確信めいた動乱の予感
王宮の中には、マナの渾々と涌き出る泉のようなものがある。魔力噴出口、魔口と呼ばれるそれは各地にあるのだが、それらは一つの線上に並んでいる。これは、大地の下にあるマナが、川の流れのように、血管のように巡っているからだと考えられており、マナの吹き出し口には、その魔力を求める人が集まって街ができたといわれている。
今回は、その魔力を有効に活用しようとしたのだ。また、大魔導師の助けを借りることも考えた、人手が足りなかったことに加え、魔術に熟達している大魔導師なら、治療のペースを上げることができると判断したのだ。
「では、お願いします。」
「任せるのだわ、このくらいのことなら、もっと早く頼ってくれてもよかったのに。」
ジェームは多少不服そうな顔をしながらも、マナの泉に手を浸した。濃度の高い液体状のマナは、手に従って患者の体をくぐり抜けていく。しかし。
「……どうされましたか。」
唐突に泉から手を離したジェームに気づいたドクトルは、訝って声をかけた。ジェームは、泉を覗き込むようにした後、目を細めて言った。
「このままだと、患者の治療はできない。」
「えっ、なんですって。」
「マナの純度が落ちてる……、いや、黒い煙が混ざってしまったと言った方がいいのだわ。これを患者に流し入れたら、癒えるどころか重症化する……。」
ドクトルは頭を抱えた。未だ姿を見せない犯人の目的は、市民に対する無差別の攻撃であったというのか。それならば、なんと質の悪いことか。
「とりあえず、患者を別の場所で治療するのだわ。皆、この方たちを運んで頂戴。」
人々は、結界の中の別の場所での治療を余儀なくされた。急がなくては、黒いマナが全身に回れば手遅れになることは確実。刻一刻と迫る期限に、人々は焦燥を抱いていた。
そのために、誰も気がつかなかったのだ。皆が去った泉の前に、一人の男が佇んでいることに。
「漸く分かりました。結界の解除は、黒い煙の浄化のため、罹患者を城内に搬入したときのことだそうです。」
カスパーの報告を受けても、イヴァンの表情は曇ったままだった。彼は、前々からこうした悪い予感に囚われることが多かった。カスパーは、時期も時期であるし、さもありなんと思っていたが、しかし、イヴァンの抱く印象は、予感ではなく、一種の確信に近かった。
被害は、大きい訳ではない。迅速な避難と、日頃の警戒、煙の進み方など、様々な要素が絡んだ結果として、被害は、カスパーの報告によって想定された以上に少なかった。戦時中であることを考えても、国家の根幹を揺るがす程の衝撃はなかった。
ならば、真の計画は、まだ本格的に始まっていないのではないか。犯人の思惑は、まだ中途なのではないか、と。
そして、ここにはもう一人、イヴァンと同じように、この状況を疑問視する人間がいた。
「どうした新入り、ぼーっとして。」
「どうせ拍子抜けしたんだロ。」
前を歩く二人の声を聞いても、光の心は晴れなかった。覚悟をきめて出てきたために拍子抜けしたというのも、一つあるかもしれない。或いは、死地を脱したような安心感か。だが、この微妙な雰囲気は、それらに起因するところにはなかった。光は、自身の感知し得ないところで、何かが蠢いているのを、つぶさに感じとっていたのだった。
それは、魔法、魔術の類いのものであると、光は目星をつけた。つまるところ、墓所の魔術儀式は、あの氾濫では終わらないのではないかという仮説を立てたのだった。
「あの……。」
「うん、どうした。何かあったか。」
「い、いえ。そういう訳ではないんですが……。」
「……新入り。」
歯切れの悪い光を静かな声で咎めたのは、意外にもソフィーだった。思わず黙った光を、ソフィーは正視して言った。
「何か、嫌な予感があるんじゃないかしら。貴方。」
図星を突かれた、いや、心中を見透かされたというべきか。恐る恐る頷いた光は、自説を論じ始めた。
「あれだけのことが起きて、墓所に残留マナがないなんてこと、考えられるのかな。と思って。だって、城下の他のところでは、まだ残留マナに苦しんでる人がいるじゃないですか。」
アテナと騎士団の二人組は、はたと気づいたように顔を見合せた。一方のソフィーは、あまり目立った反応はなかった。もしかしたら、それを察していたのかもしれない。
「煙が散ったのかとも思ったが、確かに中心部に残留マナがないというのはおかしいかもな。無論、人体がマナを吸収することを考慮しても、だが。」
「なら、一体どうして……。」
一行は、墓所に近い大路で立ち止まって、考えた。しかし、まだワルハラに来て日がなく、城下のことも詳しくないアテナや、そもそも魔術やマナに明るくない光はもちろん、魔法は専門外である騎士団の二人組も、その答えを出すことはできなかった。そして、魔術に関する能力は未知数であるソフィーは、その課題に対して、まったく考えるという気が起きなかったようで、遠くに聳える王城の方を眺めていた。
そのために、結界が一時的に解除されたことについて、一行の中で最初に気づいたのは、ソフィーであった。
「……えっ、嘘、結界が……。」
淡緑色の結界が薄くなって消えるのを、ソフィーは、ただ呆然と見ていた。自らが心中で思い描いていた最悪の筋書きが現実のものとなったと考えたのだ。その衝撃は、一行の中に素早く広がっていった。
慌てて駆け出した一行であったが、二つ程大きな通りを越えたところで、王城を見やると、結界は何事もなかったように、先程と同じように張り直されていた。
「なんだヨ、驚かせるなっテ……。」
ほっとした顔の騎士団の二人組を尻目に、光は、まだ訳の分からぬ焦燥にかられていた。何かが迫って来ているような恐怖に、一刻も早く結界の中に入らねば、と思った。光は皆の前に出ると、叫ぶように言った。
「早く!何か、何かがおかしい!」




