのである。




